お昼は1時がちょうど良い

在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

日記 2

2015年12月19日 | 日記
古代ギリシャの哲学にはこういうのがあるそうです。



「食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから。」



厭世的というか刹那的というか、わからないでもないですね。嫌な出来事ばかり続いたり、思うようにならない人生であったりすると。



ここで一気に私の母親の発した言葉に飛びますが、別に私はマザコンではないので予め伝えておきます。



そもそも母親とはあまり会話をした記憶がありません。母親は殆どの時間を仕事に割いており、私と話をする時間が少なかったからです。「母と娘」みたいな感じではありません。



その数少ない母との会話で、一番印象的なのは「人間、笑っても一生は一生だ。泣いても一生は一生だ。どうせなら、笑って生きよう。」



母の世代は戦中派で、自身も学徒動員により軍需工場で働いた経験があります。米軍機の機銃掃射に遭ったような話、自宅に休暇でいる時に働いていた軍需工場が空襲されたような話を聞いた事があり、仮に空襲時に寮にいたら今の自分はいない可能性が大かも。



天保時代から続く家や田地・畑を訳あってたたんで引っ越したり、いろいろな人の死に接したり、自分が死にそうなった事、様々な職種で得た体験から直感的それを会得したのではないかと思います。



今、もっと聞きたいと思っても認知症なので無理です。



この言葉を私に伝える事も母親の人生に於ける仕事の一つだったのかなと思えるようになりました。



これまで回顧録に書いた出来事は消極的な人生を送る為ではなく、人生の次のステップを積極的に生きる為の出来事ではなかったのかと。

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