花と野菜とスケッチブック

春夏秋冬・花と野菜とスケッチとそして人と一緒に・・・

日立→東京→千葉

2012-03-29 15:38:09 | 家族

15日 叔母の家がある久慈浜は河口近くにあり家のすぐ前に久慈川が流れている。3月11日の震災でも一番心配だった。が竹藪の崖を背に数メートル高台にあるため川の水はあふれたものの、被害を受けずに済んだ。結婚したての頃、ここにお邪魔して、シジミやハマグリをとったり船に乗せてもらったり、幼い長男を連れて心置きなく遊ばせてもらった思い出深い場所だ。今はいない叔父の優しい遺影に手を合わせ、母に一番似ている叔母と一緒に記念撮影してきた。

30分程ナビに導かれて母の実家につく。もうすっかり幼いころの佇まいではない。夏休みになるといとこ達が集まって、ひがないちにち遊び暮れていたなつかしい家。一昨年、伯父が他界した時、義母の介護疲れと体調不良が重なって葬儀に参列できなかったことがいつも心につかえていた。仏前に手を合わせ、秋田を訪れてくれた日を思い出す。大好きな伯父だった。

レンタカーを返す時間15時に間に合せ、水戸から東京へと向かう。浅草橋のビジネスホテルにチェックイン。清潔で、コンビニ、コインランドリーが併設し長期滞在する人も多いという。素泊まり1人5000円。二泊した。

16日 午前中は下町の小岩に降り立ち、新婚時代を過ごした場所を捜し歩いた。見当を付けたが、目印になる川以外面影はなし。2歳にならない長男をベビーカーに乗せて当てもなく歩いて見つけた善養寺というお寺があった。タクシーに乗り寺の名を告げると、樹齢〇百年の松の素晴らしい枝振りが見えてきて感激した。唯一思い出がそのままの場所だった。

〈善養寺 すべて一本の松の枝です〉

下総中山に1人住まいする父方の叔母と駅で待ち合わせ、法華経寺を参ってお昼を一緒に食べた。物事にこだわらない気性の叔母はまだまだ足腰もしゃんとしていて、元気そのもの、私達よりしっかりしている。「暖かくなったらもう一度秋田にいくわよ」きっと来てくれるだろう。さわやかに別れた。

この夜は「万世」というお店で、めったにない贅沢、牛のしゃぶしゃぶを食べる。今回の旅の目的は終え、心がゆったりする。

17日 浅草まで地下鉄に乗り、荷物をコインロッカーに預けて浅草寺付近をうろうろし、浅草演芸ホールでしばし落語を聞いて16時56分のこまちに充分間に合うはずだった。

 

 

 


関東へ2(故郷水戸)

2012-03-25 19:39:37 | その他

14日9時半上野発スーパーひたちに乗り水戸着10時42分。早くなったなあと思う。子供の頃「東京に行く」ことは一大事だった。各駅停車だったものなあ。

水戸駅南口に降り立った。南口は故郷を去った後にできた。どこの都市もあとからできた駅口の発展が目覚ましい。まるで知らない街並だ。今回実家の弟の車が折悪しく故障しているとのことで、レンタカーの予約をしていた。徒歩1分のレンタカー会社が見つけられずに電話を入れると、歩道橋の上からすぐ見つかった。

故郷を離れて40年近い。車で街中を走った日は遠い彼方。ナビとおぼろげな知識を頼りに実家にたどり着く。この日もハードスケジュール。昼食を摂るとすぐ弟の案内で、認知症が徐々に進んで介護施設に入所した伯母を訪ねる。

ちょうど嫁いだ娘(私には従姉妹)二人がやってきていて、思わぬ再会ができた。母の姉である伯母は父の兄に嫁いでいる。姉妹が兄弟に嫁いでいる。幼い頃から会う機会も多い従姉妹とは、とりわけ仲が良かった。今回は会うことはかなわないと思っていたのに、神様が引き合わせてくれたのかもしれない。伯母の認知の度合いがわからなかったが、顔を見るなり「〇ちゃん!」と私の名を呼んで、顔をくちゃくちゃにして抱きついてきてくれた。髪もすっかり白くなり、足腰も弱っているようだが、歩ける。姉妹二人で毎週落ち合って訪れているという。遠くに嫁いだ姪をいつも気遣ってくれ、幼いころから娘のように可愛がってくれた伯母の老いを目の当たりにして、長年の無沙汰をあらたにした。再会を約束して別れを告げる。

その足で、父母の墓参りに行く。伯母に会いに行く道々で見かける家々の瓦屋根にはいまだブルーシートがかけられているのが目に付いた。東日本大震災の傷跡がいまだ残っている。弟の話では墓石もだいぶずれて、やっと直ったばかりだという。崩れ落ちたものも少なくなかったそうだ。手を合わせて無沙汰を詫びた。

実家に戻る頃には日も暮れ始めていた。一服して外食で済ませようよという話になり、出かけようとしていると、先ほど会った従姉妹の姉さん夫婦が来てくれた。そのまま焼き肉店に行き食事を共にすることができた。

