
〜視覚障害があっても担任を続ける先生をお招きして〜
だれもが過ごしやすい学校について語り合う会
今日は地域のイベントを開きました。
息子の学年でお世話になり、弱視だった当時から視力の低下が進み、今は白杖をついて通われている小学校の先生。
ほとんど子どもたちの顔は見えないけれど、ずっと慕われ続ける先生のお話を聞きたいと、保護者や地域支援者のみなさんが集いました。
見えるか、見えないかに関わらず、大事なことだと思ったのは、子ども同士が育ち合うこと。
先生は見えない分、子どもに託す、委ねる、任せることが多い。
でも、それは実はどんな先生にとっても必要なことで、結局、子ども同士が育ち合うことが子どもの手応えになること。
子どもが育ち合うということは自主性を伸ばすこと。
自分で考えるということ。
どうやったら、うまく伝わるか、考えるということ。
そんな、当たり前のはずの大切なことを、なんだか忘れていと、思い出したような感覚。
それは、自分自身、かけ離れたことしかできていないから。
自主性を育てようとして、何かを植えつけようという発想しかなかったのかもしれない。
先生は視覚障害がないころからそのような教育をされていたのだと思いますが、子どもたちが先生に協力しようという芽から自主性が育っている部分も多々あると思います。
私の結論は、子どもの個性を知り、うまく手綱の調節をし、勘所を押さえて働きかける先生のまねはできないということ!😆
その上で、何かエッセンスや工夫の一端を伺って、子どもたちとの関わりや声かけに生かしていこうというみなさんの意気込みを感じました。
先生の心がけの一つ。
学校へ来た子どもたち全員が1日1回は笑って帰れるように。
「今日来てよかった」が明日につながるのだと。
障害があることでの生活のあれこれなども伺いましたが、目が見える、見えない、ということ関係なく、大切な子どもとの向き合い方を伺ったひとときでした。
ご参加のみなさんが子どもたちと何らかの関わりを持たれていて、あたたかな交流の場となりました。
すてきな先生がお仕事を続けて子どもたちによい影響を与え続けてほしいです。
今日はみなさま、すてきな時間をありがとうございました😊
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