子どもとうさぎとねこと音楽のある風景

息子いっちゃん(2006年3月生)と3匹のうさぎと3匹のねこのいる歌と琴が好きな主婦の記録

ピンチはチャンスで、相撲と演技と

2010年02月14日 | 私の周辺

スポーツクラブの受付。
一年余りが経ちました。
でも、まだ対応能力がないな~と痛感させられるこのごろです

バイトゆえに何人もいた先輩たちもだんだんといなくなり、古株の領域に入ってきてしまい、新人さんもどんどん入り、きちんと指導しなければなりません。
でも、いままではなんとなくやってきたような内容とかも、しっかり把握して教えてあげなければならないし、自分でもまだあせって応対してることもあり、力不足を感じます

自分が年齢的にもみんなよりも上なのにできてないことがあると、さらに落ち込みますね・・・。
でも、今までとは違う乗り越え方ができそうな気がしています。

その乗り越え方というのは、私の好きなお相撲になぞらえた考え方です

今までだったら、できてないことにじっくり向き合ってるうちに、泥沼にはまりこんでしまうことが多かったです
でも、今回自分で思ったのは、「得意な方向から苦手を克服する方法」です。
「急がば回れ」法とでも名付けようかな

例えば、「あそこで上手投げができれば文句なしに勝ってたのに・・・」と落ち込む。
でも、上手投げなんて、そうそううまくは決まらないし、よっぽどの力量じゃないとできない技です。
それを急に鍛えても反映されるのはかなり難しい。
そして、できない、できない、といつまでも悩み続けなければならない・・・。
これがド・ロ・ヌ・マなのです

でも、そんなに大した技じゃなくても、一見あまりかっこよくない「がぶり寄り」でも、それが自分の得意技なら、それから確実にして行けばいいんです
そして、今まではできなかったような場面でその「がぶり寄り」ができれば、それはその本人にとって、飛躍なんです

大相撲解説を聞いていると、どの親方も「自分の型を持たなければ・・・」そればかり言ってます。
そのことがピンと来なかったんですが、今、自分の身に引き当てて(?)考えてみると、わかる気がします

実際、どんなことができないかと言うと、イレギュラーな対応です。
「え?そんなの、聞いてないよ」とか、例外的な対応を迫られて、判断を仰ぐ猶予がないようなときです。
(私がなんとかしなきゃいけないけど、それを決める権限もないし、どうしよう・・・。)
そんなとき、あせります。
でも、上手な人なら、何食わぬ顔で「少々お待ち下さい・・・」と笑顔で返せるんです。
それが私は顔にあせりが出ちゃうんですよね・・・
そうすると、お客さんは不安になるのか、お怒りになることが多くて・・・
悪循環なんですよね・・・

自分の都合を挟んじゃいけないとは思うんですが、差し迫ってくると、お客さんの立場にまで気持ちを持って行く余裕がありません。
「目の前のお客さまを大切に」「お客さまの立場に立って」「クレームを言ってくるお客さまにとっても快適なクラブを」そういう言葉は聞いてるだけならわかりますが、現場では難しいことも多いです。

接客は所詮、業務だから、仕事と割り切ればできる。
・・・はたしてそうか?
接客も本心が結局は出てしまう、良くも悪くも結局伝わるんだと、このごろしみじみ思います。
仕事と本当の自分は違う、プライベートが本当の自分なんだ。
なんとなく昔はそう思っていましたし、接客も建て前でこなすものと、思っていましたが、違いますね。
結局は、本心からどんなお客さまのことであっても、考えられるかが大切なんだと思います。
そうすると、「接客」と言っても、これは「愛」です
究極のところ、いかに、どんな人でも「愛せるか」なんだと思います。
「接客」も奥が深いです。
「愛」とまでいかなくても、「尊重」は絶対なのでしょうね。

そこで、「演技」」も出てきます。
「演技」というのは、「うそ」と訳せるような言葉かもしれません。
でも、四十を前にして、やっとこのごろこんなことを考えられるようになってきました。
「演じること」とは、「自分を客観的に見ること」なんじゃないかと。
それが、大人の心持ちなんじゃないかと。

「声楽」を習っていても思いました。
悲しい歌は悲しく歌うと興ざめです。
明るく歌うから悲しさが引き立って感動を与えます
歌う人が悲しんでいると、聞く人は冷めます。
理性半分、感情半分が大事らしいです。

「本心」で人に当たりながらも「演じる」ことが大人のあり方なのかもしれない、と思います。

自分の感情だけに溺れてぶつけているうちは、闇雲に感情的になってるだけで、相手も結局目に入っていないのかもしれません。
でも、適度な距離感を保って相手を見て、自分も見られれば、そこに新しい可能性が生まれるとでも言いますか・・・。
なんて、なかなかできませんが

子育ての本「子どもへのまなざし」には、とにかく子育てで大事なのは「待つこと」だとありました。
「待つ」ということは「信じる」ということだと思います。
「今のこの瞬間」をどうこうしようということじゃなくて、「きっといつかわかる日が来る」と思うことです。
そういう、相手との距離感が人間関係の余裕、ぎくしゃくしないゆとり、を生むのかもしれません

フロントを「演じる」、母を「演じる」、妻を「演じる」という意味は、自分の感情をストレートに出すことじゃなくて、相手に礼節を保って相手を尊重することかな、と思います。
だから、それは「本心」の「愛」であり、「相手の尊重」になるんじゃないかと・・・。

思えば、この先生が大好きだという先生は、余裕がありました。
きっとこの子も将来、いつかわかるときが来る、と大きく構えて見てくださる先生がいらっしゃいました。
思いの気がぐーっと伝わるような人格者が。

今回、そんな(他のひとにわかりにくい?)ことを自分で発見して、なかなかできないけど、自分なりにわかっただけでも一歩前進かなと思っています。

まだガキンチョのいっちゃんにも礼をもって接して行かねばと、こころのどこかで思っているんですが・・・
すぐに怒ってしまいます
感情を出さずに引っ込めるところは引っ込めて、「母」としての自分を「演じる」、それが子どもへの礼儀なのかなと思いつつ・・・。

雪が降りそうに寒いこのごろ。
外遊びに連れて行くどころか、寒くて「♪おかあさんはこたつで丸くなる」の体で、だらだらしてばかりいることに反省。
今日はTVの時間も多かったけど、「手作りチョコ」の時間と「絵の具お絵かき」の時間を設けましたよ
これが言ってみれば「母」としての子どもへの「礼節」です。
なんてことないんです
普通のママならちゃんとやってることなんです
それをなんだかんだもったいつけてるだけなのよ~

こんなふうに考えないと一歩進めない厄介な私です

今日、夢に現れ、どうしてるかなとふと気になった級友に絵手紙を送ろうと思います。
どうせお絵かきするなら、気の乗らない付き添いよりもお母さんも本気で描いてみるかと、産後初めて水彩の絵を描きましたよ。簡単なものですが
こんなの描いててもぐちゃぐちゃに邪魔してこなくなったんだな・・・といっちゃんの成長を思いました!

なんとか、今日はダメ母じゃなかったかな~


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 書くこと | トップ | 前向きな言葉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