介護施設で主任を任され夜勤も多く忙しい日々を送っている弟だが姉夫婦の急な訪問に快く休みをとってくれ、あちこち案内してくれた。少し太って元気そうで安心した。「ゆっくり時間をとってまた来るよ。」などと話していたら、エリアメールが鳴る。「地震だ!」久しぶりの大きい揺れに、びっくり。水戸は震度4だったが、震度5+の地域は日立と千葉だった。近頃茨城県千葉県沖を震源とした地震が多い。息子たちから相次いでメールやら電話が入る。「大丈夫か?」と心配してくれたようだ。弟と話しながらも、睡魔に襲われて、うつらうつら。入浴もそこそこに床につく。疲れてはいるが、目的が一つ一つ遂げられ、懐かしい人に会えるうれしさの方が勝って、心地よい眠りについた。

 

 

 


関東へ1

2012-03-24 16:20:06 | その他

3月13日、8時35分の新幹線で東京へ向かう。長男たちが見送ってくれる。

新幹線大好きな夏海が「ジージとバーバ新幹線に乗ってくの?ナッチも乗りたいなぁ」なんて言うので見送りの時に泣くのでは?と思っていたけれど、涼しい顔でバイバイしたので、ほっとしたと言うより気抜けした。嫁さんからのメールに「ジージとバーバこまちにのって行っちゃたね」と言ってたそうだ。2歳半夏海はほんとに口が達者になった。

今回の目的は6年間ご無沙汰している叔母たちに会うこと、父母の墓参、急逝した叔父の仏前にまいること、四男の住まいを訪れることだ。そしてできれば30数年前に二人で暮らしたはじめた下町の狭いアパートのあった場所をさがしてみたいとも思っていた。かなりハードなスケジュールだった。

12時に東京駅に着くと四男のお嫁さんのお父さんお母さんがホームで待っていてくれた。後から家を出たという四男達とも会えて、みんなで昼食をとる。四男の娘みーちゃんとゆーちゃん、年子の二人は双子のようだ。どちらも人懐こく、「あきバーバ」(2人がそう言います)と手をつないで歩いてくれる。

電車を乗りついで、中野の駅に。バスに乗って最寄りの停車場から歩く歩く。東京の人はよく歩く。秋田は歩かない県で女性が2位男性が5位だそうだ。どこに行くにも車がないと目的が達成できない地方の人の方が歩く機会を失っているのは皮肉なものだ。都会では電車に乗るために駅まで歩く。階段を上り下りする。目的地に着くまでに必然的に歩かなければならない。お店を巡って歩くだけでも結構な距離がある。あちらもこちらも人人人だ。歩いた、疲れた。常日頃歩いていない秋田人の私だった。

2LDKのアパートは、一戸建ての秋田の広すぎる家に比べれば本当に狭い。けれど、つい昨年まで住んでいたひと間のアパートに比べれば夢のようだと話す四男夫婦の嬉しそうな顔に、若かったころの自分たちが重なった。みーちゃんゆーちゃんのお遊戯会のビデオを見、ひとしきり話して部屋を予約してくれている近くのビジネスホテルに案内され荷物を置く。マンション暮らしのお父さんお母さんとおち合い、8人で中華料理のお店で和気あいあい夕食をとり、何年振りかでカラオケに・・・ほろ酔い加減も手伝って、みな盛り上がりそれぞれ得意の歌を聞かせてくれた。息子とお嫁さんが唄った歌に泣かされた。夫も同じ思いだったようで鼻をすすっていた。

四男が「ありがとう」と「アンマー」、お嫁さんが「私だけの天使」を・・・歌で思いを伝えてくれたのだろうと勝手に受け止める父と母。お嫁さんの娘たちへの思いも伝わってきてホロり・・・本当に楽しいひと時だった。

次の朝、通勤時間帯で覚悟していたが思ったよりもスムーズに上野駅に着くことができた。水戸へ向かう。

中野駅まで見送りに来てくれた、みーちゃんゆーちゃん息子夫婦の姿が目に焼き付いた。


リタイヤの朝 雪渡り

2012-03-01 16:08:35 | 家族

2月29日、昨日で夫が退職した。38年間本当にご苦労様でした。

60歳で辞めるつもりでいたが、4年間嘱託という形で働いていた。仕事を辞めたらやりたいことを指折り数えていた人なので、どんなにかこの日を待ちわびていたことか・・・

辞めたという実感は、2、3日ではわかないだろう。今日は日曜日のような一日だったに違いない。

青空に春を感じさせる日差しが、雪原に夏海の短い影をくっきりと浮かび上がらせていた。

放射冷却の「かた雪」の朝だ。広い雪原をどこまでも渡って歩ける。つい先日、5年生の孫萠に買ってやった、宮澤賢治の絵本「雪渡り」はまさに「かた雪」を渡って歩くお話だったっけ。

孫とマリンは雪原を走り回る。

「あっ、みかんだぁ」近づいて見てるのは道路の両脇にあるポールの反射板です。

青空に飛行機が白い雲を一直線にどこまでも引っ張っていく。「ひこうきだぁ!」孫がジージの手を引いて教えてるところ。

本日は、孫と愛犬と愛妻?と雪渡りのさわやかな朝を過ごした退職一日目でした。