14日9時半上野発スーパーひたちに乗り水戸着10時42分。早くなったなあと思う。子供の頃「東京に行く」ことは一大事だった。各駅停車だったものなあ。
水戸駅南口に降り立った。南口は故郷を去った後にできた。どこの都市もあとからできた駅口の発展が目覚ましい。まるで知らない街並だ。今回実家の弟の車が折悪しく故障しているとのことで、レンタカーの予約をしていた。徒歩1分のレンタカー会社が見つけられずに電話を入れると、歩道橋の上からすぐ見つかった。
故郷を離れて40年近い。車で街中を走った日は遠い彼方。ナビとおぼろげな知識を頼りに実家にたどり着く。この日もハードスケジュール。昼食を摂るとすぐ弟の案内で、認知症が徐々に進んで介護施設に入所した伯母を訪ねる。
ちょうど嫁いだ娘(私には従姉妹)二人がやってきていて、思わぬ再会ができた。母の姉である伯母は父の兄に嫁いでいる。姉妹が兄弟に嫁いでいる。幼い頃から会う機会も多い従姉妹とは、とりわけ仲が良かった。今回は会うことはかなわないと思っていたのに、神様が引き合わせてくれたのかもしれない。伯母の認知の度合いがわからなかったが、顔を見るなり「〇ちゃん!」と私の名を呼んで、顔をくちゃくちゃにして抱きついてきてくれた。髪もすっかり白くなり、足腰も弱っているようだが、歩ける。姉妹二人で毎週落ち合って訪れているという。遠くに嫁いだ姪をいつも気遣ってくれ、幼いころから娘のように可愛がってくれた伯母の老いを目の当たりにして、長年の無沙汰をあらたにした。再会を約束して別れを告げる。
その足で、父母の墓参りに行く。伯母に会いに行く道々で見かける家々の瓦屋根にはいまだブルーシートがかけられているのが目に付いた。東日本大震災の傷跡がいまだ残っている。弟の話では墓石もだいぶずれて、やっと直ったばかりだという。崩れ落ちたものも少なくなかったそうだ。手を合わせて無沙汰を詫びた。
実家に戻る頃には日も暮れ始めていた。一服して外食で済ませようよという話になり、出かけようとしていると、先ほど会った従姉妹の姉さん夫婦が来てくれた。そのまま焼き肉店に行き食事を共にすることができた。
介護施設で主任を任され夜勤も多く忙しい日々を送っている弟だが姉夫婦の急な訪問に快く休みをとってくれ、あちこち案内してくれた。少し太って元気そうで安心した。「ゆっくり時間をとってまた来るよ。」などと話していたら、エリアメールが鳴る。「地震だ!」久しぶりの大きい揺れに、びっくり。水戸は震度4だったが、震度5+の地域は日立と千葉だった。近頃茨城県千葉県沖を震源とした地震が多い。息子たちから相次いでメールやら電話が入る。「大丈夫か?」と心配してくれたようだ。弟と話しながらも、睡魔に襲われて、うつらうつら。入浴もそこそこに床につく。疲れてはいるが、目的が一つ一つ遂げられ、懐かしい人に会えるうれしさの方が勝って、心地よい眠りについた。