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バンコク週報が10月で 創刊40周年になりました!

2016年10月02日 | タイの名所、名物、料理
  
 わたくしが 「私流・ゴルフとビジネス」 という連載を執筆させて頂いている
『バンコク週報』 が、10月1日をもって 創刊40周年 を迎えました。

東南アジアで最も歴史のある日本語新聞でしょうネ。 当たり前ですが、40年と言ったら生まれた
子が40歳です。 そう考えると、継続された40年という歳月は 本当に凄い年数だと思います。
40年前のタイって、どんな時代だったんでしょう ・・・ 皆さんはどこにいましたか?

 
 <以前のバンコク週報>

バンコク週報の前身である 「週間バンコク」 が創刊された1976年10月はちょうど、タイの歴史に
残る民主化弾圧事件となった 「血の水曜日事件」 が起き、多くの若い命が失われた月でもありました。

簡単に振り返ると 10月4日から、バンコク市内のタンマサート大学構内で左派学生と市民運動家の
集団が、「暴君」 と呼ばれていたタノム元首相について、亡命先から強行帰国した機に、政府に
彼の断罪を求める集会を行なっていました。 

 

そこへ集会を中止させるため6日、サガット国防相率いる国境警備警察、バンコク市警察と民間
右派組織が襲撃、発砲し、政府発表では集会参加者の100名以上が検挙拘束され、また参加者のうち

犠牲者46名、負傷者167名を数えました。 実際は100人を超える犠牲者を出したと噂され、
いわゆる 「血の水曜日事件」 と言われ、世界にも注目されてしまった大事件となりました。 

 

この集会を制圧したあとの午後6時に、サガット国防相は 「国家統治改革評議会」 の名の下に
戒厳令と軍事クーデターを宣言、当時のセーニー首相を失脚させ、同評議会は首相に元最高裁

判所判事ターニン氏を擁立しました。 このクーデターは、1973年の学生決起クーデター
(血の日曜日事件) に対し 「血の水曜日事件」、「反動クーデター」、或いは、発端のデモ
集会弾圧から 「タンマサート大学虐殺事件」 などと呼ばれてしまいました。

 

まさに 40年前は、激動の社会混乱の時代でした。 当時、タイには日本語のメディがなく、在タイ日本人の
ニーズに応えるかたちで、故 山本みどりさんとタイ人の夫が 「週間バンコク」 を立ち上げました。

1982年に 「バンコク週報」へ名称変更していますが、その頃 タイ政府は 1977年に改正された投資
奨励法を施行。 海外投資誘致を推進し、1980年代後半から外国企業の投資ブームが始まりました。 

 
 <今のバンコク週報>

当時は、今とは違い日本語でのタイ情報が不足する中、バンコク週報は、在タイ日本人に対し、
政治経済を中心にタイのあらゆる情報を 提供してきたわけです。 現在、日本語情報誌は
フリーペーパーを入れると10誌以上あるでしょうが、バンコク週報はその草分け的存在ですかネ。

1994年に日本での販売を開始し、1997年にはインターネットビジネスを スタートさせ、2008年頃から
「ウェブ版 バンコク週報」 を配信。 2年前のクーデター事件など、大きな出来事が起きると、在タイ
日本国大使館メールサービスを通じて、ニュースクリップともに日本語情報源として紹介されます。

近年と将来のバンコク週報については、また 次の機会に書きますネ。
 そんなこんなで、今日は「バンコク週報 創刊 40周年」 のお話でした ・・・  


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1 コメント

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Gダイアリー休刊! (福澤)
2016-10-02 09:45:00
◆ Gダイアリー休刊へ!! 17年204号で幕
2016年9月15日木曜日

タイ唯一の日本語総合雑誌として、風俗から旅行、オピニオンまで幅広く取り上げ17年に渡り続いてきた月刊『G-DIARY(ジーダイアリー、以下Gダイと略します)』が、今日発売の10月号をもって休刊となります。
3代目編集長の西尾康晴さんが、個人と雑誌公式それぞれのFacebookページで明らかにしました。

Gダイは、タイで最も長い歴史を持つ日本語商業新聞『バンコク週報』の子会社、クエストメディア(バンラック区)が版元となり、1999年(平成11年)9月に創刊しました。
初代編集長には、潮出版社(東京都千代田区)を退職した杉山博昭さんを迎え、杉山さんの人脈で堀田あきおさん、かよさん夫妻に連載漫画(『アジアのハッピーな歩き方』。を依頼。当時全盛だったバックパッカー旅行とタイの性風俗情報という2本の軸で支持を広げました。
しかしこれには、バンコク週報で取り扱えない性風俗店関連の広告を受け入れるという、もう一つの狙いがありました。

その後、バックパッカー旅行が下火になるにつれて、徐々にジャーナリズムやオピニオン的な要素が強まっていきます。

一方、性風俗関連の記事では『アジアン王国』(ミリオン出版)など日本発のライバル誌に露出度で劣るものの、現地発でしかできない最新の情報を毎月更新し、風俗攻略の必須アイテムと言われた『最強マップ』と共に男性旅行者の大きな支持を集めました。

しかし、インターネットの普及による雑誌ビジネスの環境変化には抗しきれません。紙媒体の限界はすぐそこまで迫っていたのです。
2015年12月、日本での同時印刷を中止したものの、タイでは紙媒体の発行を継続しました。これがGダイの媒体寿命を縮めてしまった可能性があります。
http://supportasia.blogspot.com/2016/09/g17204.html
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