👆 山つつじに、このような時でも花芽がついてた、パパが植えてママが咲かせてた、このところ雨が多くて外の仕事が
出来ないから庭に出る回数が減少だもんでね、でもこれを見て花に負けちゃあいられない!と思った次第、
Mrs.centuryの 16・7 日忌を過ごしてオナゴのチカラって凄いなあと今更ながら思った、その辛抱強さに感心、今も
オナゴの一生なんて、ママの時代は特にオトコの甲斐性で決まるわけだったから、
転任(県内某市)転任(秋田)、転任(八戸)、転任(仙台・一部パパは単身赴任)について行って家族をその度に移動
させて落ち着かない日々だったろうに、内気な割には転地に溶け込んでいたような気がする、
それは編み物教室を、秋田で始めたり、八戸では子らが高、中、小となったので、少し自分の時間が増えて、私らの洋服
を縫っては着せたり、編み物を子らのために楽しんだり、本(その頃は婦人公論だったと思う)を読んだり、
いつも何かはしてた、それがママには気の利いた暮らし方だったと思ってた、
一方パパはバリバリの我儘な連れで、外では同室の若い方々を連れて飲み歩き、洋服は仕立てもの、洒落者だったので、
専業主婦にされた(笑)悔しさがふつふつと湧き出した頃のママだったに違いない、
それこそ私の青春を返せ!的なね、仕事を辞めて、ママはついて廻らざるを得ない暮らしに、そして家にパパはあまり
居ない日々が多すぎるパパにママの不満が募っていったんだろうね~オナゴとしては分からなくもない、
というか分かりすぎる、
パパもママも、長男、長女として、親から優遇されてきたので、優しくされて可愛がられて当たり前、そしてその期待に
もれなく応えてしまう、一筋縄ではいかなオトコとオナゴが夫婦になったんだからね、
それでも何とか持ちこたえ(すまん!)今の家(と言う程のものでもないと祖父は言った( ゚Д゚))を建てたのが 58 年前
それからはママの気も済んだのか、パパが一部単身赴任先の仙台を訪れ、退職するまで、ここで独りで花を、野菜を、
そして 57577 を詠みながら、本家との不動産・闘争をしてたわけよ(笑)
退職したパパはママに今までのお詫びとして(そうとしか思えない)すべての手にしてた 退職¥やら田圃 etc.を手渡した
イヨッ!男らしい、その時はまだパパ個人の名義だったから、面倒くさいあの与太話に続くのですよ、
詫びなきゃならないことがあったなら詫びてから前に進まないと、夫婦はその先が長いんだから、どうしたって、しこり
となっちゃうから、それでもママはそれで今までのうっ憤を解消して、夫婦二人暮らしとなった、
そのママの辛抱に敬意なのよ、そして 64 歳で未亡人となったママでした、夫婦はどこかでバランスがとれるようだわ
、
アケビの花が👆👇 大きいのは雌花、小さいのは雄の蕾、これが一番ひとの成り立ちに似てるかしら?
だって雌花は咲きましたよ!と主張し、雄花はどんな風にしたらいいでしょうねぇと言ってるような(´∀`*)ウフフ
年¥組VS 現役組・ 感が、これが今だから殊更のギクシャク感で、
「長きに渡って税¥と共に年¥を納めてきたのだから頂いてます」年¥組、
「仕事がないわ、年¥だって納めたって貰えるかは分からない、それなのに&%$#”*‘+”#$%&!」
と現役組、平等じゃないから腹立つ~と思うのでしょうかね、でも納めておいた方がいい、先行きは分からないとしても
納めておいた方がいいと婆は言いたい、そして頂いてる私は現役組に感謝してるんだぁ、
CS 2 227 アンフォゲタブル (1996)
現実がこうも混とんとして、今までにない恐怖や不安にさいなまれる日々を過ごしてると、メンタルは強くなって、
今までは敬遠してたジャンルの映画なども観ようかしらと思う、
まさか私が録画して観るような内容じゃあなかったし、シーンが激しすぎて、ただ、そこに夫婦愛や子供の声や姿が、
時折り観客の心を宥めてくれるから観た!
