「 箏弾きて胸がいっぱい
あなたとの対話は箏で念願叶い 」
大学時代から5年間お世話になった箏の師匠。
親元を離れて関西で暮らす私をご家族であたたかく受け入れてくださった師匠宅。
公私ともに最も尊敬する師匠に10年ぶりに会いに行った。
息子が高校生になり、自分が若かりしころにお世話になった方の恩が思われる今日このごろ。
昨年は先生のご主人のことがよく思い出されていた。
車で送っていただいたことがあり、結婚というものについてよいお話をしてもらったことなど。
年末のお便りでご主人が亡くなったことを知る。
先生からの年賀状もここ3年ほど来なくなり、どうしてかな…とさびしく思っていたら、いろいろあったことが人伝にわかった。
どうしても、会いに行きたいという思いが募り、感染者の少ない状況を見て祖母と先生に会う旅だった。
肩が治って間もないので、小さいころに楽しく弾いた「歓喜の曲」を2パートで合わせていただいた。
私にとっては合奏というものが10年ぶり。
明るくキラキラした曲✨
なんて楽しいんだろう♪
音を合わせていた方とは音を合わせてこそ、会ったと言える。
「六段」もお手合わせをお願いした。
私は流れのとらえ方が小手先だけだと感じた。
水道水をチョロチョロ出してるような。
先生の曲は緩急、物語のある川の流れ。
箏曲は「六段」に始まり「六段」に終わると言われる。
これからの課題ができたことがうれしい。
肩や首の不具合がよく出る私から、先生はどうですか、と質問。
懐かしさも相まってか、手や指の大きさを比べたり、踏ん張る膝の太さが違うのよ、など、職人の身体、身体も楽器になっている先生のお話。
顔を合わせてお話ができて、なおかつ、音で対話できる喜びを噛みしめた。
上達したいと焦るかのような若いころには自分の音で耳が塞がれていた。
今、人生経験を経て、やっと先生の音の流れに耳を傾けられるようになった。
また、伺います、と笑顔でさよならした。
先生は見えなくなるまで見送ってくださった。
雨がちらつく行きとは変わって雨上がりの空が清々しかった。
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