1887年の日タイ修好宣言から 今年は日タイ交流130周年を迎え、それに
相応しい様々な記念事業が企画されています。そんな記念の節目の年に 明日、
天皇皇后陛下が前国王の弔問と重なるのも不思議な巡り合わせを感じます。
多くの130周年記念の行事には、在タイ日本大使館、バンコク日本人商工会議所(JCC)が関わり、
双方に携わっている日タイの方々は さぞ忙しい日々を送っているんでしょう。 ご苦労です。
JCCは「つなぐ」をキーワードに、4つの記念プロジェクトと11事業の実施を記念事業に
することを発表しています。2017年からの10年間で1億2千万バーツ(約4億円)を充て、
奨学金支給や障害者支援など社会福祉事業を重点に取り組むとしています。
<日本大使館・JCCの記者会見で>
タイには5千社を超える日系企業が進出し、日本人が8万人前後在タイしており、世界でも珍しい
日本人学校が二つもあります。こうしてタイで事業展開できるのも、生活できるのも130年という長きに
渡る日タイの友好関係があってこそですからネ。是非 この良好関係を次の世代にも継続して貰いたいな。
JCCによる修好事業には、泰日工業大学や地方大学への奨学金の拠出、チュラロンコーン・
カセサートなど各大学での日本型経営の講座の提供、視覚障害者専門学校への点字プリンターや
専用机などの設備購入費、アユタヤ日本人村の再開発事業への協力などがあります。
中でも興味を引いたのは、両国を 「つなぐ」記念プロジェクトの一つとして、日タイ交流の象徴として
語られている 山田長政ゆかりの地である「アユタヤ日本人村へさらなる誘客を目指す」という事業。
アユタヤは1351年にウートン王によって建都されてから、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの
417年間、王朝の都としてタイの中心であり続けた都市です。チャオプラヤー川とその支流に囲まれた
地形は水運に恵まれ、17世紀はじめには欧州と東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。
<最初に山田長政を演じたのは長谷川一夫でした>
当時、山田長政は海外へ進出する商人たちに刺激され、商人の仕立てた台湾行きの御朱印船に乗り込み出帆。
台南経由でタイ王国アユタヤの日本人町に上陸。その後 日本人傭兵隊に加わり、頭角を著しアユタヤ郊外の
日本人町の頭領となりました。そして王朝のソンタム国王の信任を得て、第三位身分の官位を
授けられて、南タイのナコンシタマラート県のリゴールの王に任ぜられ人物です。
<アユタヤ日本人村からチャオプラヤー川を臨む>
JCCはそのアユタヤを守る「泰日協会」のアユタヤ日本人村再開発計画に賛同し、総額
650万バーツ(約 2,100 万円)の支援を行なうようです。日本庭園の改装、遊歩道の整備、
休憩施設の新設など行ない、2017 年 10 月を完了目処としているといいます。
アユタヤ日本人村への 15 年の年間来客数は28,967人、16年は 42,427 人と増加していますが、
泰日協会の試算では、再開発により 2018 年には 72,000 人の来客を見込んでいると聞きました。
久しく行っていないアユタヤへ、新しくなる10月過ぎに行ってみようと思っています。
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