今日3月17日は、「ムエタイの日」 ですネ。 で、今日はムエタイのお話を ・・・
なぜ3月17日が 「ムエタイの日」 になったのか。 18世紀のアユタヤ王朝の時代に、ムエタイの
使い手であったナイ・カノムトムという男が、ビルマ軍との戦いに敗れ捕らわれの身となりました。
<ナイ・カノムトの銅象…>
ビルマの王が 「ビルマ軍兵士10人と戦い、全員に勝てたら自由の身にしてやる」 と約束。 彼は全員に
勝って開放されました。 それで英雄となり 「ムエタイの父」 と呼ばれるようになり、その後、偉大な彼を
称え、闘った3月17日を ナイ・カノムトムの記念日とし、 「ムエタイの日」 となったそうです。
その闘いの時、彼は心を 落ち着かせるため、王にお祈りの時間を 乞いました。 王様はそれを 許し、
一人踊りました。 これがムエタイの試合前のお祈りの踊り (ワイクルー) の始まりと言われています。
ムエタイの創設者は、タイの三大王の一人でもある 「ナレースワン大王」 (アユタヤ王朝) である
ことは有名です。 当時 ムエタイが競技化する前は、素手素足を 主とする技法で 「古式ムエタイ」
と 呼ばれていました。 伝統的には別名は、シャム拳法とも言われていたようです。
近代のムエタイが完成されたのは、1921年 (94年前) に第一次世界大戦への参戦で武器が必要となり、
その資金捻出のために、国王ラマ6世がムエタイのトーナメントを 開催したことが切っ掛けと聞きます。
試合はリングが設けられ、時間も測り、レフェリーも置かれ、これがスポーツとしてのムエタイの
始まりだとか。 1929年 (86年前) には拳の保護の為にそれまで使われていた木綿の紐がグローブに
改められ、現在の形に近くなったとの事です。 そして1936年 (79年前) に国名がシャムからタイへ。
以降ムエタイの名称ができたようです。 (ムエ とはクメール語で1を 起源、1対1の格闘を 意味する)
1941年 (74年前) に 「ラジャダムナン・スタジアム」 が建設され、(初めは野外競技場だった)
1955年 (60年前) に競技ルールの改正があり (投げ技、関節技を禁止、体重制、ラウンド制となる)
翌年の1956年 (61年前) に 「ルンピニー・スタジアム」 が建設され、毎日 交互に試合が開催されます。
が、昨年2月 「ルンピニー・スタジアム」 は、ドンムアン空港の近くの陸軍のスポーツセンターの一角に
移転しています。
日本独自の伝統技では、相撲・剣道・柔道などがありますが、タイではムエタイとなります。
タイの地方では日本人の子供が柔道などに通うのと同じ感覚で講師の元に通いました。
が、大きな違いがあり、ムエタイは競技そのものが賭博の対象とされており、一部の間では貧困層の
スポーツと見なされている部分もあり、ムエタイの社会的ステータスは必ずしも高くはありません。
そんな社会的背景もあって、日本の親が子供を 武道に通わすように、タイの
富裕層の親たちが、ムエタイから何かを 学ばせる為に 通わすことはありません。
日本と違いムエタイは、近代化が進めば進むほど、薄れていくような気がします ・・・
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