子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

「江原啓之のスピリチュアル子育て」

2008年04月24日 | 子ども

卒乳をきっかけに、電車やバスに乗ってお出かけして、途中でいっちゃんが寝て、その間にウィンドウ・ショッピングや読書をするという楽しみを知った私。

この2週間ほどで一冊の本を読みました。
いっちゃんを産んでから、ほとんど本は読んだことがなかったので、なんだか満ち足りた気分です

TV「オーラの泉」でお馴染みの江原さんの本です。

私は「オーラの泉」は数えるほどしか見たことがないのですが、たぶん、まだこの番組が始まっていない、今から8年ほど前、人生の転機に実は彼の本を読んだことがあって、ずっと後になってこの方の本だったと知りました。

今回、この本を読んでよかったことが大きく2つありました。
1つは、子どもを大人と対等な、あるいは大人以上に立派な存在だと改めて思ったこと。
もう1つは、10年後の自分について考えるという視点を持てたこと。

子どもはひとつの尊重すべき存在だと思っているし、別の人格だとわかっているつもりだけど、目に見てもまだちっちゃいし、言葉も知りません。
大人が導いてあげる、教えてあげる、食べさせて育てて大きくしてあげる、そういう思いも強くあります。
特に自分のお腹から出てきたという母親にとってみれば、肉塊を分けた分身みたいに無意識に感じている部分があるようです。

でも、大人だってむちゃくちゃな人もいれば、子どもでも大事なことをわかっている子、ひとを思いやれる子、いろいろです。
大人が注意したり、諭したりする言葉にも大人の都合が多分にあったり、矛盾があったりもします。
今泣いているこの子の方に理があるな、と思えることもしばしばです

江原さんの考えによると、たましいのレベルでは大人も子どもも関係ないようです。
子どもの方が勝っていることだってあるようです。
そう考えると、いっちゃんという子がまだ言葉や表現手段を持てないだけで、自分のお腹の中にやってきたこと、この家にやってきたこと、ここで何をしようと思ってやってきたのかな・・・
まだ周りの大人もそれを知る術がないだけなんだと思いました。
もしかしたら自分よりよほど立派な人格を持っていて、私に何か伝えようとしてやってきてくれたのかもしれないな、そう思いました。

私が産んだんだ、じゃなくて、私のお腹を通して生を受けた子なんだ、そう思ったら、親のちょっとした傲慢な気持ちがすっと取り除かれるようなここちよさを感じました。

子育ては基本的に15才、中学卒業までは親の導きが必要で、そこからは本人に基本的に任せる・・・そう思うことにしていますが、江原さんもそれぐらいの年までという考えのようです。
おもしろいのは、親が子どもを育てることを「ボランティア」と言っているところ。
一番言いたいのは、子どもは親の所有物ではない、親のエゴを投影させるべきものではない、そういう意味だと思います。
「ボランティア」という言葉は私の中ではこなれないけど、子どもは独立したひとつの尊ぶべき存在だという意味はよくわかります。

親としては、自分たちの遺伝子を受け継いだ子ども、母親のお腹から出てきた子ども、少なからず自分たちの育て方に影響を受けた子ども、自分たちの要素を取り入れた種が大きくなって行くというイメージだったのですが、その考え方は変わりました。

「たましい」というのがあるとして、その出所は家族も全く別々だということです。
お互いに自分が学ぶにふさわしい場所としてその家族を自ら選んで生まれてくる・・・。
深い縁で結ばれて、一時期をいっしょに過ごすけれど、元々それぞれに学ぶべき目的があって、それぞれの人生を歩いて行く・・・。
親も子どもから自分にとって必要なことを学ばせてもらう・・・。
家族も、自分を取り巻く環境も、すべて自分にとって学ぶ必要のあること・・・。
あの人が悪い、こんなはずじゃなかった、どうしてこうなってしまったのだろう、・・・そうではなく、自分にとって必要なことが起こる。
昔から言われることわざにもそんなことを諭す言葉がたくさんあります。
それを別の視点から納得させてもらった感じです。

親としては、子どもが広い大海原に船を出して行く、その前に何か指針になるものを持たせてやりたい、強くなれるように何かを教えてあげたい・・・いろいろな思いはあります。
でも、教えてあげなければ、と思うこと自体が傲慢なのでしょうね。
子どもは子どもがこの世に生を受けたその目的に沿って自分で挑戦、失敗、成功、発見を繰り返していく・・・。
ひとつの言葉で言い換えると「信じる」ということはそんなことなのかもしれません。

「この子はいったいどんな子になって行くのかな・・・」
そう今まで思っていた自分ですが、ちょっと見方が変わりました。
「この子は何をして行きたいのかな。何を私に伝えるために生まれてきてくれたのかな。」

大人の基準に照らすと、まだできないことばかりの子ども。
そんな小さな今だって、きっとお母さんのすることをよーく見て、何にかを感じて、メッセージを送ってくれているはず。
「たましい」のレベルではいつも対等に向かい合っていたいと思いました。

そんなことを考えていると、人生の大きな目的は?目標は?ということより、ちょっとした日常からいつも自分が学べることを探して気づいて行けたら、それが有意義な人生なんだと感じました。

もうひとつの、10年後の自分について・・・
子育て中の主婦にとってそれを思い描くなんて無理、無駄、先が全く読めないもん!・・・
なんて思っていたし、この本の項目を見たときも、ここは飛ばして読もうかな(笑)と思うほど、自分にはない視点でした!
でも、10年後の自分の夢や理想はできるだけ具体的にイメージして、そこに近づくためには今日、何をして過ごしたらいいか、毎日夢が変わったっていいから、それを続けることが大事、そんなことが書いてありました。

そう言われれば、確かにそうだ・・・。
いろいろ考えています。
差し当たり、いっちゃんに手もかからなくなったわ~、なんて思うころ、私は50才手前になっているのです!!!
キヤー・・・。
そう考えると、ますます10年後の自分について考える必要があります・・・。
これについては、また考えてみて、書けたらいつか書きます。

いっちゃんも子どもらしくなって、つき合うのも楽に、また別の楽しさに変わってきました。
赤ちゃんは卒業したのですね。
だから、いろいろ母も遠くを見渡してみたいと思う今日このごろなんです。
本を読むのもいいですね~







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2 コメント

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お久しぶりです (ウッシー)
2008-04-29 10:52:12
ご無沙汰しました。
つらそうな乳離れの記事以来です。
赤ちゃんを卒業されたのですね。
10年後のご自分を考えていらっしゃるなんて
さすがだと思います。
こどもを一人の人と見ていっしょに生きて行くのは当然のことなのに、それが出来ない人もいますね。
私も孫に助けられることが多くなりました。
教えられもしています。感謝して過ごしています。
どうか良い連休をお過ごしくださいね。
私へのコメントのお返事はまだなのですが、その前にこちらにお邪魔したかったのでした。
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助けられる (3うさの)
2008-04-30 00:02:00
自然に「助けられる」と感じられるのは、子育て(孫育て)が自然に実りを持っているからだと思います。

10年後については考えるというところまでは行ってないんですけど、思いを巡らせているだけです・・・。

家族円満の連休を過ごせるようにしたいと思います。

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