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害教、数多(あまた)あり:民意に非(あら)ず

(前回の続き⇒)
「世界は、全知全能の神によって創造された!」
という、
キリスト教的な考えは受け入れらないときがある。
もし、世界を創造した神(造物主)がいたとしても、
それは、全能であっても、全知だったとは思えないほど、
世界は、いびつで、不完全に見えるからだ。
人が、神や宗教によって、救われてきた時代は、
とっくに終わっているとも思っている。
それでも「信教の自由」は、社会に必要だと思う。
信教の自由を言い換えるのなら、“信じない自由”と言え、
物事や常識に対して、疑問をもつことに、つながっていく。
その昔、「地球が太陽の周囲を回っている」と言ったオジさんが、
ローマ教会のエラい人によって、自分の意見を撤回させられるほど、
イジめられたとも聞くけど。
<関連する過去の記事⇒「地動説と天動説:“信じる”ことと知識は違う。」>
1つの考え方に固執するのでなく。
あらゆる可能性や色々な考え方を認めていければ、
それだけ、世界はやさしくなる。
だからこそ、“宗教法人”を、隠れ蓑(かくれみの)として、
“信教の自由”を盾にする存在には、許し難いものがある。


自国の文化や生活を汚(けが)してくる存在を、
何故、社会が容認しているのか?
カルトは、薬物のように、人から、正常性を奪う。
それは、社会が“狂気”に蝕まれていくということ。
“カルト”の存在は、“信教の自由”を貶めるものでしかなく。
カルトに(宗教)法人格を持たせ、“信教の自由”のもとで、
カルトを庇護するなど愚行そのもの。




この1~2か月間、政権与党と世界平和統一家庭連合(統一教会)との、
“つながり”が騒がれるようになり。
フランス政府が、1995年に制定したセクト法が注目されたもの。
この話題が、最近のテレビ番組では減っているように思える。
これは想像でしかないけど…。

日本国内に存在する、宗教カルトや政治カルトの団体は、
おそらく、統一教会だけでもなく。
ほとんど知られていないものも少なくないと思われる。
その中には、統一教会と同じく、
色々な政党と強く結びついている存在がいても不思議でもない。
彼らにすれば、自分たちの息の根を止められかねない法律が導入されるのは、
是が非でも止めたいハズであり。
人々の意識が向かないように画策している…というのは、創作が過ぎるかな?
(続く⇒)
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