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お正月に実家に帰ったとき、電池が切れてから使われていない実家のデジカメを夫が開けてみたのです。
親戚にいただいてからしばらく撮っていた昔の写真が甦りました。
2003年の年末から2004年の正月、そして私の姪っ子ゆきちゃんが誕生するまでです。
ちょうど3年前です。
このときのお正月はじいちゃんも元気な表情です。
思えば、従兄妹2人が結婚し、私たちが結婚しで、じいちゃんにしてみると、孫が3人も結婚し、みんなが遠くから結婚相手を連れて遊びに来ているのです。おまけに、今でもじいちゃん大好きのひ孫ゆきちゃんも生まれるとき。
いい表情をしているのも肯けます。
写真は家の餅つき器でついたお餅を切っているじいちゃんの横顔です。後ろにはひ孫の兄弟が遊んでいます。
なにげない一コマですが、とても貴重な写真です。
私のパソコンで写真を映し出したとき、じいちゃんがそこにいるように感じました。
紙でなく、画面だったから一層リアルだったのかもしれません。
見たことのなかったじいちゃんの写真が甦って、失われた時間が一瞬甦ったような不思議な感覚。じんわりと涙が出てきました。でも、やっぱりじいちゃんはもういないという寂しさ・・・。
高校卒業後に家を出て、それからずっとばあちゃんの畑の野菜やいろいろをじいちゃんが率先して送ってくれました。
中にはいつも筆で書いた手紙が入っていて、「都会の生活でも負けるな」というような励ましが書いてありました。
「ありがとう」の電話を待っているからか、じいちゃんもばあちゃんも荷作りは生き生きとしていたようです。
今思えば、それが大事な孫との接点だったのでしょうね。
じいちゃんが亡くなって、いっちゃんたちにじいちゃんのありし日のことを書いておきたいと思うようになりました。
そして、じいちゃんの祖先はどんな人だったのか、知ることができればいいのにな、と思うこともあります。
でも、こうも思います。
自分が生きていること、いっちゃんが生まれたこと・・・
こうして代々子どもが生まれる歴史は、どんな人たちがいたのかということより、何よりも愛情を注ぎ、受け、その繰り返しで今があるんだということ。そのことにとても意味があるように思う今日このごろです。
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