最近、いっちゃんに関する大切な問題で大きな夫婦げんかをしました。今度のけんかは、いっちゃんの安全、命にも関わる問題だったので、私は譲れなかったのです。。。
ひとを信じられなくなるというのは本当につらいものです。
「誰も信じられない・・・」ということではなくても、自分にとって大切な人を信じられなくなるというのは本当に悲しいことです。
しばらく私がそんな暗いこころでいたので、実家から戻って以降のいっちゃんは私から片時も離れられず、一日中ぐずぐずと機嫌が悪くて、私は家事が進まずイライラして、出したことのない声を出して怒ったりしていました。
猛暑でクーラーもほとんど効かない実家でも元気だったいっちゃんがこちらへ戻ってから風邪をひいたのは、こころが弱ってしまったからだと思います。
ノイローゼぎみの私の様子といっちゃんの様子を見かねた夫。。。話し合いました。
私は口に出せずにいたことを出して話し合い、夫が私の気持ちを理解してくれたと思いました。
それから私のノイローゼも快方に向かい、いっちゃんの風邪もようやく治りました。
週末の夫の休みに3人でいっしょに出かけたり遊んだりして、いっちゃんもこころの元気を取り戻しました。
1才半を迎えたいっちゃんは急激に成長しています。
そんな時期に夫婦げんかをして、いっちゃんのこころが深く傷ついたと思います。
これが長引いたらもっと大変なことになっていただろうと思います。
妹の娘は2才のときに普段やさしいお父さんが大声を出して夫婦げんかしたことで、しばらく、どもっていたことがあります。
よく私のばあちゃんが言っていました。
「いっちゃんが病気もせず、いつも機嫌よく元気なんは、家庭にイザコザがなくてお父さんもお母さんも穏やかに育てとるからやろうな。」
元々丈夫に生まれたからだと思っていたことも、やっぱり子どもながらに精神的なものはとても大きいんだと実感させられました。
このごろのいっちゃんは、一番好きだったNHKの子ども番組「いないいないばあ」のようないろんな物や動物が次々出て動いてるのを見てるだけでは満足できなくなってきたようです。
何か、ストーリー性のあるもの、感情表現のわかるものが楽しいようです。
TV「しまじろう」のストーリーのあるアニメが今は好きなようです。しまじろうが泣いたり、謝ったり、お母さんが怒ったり、ほめたりしているのを見て、ニコニコしています。
話の内容はまだわからないんでしょうが、感情の流れがわかるんでしょうね。
実家にいたときにビックリしたこと。
「裸の大将」のドラマを見ていたときのこと。
放浪の旅に出た清くんの後を追いかけてきた女の子が野宿などして病気になります。
ずっと女の子は病気で苦しそうで、看病する清くんも心配そうにしています。
そして、女の子の病気が治り、その子が「私、清くんのお嫁さんになりたい!」なんて言って、よかった、よかったとみんなで喜んでいるのを見ていたいっちゃんは、テレビでだれもやっていないのに、突然パチパチと手をたたきはじめました。
つらい状況から回復してうれしい状況になったことがわかったんですね。
私が今回のけんかで浮かない顔をしていたときも、よく私の顔をたたきました。
「お母さん、どうしたの?」なんて聞けないから、「そんな顔、するな!」ということですね。
このけんかがなくても、また後追いする時期になってきたのかもしれませんし、単純なおもちゃでは飽き足らず、変化・応用性のあるものでないと退屈になってきたこともあるでしょう。
電車のおもちゃなど買いました。
電車のレールのあるおもちゃを買ったときにはグズルのが激しくて、とにかくこの状況を救ってくれるおもちゃがほしい!と切実に思って買いました。
実際、以前よりはいっしょに遊ぶこともできるし、楽しそうでもあります。
でも、買ってしばらくして気づいたのは、いっちゃんが本当にほしかったのは、とってもおもしろいおもちゃでもなんでもなくて、お母さんの落ち着いて明るくてやさしいこころだったんだと。。。
ニュースも見たいし、録画したテレビ番組も見たいです。
でも、そんなのを見て気を取られながらいっちゃんの相手をしていてはいけないんだと改めて思います。
仕事の関係で寝かしつけに参加しないで早めに寝ていたお父さんも、なるべくいっしょに寝かしつけをしていっちゃんを安心させるようにしています。
グズルのもだいぶ減ってきたいっちゃんですが、いっちゃんはグズッてお母さんの愛を確かめていたんだと思います。
何の罪もない、いっちゃん、本当にごめんね。
1才や2才の子どもをずっと家で見ているお母さんは、子どもの苦しみは自分で取り払えると思ってしまいがちなんだと思いました。
実際、目の前の、目に見える状態を最大限によくしてあげることはできます。
でも、1才・2才のこころに穴ができたとすると、それは5才になり、10才になり、20・30になったときの苦しみになるかもしれない。
そう思ったら、自分の手の中にいるうちは、できる限りがんばらなければ、と感じます。
今グズッているぐらいのことなら、抱っこしてあげれば満たされます。
それが、いつか、こころが怖気づくような人に立ち向かったり、何か勇気を奮い起こさなければならないときの糧になるように・・・。
今、抱っこしてあげないこと、テレビを見ながら適当に相手すること、そんなことが未来の勇気を削ぐことにならないように・・・。
自分の身に代えても我が子を守ってあげたいと、励ましてあげたいと思うのに、そんな現場には母はいない。
いたとしても、何もできない。
そのことを肝に銘じなければ、と思いました。
3人の子どもを持つ妹の言葉は名言だと思います。
ときどき、ふと思い出します。
「自分の手の中にいるうちはいいんや。自分の手を離れたときから心配は始まるんや。」
真心で子育てしなければ
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