今月いっぱいで有線を解約するので、MDにたくさん取りだめしていて、「日本の伝統音楽」というのを聞きながら記事を書いていました。
高校時代までは地元でお琴を習っていました。
親師匠のそのまた師匠に大きな演奏会などでお世話になりました。とても厳しい先生で、本当にこわかったです・・・
いい子、いい子で高校まで来た私には高校時代に反抗期が来ました。
そして、伝統芸能の世界にもとっても反発心が強くなってしまいました。
思い返せば恥ずかしいぐらいにばかなことをよく考えていました。
伝統を守るために身じろぎもできないなんて、おかしいとか、日本の音楽はアジアの音楽と融合して新しいものを見出さなければ煮詰まって行くばかり・・・とか。
中国音楽を日本のお琴で弾こうとしたり、インドのシタールの曲をお琴でまねてみたり、バイオリンを中古で買って練習してみたり(まったくダメでしたが)、ハードロックのギターの奏法に学ぼうとしたり・・・
30代になって、昔が恥ずかしい・・・と思っていましたが、NHKの朝ドラを見ていたら、「青春時代って視野が狭くて切迫していて、恥ずかしくて、そんなものかもしれないな」ともこのごろ思いますが
昨年の夏に、厳しかった大師匠が亡くなりました。
200年でも芸道を極め続けて生きられるほどの熱意、情熱をお持ちの先生が亡くなるなんて・・・。ショックでした。
いつかきっと、もう一度、厳しいお稽古を受けられるものと思っていたのに・・・。
そんなことを時々考えると、私の考え方にも変化が出てきます。
お免状をもらう試験曲を選ぶとき、自由曲は親師匠には古典を薦められました。
でも、自由なら、私は自分の好きな曲を弾きたいと思いました。
それは、亡くなった大師匠の十八番でした。
親師匠は許してくれて、大師匠に直々に習いに行きました。
自分流に練習してきた曲を弾き、大師匠はおっしゃいました。
「今の出来では75点。今からだと、試験までには85点にしかならないけど、いいですか?」
「はい、お願いします。」
好きな曲ですから、一生懸命練習しました。
結果は実技曲の中では一番悪かった85点、大師匠の言うとおり、ピッタリ85点でした。私の腕と時間、ご自分の指導、いろいろ考え合わせて予想した点数がピッタリで、驚きました。
それよりもよい点数のものもありましたが、今は全然弾けません。でも、その曲は試験が終わっても毎日練習して、及ばずながらも私の十八番でもあります。暗譜していて、いつでも今でも弾けるのはこの曲だけです。
「子守唄変奏曲」という曲です。
幼少から習ったお琴。なぜずっと続けていられたかというと、ポツリポツリと、何年かに一度、こころを動かされる曲に出会って、「いつか、この曲を弾きたい!!!」と思えたからだと思います。
もうひとつの曲は「瀬音」という宮城道雄の曲です。
亡き師匠を思うと、もうこの世にはいない師匠ですが、かすかに自分の腕の中には師匠の情熱が流れているんだな、生きているんだな、と思えます。
これが伝統というものなのかもしれない、と思います。
人間の一生は亡くなってしまうともう何も形には残りません。
音楽もいくら録音しても完全ではないし、音は目にも見えないし、聞き終われば消えます。
人間の一生に似ています。
そんな形のないものが腕から腕に、こころからこころに流れて行く、あたたかな流れが脈打つ・・・。
10代のころは、伝統を守るだけなんて、発展がなければ意味がない、なんて思っていました(何もできないのに)。
でも、30代半ばの今の私には伝統を守る、素晴らしいものをそのもの、そのまま受け継ぐだけでも価値があることだと思えます。
10年以上、ほとんど弾いていませんが、この間にいろんな人生経験をしたので、弾ける時期が来たら、前よりは豊かな音楽が奏でられるのではないかと思います。
有線を聞いていて、書いておこうかと思い、書き綴りました。
写真は敬老の日の行事で3年ほど前に弾いたとき。
会場が学校だったので、体育館の裏で調弦中です。
サンダル履きにイスの上、ゆかた、こんなんでいいのでしょうか?
これでいいのだ!伝統芸能バンザイ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます