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毒されていた、ただそれだけ…。


国のトップが、誰になるのかによって、
人々の運命は、大きく変わります…というのは、
色々な国を見てみると、よく分かること。
しかし、案外、自分の国のことは、
よく分かっていなかったのかも知れない。



安倍晋三元首相以降の自民党が用いてきたものとして、
「嘘の飽和攻撃」ともいうべきものがある。
嘘(ウソ)が、ウソであることを証明するには、
手間がかかることから、ウソであることが証明されないうちに、
次のウソをついてしまえば、追求するものが、追いつけなくなり。
「いつまで、そんなことを言っているんだ」という批判によって、
逃げきってしまうもの。
…という投稿が、ツイッター(現、えっくす)上にあったけど。
今、この影響から、社会の規範や秩序は、
狂いつつあるようにも、思えてしまう。

(以前にも同じようなことを記しているけど。)
近代国家の条件の一つとされる、国民国家という概念には…。
自分たちの国は、自分たちで守る…というものがある。
「愛国心」という言葉が使われるとき、
現代の日本では、時代錯誤の軍国主義者にも思われそうになるけど。
“国民”という概念は、近代のものだと考えると、
ちょっとヘンなところである。
ここで言いたいのは、安易ながらも、
大ゲサな言葉が用いられている”くくり”ではなく。
ごく普通に生活をしていても、自国の未来を憂い。
悲しみ、苦しむこと。
身近な人を想う気持ちや郷土愛などに近いものになる。
その意味での“愛国心”という言葉が用いられることなど、
あったのだろうか?
そして、政治に意見をいうと…。
「自分が立候補したら?」と言うのは、
代議制民主主義というものを根幹から無代する言葉。
今の日本では…。
政治家が、選挙における結果から、
「国民が選んだのだから…」と、
全件委任のように勘違いしている。
そもそも、国民主権の国家であるのだから、
市民の中から、市民の代表として選ばれ、
市民のために働くのが望まれているのが、政治家ではないのか?
単に、政治家として得られる特権を目当てとして、その職務を怠り。
自分の「権力保持」のため、税金や公共機関まで利用しているなど。
なんの理念も持ち合わせていないクズであり。
ここのところ、よく使う“言い回し”となってしまったけど…。
「選んでもらったのに、その信託に背いた」
それが正しい認識ですよ。



蛇足:
(以前の記事の、使い回しともなるけど。)
(2022年)、7月8日、安倍晋三、元首相が殺害されてから、
報道番組や情報番組を、頻繁(ひんぱん)に見ている。
正直、それまでの生活において、
報道番組など、キチンと見ていたことはなく。
世界や社会が、どうなっても構わないとも思っていた。
しかし、首相経験者として最長の在任期間にあった人物が、
祖父である岸信介から、三代に及ぶ、統一教会との“つながり”をもち。
政権与党である自民党(自由民主党)の人員の半数以上も、
統一教会との共存関係のような、
“つながり”があったことが報じられてからは、
無視することはできなくなっていった。
そして、2年ほど過ぎているもの。
何ひとつ、事態は解決されてはなく。
一応、文科省(文部科学省)は、統一教会の解散請求に向け、
動いているとも聞くけど。
報道は縮小し、人々の話題となることもなくなりつつあり。
とても楽観的になれるものではない。
例えば、宗教法人の売買は、かなり簡単に行われているとも聞く。
世間の風当たりもキツく、解散請求も考えられてくれば、
すでに統一教会が、新たな宗教法人を買っていても、おかしくはなく。
その買い取った宗教法人へと、教団の機能を移しかえるなどは、
素人でも思いつくことになる。
事実、統一教会には、
ダミー団体のような役割を果たしていた“天地正教”があり。
これは、弥勒菩薩を崇拝する仏教系でありながら、
統一教会の創始者、“文鮮明”こそ、
その弥勒菩薩であるとしたものだった。



やはり、カルト団体や政権与党のような組織であれば、
その人員と複数の関連団体を用いることで、
組織の機能さえ移動できてしまうのだろうか。
それは許せないものがある。
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