子どもたちを守りたい、子どもたちを見守りたい、そのために何ができるか。
いじめや虐待から子どもたちを守りたい。
苦しんでいる子どもたちを解放してあげたい。
私は小学校で図書館司書をしています。
子どもたちがかわいくて仕方ありません。
子どもたちの力になりたいという思いが強くて、そしていつも泉のようにその思いがわいてきて尽きません。
あるとき、研修でビブリオバトルの原稿を書きました。
おすすめの本の紹介を自分の人生と絡めながら行い、どの人のプレゼンがよかったかを投票するのがそのバトルです。
私は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を紹介しました。
宇多田ヒカルがテレビ番組でこの作品の言葉を引用していました。
作品中の燈台守の言葉。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進むなかでのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
宇多田ヒカルは子どものころから不安定な環境で育つ。急にアメリカへ行く、明日から日本に戻る、明日から両親が別れる…安定や安心のない日常しかなかった。
つらかったのだろう。
でも、そんな宇多田が他人を見て、つらそうだとか、不幸だとか、そんなことは評価できないと語っていた。
そのことがあるから、振り返ったときによかったと思うことがあるから、と。
この宇多田の話を聞いて、そして「銀河鉄道の夜」の紹介を考えていた私にも納得できることがあった。
私は両親が不仲でもめることの多い家庭で育った。
つらい子ども時代を送ったから、子どもたちの力になりたいという思いが強くて、いつもあふれてくるのだ、と。
そして、図書室でも時々、教室に入れない子どもたちとつき合うこともあり、目の前にいないどこかの子どもたちに思いを馳せることもある。
NHKEテレのホームページでマダ友プロジェクトというサイトがあって、そこに悩みを書き込むものがあり、しばらく、悩んでる子たちに励ましの言葉を送っていた。
そして、気づいた。
誰かの力になりたいと思う人(自分)は、解決を見たくなるんだ、と。
でも、困っている子どもたちも大人たちも、そんなに簡単には解決できないから悩んでるんだ、と。
学校でつらそうにしてる子たちには自分の声かけで笑顔になってほしい。
暗い顔をしているのを見ると、こちらもふさいでしまう。
悩みを解決できそうな言葉をかけたら、すっきり晴れやかな気持ちになってほしい。
でも、そうではないんた、と。
暗い顔していても、悩み続けていても、それ自体を受け止めて、さらっと流しながらもあなたは大事な存在なんだよという気持ちだけ伝わるように見守ること。
これしかないんだ、と。
自分自身がすっきりしたくなってはいけないんだ、と。
そして、悩んでる子どもたちに必ずしも自分が役に立てるとは限らないこと。
人と人とは出会いだから、誰の言葉が響くかは、わからない。
こちらがどれだけ力になりたくても、私の言葉ではピンと来ないことも多い。
だから、世の中の困っている人を助けたいと思っても、その心と心が出会えて通じ合えることって、まれなんだと実感しています。
ただ、あなたは大事なんだよ、という気持ちだけは伝わるようにしたい。
それだけなんだと、このごろ思います。
悩みは解決させようとしてはいけない、聞いてあげるだけがいいとはよく耳にしますが、悩み続けている人を見続けるのはつらいですが、それしかできないんだと思います。
だから、自分が誰かを助けるなんて大それたことは考えない方がいいんだと思います。
見守る、愛で包み続ける、そのオーラに少しでも安心感がもてれば、万々歳なんだ、と。
子どもたちには、いろんな人と出会って、いろんな価値観に触れてほしい。
ただ、目の前にいる人には解決策は語らないけれど、ここでは、何か伝わればと、メッセージを書いてゆこうと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます