3月17日、今日は「ムエタイの日」です! ご存知でした?
3月13日の「象の日」といい、タイを代表する動物やスポーツ(ムエタイは国技ですよ)なのに、ちょっと
宣伝や認知活動が足りませんよネ。タイ在留の日本人でも二つの「日」を知っている人は少ないんです。
まさか、タイ人は知っているでしょうが・・・ 若い人は知らないかな?・・・
そこで、今日は 「ムエタイの日」 に因んでムエタイの歴史をお勉強致しましょう。 (笑)
2004年に東京都中野にもジムをオープンしたセンチャイ会長のHPからの抜粋ですが、以下の
歴史小噺はタイの小学校5年生で実際に教えている事だそうですので悪しからず、です。
{1767年(242年前)タイ国は、ミャンマーとの戦争で負けてしまいましたが、1774年3月17日に、
ミャンマーの王様マンラはアユタヤに入り、寺を焼き、物を盗り、街を破壊し勝利の宴をしていました。
王様はこの戦争でムエタイはタイ人が一番強いという事を知り、自分の目の前でムエタイの試合が
観たいと言い出しました。そして王様は、「タイで一番強い選手を出せ!」と命令しました。
当時、ナイカノムトムがタイで一番強かったのですが、その時の試合の条件は、彼一人とミャンマーの選手
10人との試合でした。彼が勝てば、自由にさせて貰え、欲しいものを全て与えて貰えるが、もし、負ければ
首を切ると言う条件でした。それを聞いた彼は、逃げる事も出来ず、とても動揺しました。
ナイカノムトムは、自分の気持ちを落ち着かせる時間をかせぐ為に、王様にお願いしました。「タイ国には、
神様を守り、自分の親を守り、ムエタイを教えて頂いた先生を守り敬う習慣があります。だからお祈りの踊り
(ワイクルー)を踊る時間を私に頂けないか?」と。王様はそれを許し、ナイカノムトムは一人踊りました。
「神様!お父さん、お母さん、先生、この試合に負けたらお許しください。」そして彼は、気持ちが大きく
なる様に、落ち着く様、踊りながらまわりの地形を覚え、作戦を練り踊りました。そして踊りが終わった後、
10人のミャンマー人と戦い、ナイカノムトムは見事勝利したのです。この事があってからは、ムエタイの
試合の前に、ワイクルーを踊る事が習慣になりました。
そして毎年3月17日は、ワンムエタイ(ムエタイの日)と呼ばれ、タイ人は誰でも、ナイカノムトムを、
ムエタイの偉大な先生だと言う事を知っています。} ・・・ シャンシャン!?
ムエタイの創設者は、タイの三大王の一人でもある「ナレースワン大王」(アユタヤ王朝)であることは
有名ですが、当初はムエタイが競技化する前の素手素足を主とする戦闘技法である「古式ムエタイ
(こしきムエタイ)だったとの事で、伝統的には別名は、シャム拳法とも言われたようです。
長くなりますので明日に続きます。
追伸:ムエタイに詳しい方々、違う情報だったり、補足がありましたらご指摘下さいませ。
「タイでゴルフ友達になりましょ」 のホームページです
タイ・ゴルフを何でもランキングで紹介する情報サイト
3月13日の「象の日」といい、タイを代表する動物やスポーツ(ムエタイは国技ですよ)なのに、ちょっと
宣伝や認知活動が足りませんよネ。タイ在留の日本人でも二つの「日」を知っている人は少ないんです。
まさか、タイ人は知っているでしょうが・・・ 若い人は知らないかな?・・・
そこで、今日は 「ムエタイの日」 に因んでムエタイの歴史をお勉強致しましょう。 (笑)
2004年に東京都中野にもジムをオープンしたセンチャイ会長のHPからの抜粋ですが、以下の
歴史小噺はタイの小学校5年生で実際に教えている事だそうですので悪しからず、です。
{1767年(242年前)タイ国は、ミャンマーとの戦争で負けてしまいましたが、1774年3月17日に、
ミャンマーの王様マンラはアユタヤに入り、寺を焼き、物を盗り、街を破壊し勝利の宴をしていました。
王様はこの戦争でムエタイはタイ人が一番強いという事を知り、自分の目の前でムエタイの試合が
観たいと言い出しました。そして王様は、「タイで一番強い選手を出せ!」と命令しました。
当時、ナイカノムトムがタイで一番強かったのですが、その時の試合の条件は、彼一人とミャンマーの選手
10人との試合でした。彼が勝てば、自由にさせて貰え、欲しいものを全て与えて貰えるが、もし、負ければ
首を切ると言う条件でした。それを聞いた彼は、逃げる事も出来ず、とても動揺しました。
ナイカノムトムは、自分の気持ちを落ち着かせる時間をかせぐ為に、王様にお願いしました。「タイ国には、
神様を守り、自分の親を守り、ムエタイを教えて頂いた先生を守り敬う習慣があります。だからお祈りの踊り
(ワイクルー)を踊る時間を私に頂けないか?」と。王様はそれを許し、ナイカノムトムは一人踊りました。
「神様!お父さん、お母さん、先生、この試合に負けたらお許しください。」そして彼は、気持ちが大きく
なる様に、落ち着く様、踊りながらまわりの地形を覚え、作戦を練り踊りました。そして踊りが終わった後、
10人のミャンマー人と戦い、ナイカノムトムは見事勝利したのです。この事があってからは、ムエタイの
試合の前に、ワイクルーを踊る事が習慣になりました。
そして毎年3月17日は、ワンムエタイ(ムエタイの日)と呼ばれ、タイ人は誰でも、ナイカノムトムを、
ムエタイの偉大な先生だと言う事を知っています。} ・・・ シャンシャン!?
ムエタイの創設者は、タイの三大王の一人でもある「ナレースワン大王」(アユタヤ王朝)であることは
有名ですが、当初はムエタイが競技化する前の素手素足を主とする戦闘技法である「古式ムエタイ
(こしきムエタイ)だったとの事で、伝統的には別名は、シャム拳法とも言われたようです。
長くなりますので明日に続きます。
追伸:ムエタイに詳しい方々、違う情報だったり、補足がありましたらご指摘下さいませ。
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