今は医学や医療などに関心がある時だから、知らない医学の、或いは知らない分野の研究が進んでるという事実があって
小動物を試験台にしてるシーンなんて正視したことがないから、
それでもそんな事が出来ることに驚き、「記憶の移植」だなんて考えた事さえないので知りたかった、後で
妻を殺された検視官の夫が、犯人が特定されずに自分が犯人扱いされて立腹した、脳医学者・Dr.の協力を得て、
まだ、小動物による実験段階の方法を使う、妻の記憶を持った人間の脳髄液を自らに投与するという、
妻の殺人現場に残された遺留品に目をつけ、その持ち主の脳髄液を試したりするけど、それは犯人からは遠く、関係者の
脳髄液を試しながら妻の記憶にあった現場を経験して、あたかもその時そこにいたように、
そして遂にその犯人に辿り着くという、こういうジャンルの映画は避けてたけど、おうち時間があるのだから、外の作業
を出来ない時は、異文化ジャンルに向き合うのもいいかもしれないと思った、暢気な気がしないでもないけど外出は怖い
エンディングにながれたこの曲は好きだし、シーンもいいのよ、亡くなった妻と子供たちが揃って落ち葉を楽しみながら
鉢に移した 👆 イワヤツデが一もとだけ咲こうとしてた、ちょっと傷んでる気がしないでもないけど咲いたら載せます
楽しみですぅ、
さて食べなきゃ元気が出ないという日々を過ごしてて、買い物にも制限が出来てきて「家族ではダメ、時間帯を考えて
年長者も出来れば独りで、品物もぉ一人様2パッケージまで、レジでの距離感、一度手にしたものは買う、買いだめは
NGで、勿論マスクで、立ち話は避けて挨拶程度、品ケースのなるべく空いてる棚から」とまあ小池さんのぉ話を参考に
気を引き締めて行った、駐車場はいつもより少なくて、人の気配も少なくて、がらんとしたスーパー内は空気綺麗そう、
そしていつもより店員さんたちのぉ声は明るく(ご無理してるんでしょうに)頑張っておられるなあと感じた、
なるべく早く買い物を済ませようと、メモまではしていかないけど在店時間は40分、店内はひとり買い物の方が多かった
おじさんは独りでメモを見ながら買い物かごへ品を、ケータイをしてる人もいないし、整然と動いてた、
必要なものを買い終えて車に戻ると少し車は増えてたけど、乗降は独りの車が多い、私が行ったのは開店 30 分後だから
9:30 am で帰りは 10:10 am だったから無理もないのだけど、守ってるなあ~と思えた、
「新型コロナウイルス予防のため入出店の時のエア消毒をお守りください、当店ではカゴやカートの消毒を時間を決めて
行っております、皆様の安全のためにも店員は一丸となって仕事をしてますので、よろしくお願いいたします」と丁寧な
アナウンスもあり、ギスギス感はなかった感じはした、
40 分は長居したことになると今は思ってる、ドラッグストアも掛け持ちだったので、これからは気を付けよう、
自粛要請に従うことを躊躇ってはいけないと私は思ってる、「スーパーの買い物を制限するのはおかしいと思う」とか、
「自粛要請に無抵抗に従ってるのは相手の思うつぼだ」とか、そっちがおかしいでしょう?有名コメンテイターさんよ、
隔離された部屋でカメラに向かってそんなことを言ってるなんて「家族としか接触してない、人恋しい」だなんて、今、
なんで言えるんでしょう?もしや立場上で、色々忖度してるの?と、こっちが穿った見方をしてしまう、
やはり諄いようだけど自分を護って相手を護ることは、今は礼儀だと思うから、今日の買い物でよく分かった、
持論は持論で結構だけど、歯向かうだけが頭がいいのではなくて(頭いいのが売りだものね)実情をよく見極めて、
慎重に慎重を期すことが大事なんだと教えて欲しいわ、息子のような年頃の方に言うのもなんだけど、歳に不足はない私
移植による弊害で 👆 チューリップが咲かない中ひと花咲いた、色も清々しくて上品で言う事なし、
夫が専業主婦にしておきながら、傲慢亭主め!
