大阪は肥後橋にある、国立国際美術館で開催されている『孤高の画家の原風景 ゴッホ展』に行ってきました。最終日だけに、さぞかし混んでいるだろうと覚悟して見に行ったのですが、
ええ、混んでました。混んでましたとも(TдT)
会場外に看板が立っているのですが、『会場外40分待ち 会場内10分待ち』とのこと。なんかよく分かりませんが、とりあえず合計50分待ちらしいです。思わず帰ろうかと思いましたが、最終日だけにここを逃すわけにもいかず、やむなく列に加わりました。
実際は50分も待つことなく、会場に入ることができたのは40分ほど後のことでした。最初のコーナーは『宗教から芸術へ』。誰もが知っている、オランダの超有名画家ゴッホ氏は、最初牧師になるつもりが過度の情熱のため人々には受け入れられず(解説抜粋)、渋々画家になった経歴を持っていて、このコーナーはその辺をからめた作りになっています。過度の情熱、というのがものすごく気になりましたが、残念ながらそのへんはどこにも記述されていませんでした。
入り口を入って最初の絵は、ジョージ・ヘンリー・ボートンの『道中ご無事を!カンタベリーへと出発する巡礼者たち』という絵。この、Googleで検索してもゴッホ展関連の記事でしかヒットしない人の前に黒山の人だかりが出来ています。自称身長180cmの俺様が見ても、巡礼者たちが一体どこにいるのか見当もつかない有様です。っていうかゴッホの絵じゃないのにこんなに人々が取り巻いていていいのでしょうか。前の列はさっぱり動かないし、後ろからは車椅子に乗った人がぐいぐい押してくるし、なんだかもう一枚目から辛いです、巡礼者じゃなくて俺様の道中ご無事を祈って欲しいです。ボートンって一体どこの国の人なんですか??
次のゾーンは『農民の労働 芸術のメタファー』です。織工と農民の絵が10枚ほども並んでいます。このあたり、後年のゴッホ特有の点描というものがあまり見えず、どちらかというと普通の絵というかんじです。特徴としてはとりあえず暗い、ということが挙げられるでしょうか。産業革命後という時代背景を反映してか、家内制手工業の織工たちも、なんだか馬鈴薯の出来が悪そうな農民たちも一様に暗い顔です。パトロンでもあった弟からは、絵の題材を変えることを勧められたそうですが、俺様も勧めたくなりました。とりあえず萌え絵を描けば良かったと思うのですが、ゴッホは貧しくてモデルを雇えなかったそうです。現実はごっつい厳しいです。
それはさておき、次の『パリ-闇から光へ』ゾーンから本格的に辛くなってきました。このあたりから印象派画家としてのゴッホの特徴があらわれてくるのですが、比例するようにお客さんの密度もガンガン上がってゆきます。恐ろしいのは広い通路の両側に絵が展示されていることで、片側の絵を見終わったら、出口へ向かって移動する他のお客の流れを逆流してもう一方の絵を見に行かなければなりません。なんとなく夏の有明の3日目を連想します。有明に比べると、お客さんに理性がある分少しはマシですが。
印象派ゾーンに並んでいる20近い展示物をなんとかさばいて、浮世絵コーナーへ移動しました。このゾーンは、複数のコーナーで成り立っているのです。ゴッホは日本の浮世絵にも影響を受けたらしく、なんかサイケデリックに彩られたゴッホ氏謹製の浮世絵らしいものが展示されています。かなり勘違いした絵になってますが、日本は日本で『サクラ大戦3』とか作っているので、人のことは言えません。 広重とか北斎の絵まで並んでいて、なんの展示会が分からなくなってきたので次のコーナーへ移動しました。最後のコーナー『パリの小説』は、ズバリ、ゴッホが読んでいた本が並んでいます。本そのものを描いたゴッホの絵も並んでましたが、8割は彼の蔵書コーナーです。このエリアは人が少なくて大変助かりました。他もこんなかんじだととても嬉しいです、、、とか思いながら次のエリアを見ると、またしても物凄い人だかりが復活しているのでした。『闇から光へ』というより光から闇なのです。
『アルル ユートピア』。アルルに移り住んだゴッホが、ゴーギャンとのあれやこれやで自傷行為に及んだりした時代の絵を並べたゾーンです。彼が独自の色彩で絵を描いた時代で、結果としてお客様密度もピークに達していました。目の前の子どもが、絵が見えないといって泣き始めましたが、大人でさえ見られないのに子どもに見えるわけがありません。ゴッホ展の中心とも言えるエリアですが、体力的にはすでにいっぱいいっぱいです。『夜のカフェテラス』とか『ミリエの肖像』とか、むしろ入り口近くに展示したほうがいいのではないかと思われます。
最後のゾーンは、『サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズ』。よく分からないタイトルですが、展示されているのは他の作家の模写です。元気ならゆっくり眺めていたいのですが、もういいです、出口が見えているです。喫茶店でコーヒーが飲みたいです。
