子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

本当の芸術-主婦になってわかること

2007年02月03日 | 子ども

先日お琴の記事を書いてから、10代の自分との対話が続いています。

「普通の主婦」がいやで、「芸術か福祉か」で進路を迷い、「個性」の追求をして、本当の「芸術」を求めていた高校時代。

クラスの学級日誌のようなものに「私は何にもとらわれない。自由を求める。」というようなメモを書きました。
当時の担任の先生からは「定義づけて区別していては本当の自由はわからない」というようなコメントがありました。
私には何度読んでも意味が全くわかりませんでした。
でも、とりあえず覚えておこうと思って、何度もその言葉を読み返しました。(細部は忘れてしまったけれど・・・

今ならわかるような気がします。
上に書いた「 」の言葉は自分で勝手に定義づけしていた不自由な言葉だったと今わかります。
自分で不自由を勝手に作ってそこから自由になりたいと、もがいていたわけです。

「普通」の主婦なんてどこにもいないこと。
「芸術」も「福祉」も私が求めていたものには差がなかったこと。
「個性」とは一目でわかるようなものではなくて、じっくり見てつきあってわかるものだということ。とても地味なものであること。
「芸術」とは何か人生や生活から切り離されたものではないこと・・・・。

もちろん、これらの見方も私個人の見解なので、定義などできるものではないけれど。

そして、この高校時代の私については、もうひとつ、こころに残る言葉をくれた友人がいます。
それは私が30に近いころでした。
「あなた(呼び名)も私も自分の欠けたところから芸術を見ようとするところがある。でも、私は本当は健康なこころで見てはじめて本当の美しいものがわかるんだと思う。」
こんなようなことをその友人は言いました。
私は音楽が好き、彼女は美術が好きで、それに係わってきたのでした。
当時の私は「欠けたところから世界を見た方がいろんなものが見えるんじゃないのかな・・・。」と思っていました。
でも、彼女の言葉も胸にしまっておこうと思いました。

純粋なものが好きな青春時代は、そうじゃなく映るものを毛嫌いするきらいがあります。何が純粋で何が不純なのか、本当は区別もできないのに。
「純粋な芸術」を求めていた私は「生活」というものが苦手で、きらいでした。だから、勝手にイメージした「普通の主婦」というものがとってもきらいだったんだと思います。

でも、(ある意味、今、普通じゃなく変な主婦?かもしれませんが)、「(一応)普通の主婦」として「生活」していて、「芸術」と呼ぶのもなんかちょっとしっくりしませんが、とってもクリエイティブな気持ちが湧いてくるのです。
これがきっと本当の「芸術」というものだと思います。

じゃあ、その「芸術」ってどんなものかと言ったら・・・。
垣根のないこころだと思います。
ここからが「芸術」で、ここからは違う、なんて線引きできないこころだと思います。
もう少し別の言葉で言うと、「尊いものを尊い」と思うこころだと思います。
それが10代の私に向けて言える今の私の結論です。

生活者の主婦として、クリエイティブに毎日を過ごしたいな、とあるとき思いました。そして、その生活を自分で勝手に「主婦の生活工房」と呼んでみたこともあります
でも、別にネーミングなんてどうでもいいのです。
「尊いものを尊いと思い、こころが動かされ、何かを表現したいと思う気持ち」これが芸術だと最近思うのです。

3匹のうさぎを飼い、また1匹のてんかん持ちのぷっくをよーく観察して、うさぎのこころと体の様子を見つめ、ひとつの命の形がいかに尊いかと感じて、誰かに伝えたいなあと感じます。

早朝に出かける夫にせめて朝ごはんを家で食べられないなら、簡単でもお弁当を作ってあげようと思って作る、この表現も芸術だと思います。

大きな犬よりまだ小さいような赤ちゃんのいっちゃんが庭にチュッチュが来るのを楽しみにしている。こんなささやかな出会いも素敵だなと思います。赤ちゃんのこころのなか、頭のなかはどうなってるのかな、素晴らしいなと思うこころにも芸術の芽があると思います。

尊いものを尊いと思って、自分の中で感じることもよいことだけど、そう思う気持ちをなにかの形でほかの人に伝える、分かち合う、表現する、これが芸術だと思います。創造的な活動だと思うのです。

勝手な「定義」に縛られていた10代。
でも、主婦である今、健康なこころで美しいものが見られるようになりました。
「命の尊さ」が叫ばれています。
いざ、それがどんなものか、説明しようとすると難しい。
でも、私には今、命の尊さが少し表現できるような気がします。

MAHOROBA RABBITRYで足が悪かったビッケちゃんといううさぎが先日亡くなりました。
それを知って悲しくて、ビッケちゃんのことを考えていて、そのがんばり、命の尊さを思ったとき、あれこれ考えて、書きました。
うさぎという小さな命の輝き、尊さ、それを思うと、たくさんある日常の尊いものをもっと大事にしたいと思います。
そんなことをこれからも、ブログでも生活においても、表現して行きたいと改めて思いました。





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