今回の出来事で仕事ということを考えた方々は多いと思うし、就活の若者には気の毒な状況となってしまって心が痛む
そして安定した職業なんて無いのだとも感じた、昔(婆ですから~ふふふ)親から「安定した職業がいい」と言われ、
仕事を決めた、それは嫌いじゃない分野だったし、資格も取ってたからそんなもんだろうなあと、
ところが嫁に行く時、関東に行かなきゃならなかったから辞めた、ママは「勿体ない!今までの苦労が水の泡だ」言った
私はその時はそうは思いもしなかったので、まあ家庭がひと段落したら again でもいいしね~と思ってた、
【D】は私が再就職すると面接を受け、すぐにでも!と言われ「勤めるわ」と言ったら大柄なことを言ったもんだ、
「家事のしわ寄せはごめんだ、それに子供はどうするんだ?」と私に詰め寄った、「偉そーにー」(; ・`д・´)
私は言った「協力してくれたらいいじゃないの?」子供が小学校に行ってた頃だし、周りにも知り人は大勢いたのでね
お互いさまが未だ成り立ってた頃よ、
それでも拗ねた【D】に「あーー面倒くさい!なら、今はいいわ」と言ったら、自営業の【D】は水増し¥をくれた、
ぉ国じゃあるまいし、単にケチなだけだったのね、¥に転んだわけじゃないけど(笑)
そしてその時から私は【D】には相談しないで、日中から午後の、系列の仕事をした、快適だった、好きな分野の続きを
私は現役とはいえないけれども、いざ!という時に、時代に後れを取っていないように研鑽を積んだ、
その時に本を読んだりドラマを観たり映画を観たり舞台を観たり、なかなかぉ勉強になった時期だった、今思えばね、
養ってやってるんだという様子が見え見えだったし、倒れた自転車さえ起こさないで「自転車が倒れてるよ」
「起こせ!」と思いながら外へ出てゆく私、「灯油がないよ」「入れろ!」とは言わないで入れる私、今なら言うけど、
どこかの何方のように「熱いものは熱く、冷たいものは冷たく」だなんてなんで言えるんだ?
帰宅時間も分からない、お迎え、お送りをしてたうえで、あーーばかばかしいわ「今に見ててね~」とは言わずに( ゚Д゚)
なんたって職場には不利な再登場だし、年齢もあったし、細切れ仕事のようだったしね、それでも仕事が面白くなって、
遂にはバレても時間外でも続けた、私はあの仕事が好きで、
そして介護にこっちに来た時に、前職から声がかかって非常勤ながらフルタイム!!! 楽しかったわよ~私 58 ママは 84 、
お互いにバリバリの現役だった、切磋琢磨と言えば聞こえはいいけど、寄ると触るとのあの世界(笑)
地味ーーーな 👆 延齢草も葉を大きく広げ存在感を、
存在感と言えば、この事案が始まって以来、都道府県の首長のテレビでの趣旨は都度都度視聴してるけど、市町村の
首長のご登場は、ご指導は全くと言っていいほどない気がする、
スーパーでの密の状況や、年長者への呼びかけ等もなく、ただ「行かないように」と言われても、暮らしていけない状況
となってる方々は多いと思われる、
暮らしを支えてる若者は不安と闘いながらも働いて、子らは休校で在宅で、年長者はただただ邪魔にならないようにと、
家の中で不穏な空気が流れがちじゃあないのかしら?
せめて地域の boss は、その責務を背負ってその椅子に座っているわけだから、何か策を講じたら、スーパーの現状や
病院の内情を慮って欲しい、冷や冷やしながら現場に行かざるを得ない方々への思いやりを示して欲しい、
何故こんなことを感じたかというと、某市で、売り上げが激減した店の弁当を市が買い取って休業中のsingle・mother
の子たちのために、市の予備費を遣って配ることを始めたというニュース、
矢張り休職中のsingle・motherのために大家さんが「ささやかですがポケットマネーです、楽しく過ごしてくださいね」
メモが入ってて泣いたというツイート、一般人の方々も優しいじゃない?
ひとびとに危機感を伝える言葉が欲しい、きっと「ここは大丈夫、私は大丈夫」と思ってる気がするから、
そしてひとびとも危機感を持って、言われたからじゃなくて、自分を護りそれが相手の為になると自覚をしなくちゃ ね