平和祈念式典をテレビで見たことは何度もあるけど、きちんと見たのは今日が初めてだったことに自分でも驚いた。
猛暑の中、高齢の方も多数、参列している。
投下の時刻になると、涙が出てきた。
戦争で多くの人たちが亡くなった・・・
そんな言葉を聞くと、亡くなった人たちのいる荒廃した風景がいつも頭に浮かんだ。
でも、今日、戦争の体験を語る方のお話を聞いて、そうではない、と思った。
死んでしまった人たちの姿ではなく、その人たちが確かに尊い命を息づかせていたこと自体を考えなければならない、と。
死んでしまったという事実と、確かにその時まで生きていたという重み、同じようで違うと今日は感じた。
人生には挫折も苦悩もある。
でも、受験の失敗や失恋などは、それを乗り越えることもできる。
でも、命を失うことは取り返しのつかないことだ。
ナナちゃんを失って、そのことをより強く思う。
戦争を風化させてはいけない。
子どもたちの時代にも平和を保たなければならない。
「ガラスのうさぎ」の著者、高木敏子さんが改めて本を書いたそうだ。
「ラストメッセージ」というタイトル。
「ガラスのうさぎ」を読み、戦後から今まで平和な世の中に生きてきた人たちが、これからは自分たちが子どもたちに平和な世の中を持続させて行かなければならない。
自分たちが受けてきた恩恵を次の世代にももたらさなければ、というようなことを言っていた。
忙しい毎日にかまけず、世の中の流れを自分たちで作っていかなければ。
「人々が亡くなったという言葉より
生きてた命があったこと思う」
死よりも生を思うという視点は、とても前向きでいいですね。
私たちは、戦争で亡くなった方々から生を受け継ぎました。次の世代にしっかりとバトンを渡すことが、彼らの死に報いることになるのでしょう。一緒に伝えていきましょうね♪
平和のありがたさをわからねばなりませんね。
失ってからでは遅すぎるのですものね。
尊い記事をありがとうございました。
毎日厳しい世界の現実と向き合っているskybeansさんは本当に尊いと思います。
ブログで少しでもそんな取り組みについて教えていただければと思います。
目を覆っていることもたくさんあると思います。
生々しい惨状に向き合えないこともあります。
でも、少しづつでも知って行かなければと改めて思いました。祈念式典を全部見ることもひとつだと思いました。