ちょっと前は、バンコク市内で 地価が一番高いエリアは 中華街のヤワラートだった、それが
シーロム地区になり、最近はサイアムスクエア・スクンビット地区に … 昨日からの続きです。
昔からヤワラートの地価が、一番高かった理由には こんな背景がありました ・・・
チャクリー王朝のラマ1世王が、対岸のトンブリ時代からチャオプラヤー川を 渡った河口の平原に
新しい首都バンコクを 建設しました (1782年)。 大都会となるバンコクも この王朝の近くあった
ヤワラート街から広がり、中国人を 中心に政治、経済が発展していったんですネ。
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ヤワラートという地名は、タイ国三大王の一人でもあり、現在のタイ国の近代国家の基礎を 築いたラマ
5世王・チュラーロンコーン王の10代であった 「若き王」 を 意味する 「ユパラート」 と呼ばれていた
名前が 「ヤワラート」 となって、地名化しと聞いています。
王室にも中国人の血が流れていると言われ、タイの財閥王・長者番付の上位は皆、中華で 中国人街と
なったこの街から多くの人材をも輩出して来ました。 バンコク最初の大きな街がヤワラートでした。
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そして ビジネス街はシーロム・サートン地区に 移り、近代的な街はサイアム / スクンビット地区と
移動していったのです。 土地の価格も繁華街の移動と共に、騰がっていきました ・・・
王族にも中国人の血が入っている ということであれば、他国のように中国人との争いなど起きる方が
不思議なのかも知れません。 こいう事情もあって、タイは昔から同化政策を 徹底してやってきました。
華僑の帰化を 奨励し、タイで生まれた華人には 自動的にタイ国籍を 与えながら属地主義を 導入し、
華僑・華人が徐々にタイに同化することになってきました。 この頃になるとバンコク市内に相当の
中華系タイ人の数が増えて、現在の人系的様相がつくられました。 人数も半端ではないですネ。
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また 戦後中華人民共和国が成立すると、本国との繋がりは 意識してなくすようになり、タイへ
同化を 益々 強めていったようです。 バンコク市内の中華学校・中華新聞の廃止など、かなり徹底して
行なわれ、タイ人化するよう自ら中華系政治家達も動いたようです。 こんな事情を 耳にすると
現在のタイの政治家達の大半が中国人の血を 引くというのも理解できますねぇ~
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ミャンマー (英国)、ラオス (仏領)、カンボジア (仏領)、ベトナム (仏領)、マレーシア (英国)、
シンガポール (英国)と、近隣諸国はヨーロッパ列強にそれぞれ植民化され、タイ国だけが唯一
植民化されず一国を 守れたのも、外交手腕もされど、こうした “同化政策” の成功にも隠された
キーポイントがあるような、ワタクシ そんな気がします ・・・
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「タイでゴルフ友達になりましょ」 のホームページです
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