ベトナム在住12年目、初めてベトナムに来始めてすでに25年以上がすぎた。
本日ふと「いつもの朝、ベトナムとのかかわりを思い出した」
最初は25年前、最初の就職先である「金型メーカとして」ベトナムに来た。
韓国の外注先がベトナムに事務所を作り、その開所式に呼ばれたのが最初である。
そのころから「韓国企業はベトナム進出に関してアグレッシブな姿勢だった」
その後、時々この企業訪問するためベトナムに行った。
その後は、自分もIT系企業「海外拠点開設ののためにも呼ばれ」転職した。
ここでは2年近く「いろんな場所に行き」最終的にその拠点を「ベトナムに決めた」
その時自分をヘッドハンティングしてくれた「社長が親会社に栄転になり」まるで方向性の違う社長が来た。
それでも途中までは「ベトナム拠点になりつつあったが?」結局見捨てられた。
そのIT企業をやめ「52歳でベトナムに単身乗り込み起業した」
安定していた「上場企業」そして52歳と言う年齢からも親族一同から「大反対された」当たり前である。
何のリレーションもないベトナムに定年を前のおじさんが「急に会社を作ると出て行ったのだから」
そこからの道を語るには「とても書面が足らない」
ベトナムに最初に来てから25年、起業してから12年、よくここまで来たのかもしれない?
ここまでの道のりについては「おいおい記していこうと思う」
ベトナム進出する日本企業のうち(飲食も含め)5年で残る確率は5%であるという。
一応この会社は12年目、良く残ったものだと考える。それまでの仕事上のキャリアと
仕事仲間の皆さん、そして、ベトナム側で「いろいろ支えてくれた友人たち」
そして、ここまで頑張ってくれた「社員たち」が居たからこその事である。
それでも現在、創業以来の難しい状況になっている。「何のことは無い、全てが為替差損」の問題である。
この問題は語り尽くした。どうなるにしろ「何とかする以外ない」、コロナと為替この2つで
一気に会社は規模が半分になり、10年かけて蓄えた「内部留保」も吹っ飛んだ。
それでも「社員、その家族」が居る限り、何とかしなくてはならない。
順調だった3年前とは「全然違う生活(急に貧乏な社長になった)」をしなければならなくなった。
それでも「12年前と同じ、バインミーを食べ、同じインスタントコーヒーを飲みながら」
円安故に12年前、起業時と同じような小さなオフィスに移り、そこの誰もいないオフィスの机で、
これからの事を考えている。