子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

うさぎのこころ ひとのこころ

2009年01月31日 | うさぎぷっくの<月毎>健康記録

てんかん持ちのうさぎ・ぷっくの毎月の記録をしてます。
でも、もう本当はぷっくはてんかん持ちとは言えないくらい、病気ひとつしない元気なうさぎになりました

今回は、うさぎについて、人間について、思うことをこの記録に書きます。

息子を産み、育て、母と父の違いなども感じます。
母の方が(というか、女の方が、かな?)現実的です。
だから、鼻風邪で鼻くそが詰まって息苦しそうに寝てる子の鼻をこじ開けて鼻くそを取り出すのは母です
父は「かわいそうだから、もういいんじゃないか・・・。」と言います。

うさぎも同じようなところがありまして。
毛が抜ける時期、何が何でも毛を取るのは私です。
夫はうさぎと和やかになでなでしています。
私からすると、もうちょっと毛を取ってほしい・・・と思いますが・・・

鼻くそを取るのは息ができてゆっくり眠れるように、毛を取るのは毛繕いでなめて毛がお腹に詰まると腸の動きが止まってひどいときには死にも至るから、です。

まあ、そんなことで、私は毛の抜ける時期、なでたり遊んだりするとき、毛を取ること優先でやってます。
うさぎ本人たちも、本当は取ってもらうとむずがゆさもスッキリしてる(?)ようで、気持ちよさそうにもしてますが、ずっとやってると、「もういいでしょ~?」というモードになってきます。
そして、ただなでなでするだけの方が気持ちいいのもわかります
それでも取れるときに取ろうというのが私です。

自分でももう少しリラックスモードでなでなでしてあげられるといいんだけど、実務的(?)モードだけの時間になってるのが、ちょっと悪いな、とも思います

そこで、毛を取ることに目を光らせていた私、ちょっとモードを変えてみました。
ぷっくに、甘~いささやきで、「かわいいコだね~。いいコだね~。そうだよね、本当は甘えたいんだよね。いいコだ、いいコだ・・・。よし、よし・・・。」
という声に変えてみたら、ケージの中にいたぷっく、片方の耳をこちらに傾けてじーっと耳をそばだてて聞いています。
顔もやわらかい表情になって、甘ったれモードになりました。

今まで、声色を変えて意識的に様子を見てみたことはなかったんですが、こんなに反応が違うのかと思いました。
やっぱり、人間でもうさぎでも、やさしい声、甘やかしてくれる声、かわいいと言われること、そこに思うこころがあると、うれしいんですね。
改めて考えさせられました

私が今している仕事はスポーツクラブの接客業。
毎日、テーマをもって仕事に臨み、仕事が終わるときにはテーマに基づいて報告をします。
そのテーマについて、上司がひとこと言いました。
必ずテーマをもって仕事をするように。
でも、どうしても自分のテーマが見つからないときは、お客さまに元気になってください、その気持ちだけでもいい。
それがお客さまには伝わるから・・・。
と、言われ、ハッと思いました。

仕事、勉強、何か片付ける、区切りをつけて進めるものというのは、こなすことに重点を置きがちです。
事務仕事ならそれでも構わない、受験勉強ならこわい顔しながらでも歯を食いしばってがんばればいい。
でも、心をもってあたる行いには、大切な基本があるんですよね。
何か、表面に出ること、形になること、言葉にすること、これは意識してできます。
でも、その形になる瞬間、終わった瞬間の表情は、本心が出ると思います。
親は子どもに必要なことを伝えるけど、子どもはその言葉よりも、親の表情で読み取っているんでしょうね。
うさぎだって、そのこころを受け取っているんでしょうね。
お客さまだって、形で接しているか、こころで接しているか、必ず感じ取っているはずですね。

ちらっと見た志村ケンの動物番組の1シーン。
ずっと人間から虐待されてきた犬のこころを開こうという試み。
大人より子どもの方が恐怖心を抱きにくいかもしれないということで、ある一家の子どもたちが犬の名前を呼んでいました。
何か外国人の霊能者(?)みたいな人が、本当にその犬が大事なんだという気持ちを込めて呼んでごらん、とアドバイス。
子どもたちはもう一度呼びました。
すると、犬はそっと近づいてきて、子どもたちの手のにおいをかぎました。
ほんの少し、気持ちが通じた瞬間でした。

頭では子どもがかわいいとわかっている。
忙しいけどこれをしなきゃ、と思って家事をしている。
でも、頭でわかってることと、伝わることは違いますね。
「こころを込める」ということを時々意識しようと思いました。

無意識、無自覚で日々過ごしても、さして支障はないですね。
そして、「こころを込める」ことは本当は本質的に違うことになるのでしょうけど、簡単に考えるならば、無意識に過ごすことより、120%とか、150%とか、しあわせが上塗りされるような、表面に光沢が、艶が出て、人生が少しキラキラしたものになるイメージが湧きました。

子どもや動物はそんな感覚を充分に持っていると思います。
でも、大人になった自分はだんだん失っている感覚だと思いました。

息子のいっちゃんが風邪をひき、あわやインフルエンザか、高熱が出たら熱性けいれんか、などと心配していましたが、高熱は出ず、ほっとしています。
心配だけでも頭や体が重くなった母、うさぎの当番で遊びとケージ掃除をしました。
始める前は、ちょっと体もだるいし、夫に代わってもらいたいなあ・・・と思ったのですが、遊び終わると、なんだか頭がスッキリして、疲れがどこかに飛んで行っているのがわかりました。
「こうちゃん、ぷっく、ありがとうね!」とお礼を言っていた私でした。

こうちゃんもぷっくも4才。
中年ってとこでしょうか。
なんだか人情の機微もますますわかるようになり、かわいさも増すうさぎたち。
うさぎも中年の域に来て情感豊かになってるからでしょうか~

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