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川柳についての個人的意見

川柳と雑俳

2004-06-07 18:14:40 | Weblog
 川柳という言葉を解釈するときその立場で’575音を主とする季語のない定型短詩ー人情中心’つまり柳樽を範とする人達といわゆる’形式が575ならー字余り字足らずも大目に見ましょうー面白ければなんでもあり’の雑俳のひとつに位置付ける人達と大きく二つに分かれると思うのです。こんな乱暴なことを言えば作法に則り雑俳を作っておられる方にお叱りの言葉を受けるかもしれません。(私の知識は都都逸で有名な佐藤紫蘭氏や今は亡き渡辺新一郎氏の著作によるものであくまでも種々の形式を知っているという表面的なものです。)参考までに雑俳の資料をお示しする。雑俳作法
 川柳マガジンなどは折衷的な立場を示すためわざと雑俳のひとつである前句付けを復活させているのでしょう。柳多留が前句が無くても理解できるこれはなかなかと思える句(面白いといえばまさしくそうです。)を勝句集から選択して選者の柄井川柳の名をとり文芸的な位置づけをしたはずなのに・・・不満はある私ですが毎月前句付けにも応募はしています。自分の作品を作る勉強になるからです。

 私は川柳は狂句、冗句?、万柳、語呂合わせ、駄洒落とは少し違うと思い句作しているのですが、何が川柳かは時代、大衆が決めることで、だからこそ斎藤大雄先生が現代大衆川柳論を展開しているのだと思います。
コメント
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