美術館は平日に来ようと思いました。
ええ、混んでました。混んでましたとも(TдT)
会場外に看板が立っているのですが、『会場外40分待ち 会場内10分待ち』とのこと。なんかよく分かりませんが、とりあえず合計50分待ちらしいです。思わず帰ろうかと思いましたが、最終日だけにここを逃すわけにもいかず、やむなく列に加わりました。
実際は50分も待つことなく、会場に入ることができたのは40分ほど後のことでした。最初のコーナーは『宗教から芸術へ』。誰もが知っている、オランダの超有名画家ゴッホ氏は、最初牧師になるつもりが過度の情熱のため人々には受け入れられず(解説抜粋)、渋々画家になった経歴を持っていて、このコーナーはその辺をからめた作りになっています。過度の情熱、というのがものすごく気になりましたが、残念ながらそのへんはどこにも記述されていませんでした。
入り口を入って最初の絵は、ジョージ・ヘンリー・ボートンの『道中ご無事を!カンタベリーへと出発する巡礼者たち』という絵。この、Googleで検索してもゴッホ展関連の記事でしかヒットしない人の前に黒山の人だかりが出来ています。自称身長180cmの俺様が見ても、巡礼者たちが一体どこにいるのか見当もつかない有様です。っていうかゴッホの絵じゃないのにこんなに人々が取り巻いていていいのでしょうか。前の列はさっぱり動かないし、後ろからは車椅子に乗った人がぐいぐい押してくるし、なんだかもう一枚目から辛いです、巡礼者じゃなくて俺様の道中ご無事を祈って欲しいです。ボートンって一体どこの国の人なんですか??
次のゾーンは『農民の労働 芸術のメタファー』です。織工と農民の絵が10枚ほども並んでいます。このあたり、後年のゴッホ特有の点描というものがあまり見えず、どちらかというと普通の絵というかんじです。特徴としてはとりあえず暗い、ということが挙げられるでしょうか。産業革命後という時代背景を反映してか、家内制手工業の織工たちも、なんだか馬鈴薯の出来が悪そうな農民たちも一様に暗い顔です。パトロンでもあった弟からは、絵の題材を変えることを勧められたそうですが、俺様も勧めたくなりました。とりあえず萌え絵を描けば良かったと思うのですが、ゴッホは貧しくてモデルを雇えなかったそうです。現実はごっつい厳しいです。
それはさておき、次の『パリ-闇から光へ』ゾーンから本格的に辛くなってきました。このあたりから印象派画家としてのゴッホの特徴があらわれてくるのですが、比例するようにお客さんの密度もガンガン上がってゆきます。恐ろしいのは広い通路の両側に絵が展示されていることで、片側の絵を見終わったら、出口へ向かって移動する他のお客の流れを逆流してもう一方の絵を見に行かなければなりません。なんとなく夏の有明の3日目を連想します。有明に比べると、お客さんに理性がある分少しはマシですが。
印象派ゾーンに並んでいる20近い展示物をなんとかさばいて、浮世絵コーナーへ移動しました。このゾーンは、複数のコーナーで成り立っているのです。ゴッホは日本の浮世絵にも影響を受けたらしく、なんかサイケデリックに彩られたゴッホ氏謹製の浮世絵らしいものが展示されています。かなり勘違いした絵になってますが、日本は日本で『サクラ大戦3』とか作っているので、人のことは言えません。 広重とか北斎の絵まで並んでいて、なんの展示会が分からなくなってきたので次のコーナーへ移動しました。最後のコーナー『パリの小説』は、ズバリ、ゴッホが読んでいた本が並んでいます。本そのものを描いたゴッホの絵も並んでましたが、8割は彼の蔵書コーナーです。このエリアは人が少なくて大変助かりました。他もこんなかんじだととても嬉しいです、、、とか思いながら次のエリアを見ると、またしても物凄い人だかりが復活しているのでした。『闇から光へ』というより光から闇なのです。
『アルル ユートピア』。アルルに移り住んだゴッホが、ゴーギャンとのあれやこれやで自傷行為に及んだりした時代の絵を並べたゾーンです。彼が独自の色彩で絵を描いた時代で、結果としてお客様密度もピークに達していました。目の前の子どもが、絵が見えないといって泣き始めましたが、大人でさえ見られないのに子どもに見えるわけがありません。ゴッホ展の中心とも言えるエリアですが、体力的にはすでにいっぱいいっぱいです。『夜のカフェテラス』とか『ミリエの肖像』とか、むしろ入り口近くに展示したほうがいいのではないかと思われます。
最後のゾーンは、『サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズ』。よく分からないタイトルですが、展示されているのは他の作家の模写です。元気ならゆっくり眺めていたいのですが、もういいです、出口が見えているです。喫茶店でコーヒーが飲みたいです。
美術館は平日に来ようと思いました。