笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

VOI.9『YES or NO』

2016-02-17 | ざまをみろ!と開放区
ざまをみろ!VOI.9「YES or NO」は、
1996年2月号・・・つまり、1995年の12月に発売されたMYOJOにあります。

テーマの下にある、編集からの一言には。
「1995年年末は、刃のような言葉や、容赦ない報道に傷つけられることが多かった・・・」と。

開放区にもVOL。25として載っています。
開放区は、「俺たちって、常日頃、見られる立場にいる。」という言葉ではじまっているけれど
ざまをみっろ!の連載は、
「96年は自分の気持ちとして、いいと、ヤダをはっきりさせたいと思ってる。
それで、その気持ちを人に伝えるようにたい・・・」で、始まる一文が最初にある。
また、「俺たちって・・・・」の文章は、「常日頃、”つけられたり”見られる立場にいる。」と。
写真週刊誌に追われている状況が、伝わる文になっている。

そんな状態の「YES or NO」の写真。

これが、1995年Novemberの拓哉君。
この時の拓哉君の顔が、気持ちそのままだよね。

開放区では、全然別の年、1997年8月掲載の「おとなと子ども」の写真が使われている。

この写真は好きだけど、2年後の写真では、文章とずれているようで、残念。

この「YES or NO」の題名の意味を本文から・・・・

「ガキじゃないんだから」つていう言葉があるけど、今は、「ガキでいいじゃん」つて思う。
そのくらい自分に素直になりたい。
だって、俺、自分は弱い人間だってことを、嫌っていうほど十分わかったから。
いろんなこと書かれて、そのうえ、誰かにうちの郵便物まで全部開けられて、ほんとに気分が滅入ったこともある。
でも、そんなとき、強くなろうとすると、つらいし苦しいのが、すごくよくわかった。
人は弱ってるとき、強くなんかなれないよ。
だから、そんなときは、ただ言いたい。。ヤだ”つていうひと言を。


今も、嫌なことにも「ヤダ」といえる状態では、ないかもしれない。
でも、できるだけ、自分の気持ちが言える状態であるように祈っています。

グーパーウォーク1