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今日は私のじいちゃんの命日でした。
三年が経ちました。
花を育てることに特別力を入れていた記憶はないのですが、いつも会社の自分の机に飾る花を家から持って行くという秘かなロマンティスト(?)だったようです。
だから、今日はきれいなカサブランカを飾ってあげました。
今はちょうど相撲の場所中です。
両親が共働きだった私たち姉妹には、学校から帰って、また外で遊んで帰って来ると、夕方、祖父母がいてくれて、場所中はいつも相撲のテレビがついていました。
ばあちゃんとじいちゃんはいつも懸賞が何本出たか、などの共通の話題で盛り上がったり、郷土力士を応援したりしていました。
小学生まではただの退屈な番組でしたが、中学になって私は大の相撲ファンになったのも、祖父母のおかげです。
今も相撲は唯一、スポーツの中で好きです。
家に帰ってごはんを食べると、ほとんどが勉強時間という中学時代に比べて、小学校時代は自由がいっぱいありましたから、このじいちゃんとばあちゃんと過ごす夕暮れの時間になんともいえない郷愁を覚えます。
何かに夢中になるわけでもなく、とりとめもない時間なのですが、夕方早い時間からばあちゃんはご飯ごしらえに取りかかり、相撲の終わる6時よりも早くじいちゃんは帰ってくる。
薄暗くなってちょっぴりさびしくなる時間に祖父母がいてくれたこと、本当にあたたかく、のんびりとした思い出です。
じいちゃんは時々、おもしろい話をしましたが、普段は無口な人でした。時々、鼻歌程度に民謡のようなものを口ずさんでいました。
無口だったけど、いつも気持ちは孫たちに向いていました。
背中で語るというのか、黙々と何かをしてくれた姿が思い出されます。
器用な人だったので、自転車のパンクを直したり、吹雪の中を学校からちょっと遅くなるとタオルをかぶった姿で迎えにきてくれたり、親元を離れてからはいつも荷造り用の結び方(私にはできませんが)できちっと縛って野菜などを送ってくれて、中には筆で書いた手紙がいつも入っていました。
お説教くさいので、ちょっと煙たかった手紙だけど、ちゃんと残しておけばよかったな。
じいちゃんのエピソードで最近思い出したこと。
私は社会人になるまで、周囲に多大な迷惑をかけるほどの遅刻魔、忘れ物常習犯でした
なかなか出かける気配のない孫娘に、じいちゃんは「ちーはムカデのお出かけや。」と名づけてくれました。
「何でかっちゅうと、ムカデは足、いっぱいあるやろ?ほやから、わらじ履くのに時間かかるからや。」
そんな話をうれしそうにしてたこともありました。
社員旅行などで各地に行くと、いつもこけしを買ってきてくれました。
こけしでおままごともしましたが、それほど興味があったわけでもありません。
でも、今思えば、こけしを見て、小さい孫娘を思い浮かべて、かわいらしいものを買ってきたかったんでしょうね。
そう思うと、じいちゃんが微笑みながら買っていたような気がして、嬉しい心遣いです。
私がのんびり屋で遅刻ばかりしてるので、それをたしなめるのに言っていた言葉もおもしろいです。
「汽車やらバスやらに、お~い、待ってくれ~、言うても、待ってくれんぞ。能登の電車ならちょっとぐらい待ってくれるし、バスでもバス停やのうても止まってくれるけど。」
人がよく、お人よしがたまに傷、と家族から言われたじいちゃんの性格は奥能登出身だからでもあったでしょう。
本当に昔の男で、寡黙なじいちゃんでしたが、(娘たちには不満も残るらしいですが)孫はとにかくかわいがってくれました。
じいちゃんに私の感謝の気持ちなどがどれだけ伝わっていたかはわかりませんが、私自身はじいちゃんから充分に愛情を注いでもらって、わかり合えなかった、など思い残すことはありません。
でも、何度か書いてますが、晩年、じいちゃんは荒れたままに亡くなったので、いつも御釈迦さんの教えを人に聞かせたりしてたじいちゃんがそんな最後を送ったことには残念な気持もあります。
じいちゃんが亡くなってすぐに私はいっちゃんを授かりました。
だから、どこかでじいちゃんの魂がもう一度人生をやり直したくて天国へ行く途中でUターンしてお腹に入ってきたんじゃないかという気もしています。
私がそう思いたいんだと思います。
そうやってじいちゃんが次の人生で名前にあったように清らかに生きてほしいと思っています。
そう思うことで、少し気が治まるようで・・・。
また、時々思い出したら、じいちゃんのエピソードも書いておこうと思います。
今日はじいちゃんの命日だから、じいちゃんを偲んでじいちゃんへの感謝の日記とします。
じいちゃん、これからも私たちを守ってね。
天国で微笑んでいてください。
※後で、命日は22日だったと知りました。日にちの勘違いでした。
お爺様の思い出、今のお気持ち、心にしみました。
孫と暮らす私たちにはいっそうのこと、深くしみ入ったのでした。
毎日を大切に暮らします。この記事に感謝しています。ありがとうございました。
お孫さんたちはお母さんのいないさびしさもあると思いますが、おばあちゃんがお母さんの分も心と体を尽くして愛情を注いでいらっしゃること、大きくなればなるほど深く身にしみてくることと思います。
女の一生をそのときそのときの自分の年齢とおばあちゃんの年齢とを照らして感じて行くのだと思います。
そのしあわせはかけがえのないものです。
限りも区切りも見えない、広くて深い愛情に応えきれないもどかしさと言い表せない幸せを孫は感じるのだと思います。
母と祖母が上京していて、お返事が遅くなしました。
祖母も子や孫、ひ孫に会いにはるばる来られるほど元気でうれしいことです。