郷土の文士・泉鏡花の作品を初めて読んだのはつい最近のこと。
でも、この世界、この空気、北陸の冬空を思わせる暗さ…「私、知ってる!」これが第一印象だった。
そしたら、なんと、本当に私は鏡花とまるですれ違っていたかのような環境で育っていたことがわかった。
五木寛之が泉鏡花を紹介する番組を見ていた。
鏡花がこのお寺の摩耶夫人像(まやぶにんぞう)を幼くして亡くした母の面影と慕い、通ったというのが私の幼稚園のあるお寺だったのだ!
この像を拝んだことはないけれど、毎日、この場所に通っていたのだから、鏡花と時を経てすれ違っていたような、同じ風を感じていたような、あながち私の感覚は違っていなかった、と思った。
初めて読んだのは「化鳥」だったと思う。
(中川学・絵 国書刊行会)
実物の絵本の絵をぜひご覧ください。
中川学さんの絵はとてもすばらしい。
この絵本に出会わなければ、「化鳥」は読まなかったかもしれない。
反面、この世界観を絵なしで味わいたかったという思いも消せない。
北陸の冬の曇天。
薄曇りの下のひんやりと潤いある空気。
詩を求め、歌を歌い、箏を弾き、俳句を作り、憧れてやまないのは、私がこの北陸の空に憧れているからだと思う。
あの暗い空の向こうに何があるのか、自分で何かを生み出して、見てみたいと思うから…。
最近知った鏡花の俳句。
この句は私がそれなりに俳句に親しみ始めて見た句の中で一番好きな句です。
「 手にとれば月の雫や夏帽子 」
(てにとればつきのしずくやなつぼうし)
なんて美しいんでしょう🌙
なんて幻想的なんでしょう🌙
私は二十代後半まで金沢のど真中で過ごし、愛憎半ばで離れましたが、最近、封印してきた金沢を室生犀星によって蘇えさせられ、多分何度も足を運ぶことになります。鏡花は浅野川、犀星は犀川です。どちらもよく足を運べる地に育ったので、とても懐かしい😌。愚かな市長を選ぶ、愚かな体質から抜けられない町ですが、懐かしさには負けます😢
久々の金沢話し😍ありがとう🙋
コメントありがとうございます😊
ふるさとは遠きにありて思ふもの
私もそうです。離れているからこそ、よいものだけが印象に残っているのかもしれません。
ただ、あの空だけは心のふるさとのようにずっと息づいています。
多感な思春期のキャンバスとなっているのかもしれません。
大人になった今なら金沢の真ん中に住んでみたいです。
当時スランプで高校を抜け出してよく金沢を散歩しました!
それもいい思い出です☺️
ぜひすてきな金沢との日々を過ごされることを祈っております。