
「 年々にわが悲しみは深くして

いよよ華やぐいのちなりけり 」
これは、新潮文庫の「老妓抄」の中の「老妓抄」という作品の終わりに出てくる歌である。
かの子のこの短歌が好きで、この歌が秋を表しているようで、毎年、秋になると、かの子の作品が読みたくなる。
新潮文庫の「老妓抄」の中に、「鮨」という小品がある。
これを毎年読んでいるように思う。
鮨屋に通う先生と呼ばれる主人公が母と鮨の思い出を語る。
この人は小さいころ身体が弱く、食べるということにけがれを感じる気質だった。
それを見かねて母親が、きれいに洗った手を見せ、新品の道具をそろえ、母がにぎる鮨ですから大丈夫、と言って鮨をにぎって食べさせたという。
神経質なこの人も母のにぎる鮨のおいしさに声をあげて喜び、鮨だけは食べられたのだと。
病弱、寡黙、己を語らない先生が店の娘に打ち明けた母と鮨の思い出。
淡い印象の人物が語る唯一のエピソードだからこそ、胸に強く浮かび上がってくる。
今は亡きこの母と、今は来なくなったこの先生。
先生を慕っていた娘の胸に切なさが漂う。
岡本太郎の母、女流作家の岡本かの子。
大学生のころ、昔の出版の古い装丁の岡本かの子全集を古本屋で買ったら、どこかの女性の遺品だと書いてあった。
私と同じでかの子作品を深く愛していた女性がいたが、この女性も今はこの世にいないのか。
その思い出の全集も母に捨てられてしまったようで今はない。
かの子の文章に立ち戻ると、これほど力強く美しい文章があるのかと毎回驚く。
一文でもいいから、このような美文のすべてのエッセンスが詰まったようなものが書けないだろうかと憧れる。
私の作品紹介はなんとも不様だ…。
岡本太郎も亡き世、岡本かの子を読む世代も少ないだろうけれど、若い人たちにもかの子の魅力を知ってほしい。
新潮文庫の装丁も今は変わっているようで、私の持っているのはこれです。

なかなか書けないままで秋も遠のいて行きそうなので、拙文ですが、載せました。
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