一昨日より タイの警察は、反政府派が籠城・占拠する一部拠点で、強制排除に踏み切っています。
排除に踏み切る前に デモ隊と交渉していると、いいますから良いですネ。 デモ参加者の数が比較的
少ない場所を 選定し、占拠された場所の奪還も強硬な鎮圧はしていないようです。聞いてもらえない
一部のエリアでは、早々に警官隊の撤退もしているようです。 利口な方策だと思いますよネ。
<昨日は 一部のエリアで 再度 占拠したようですが…>
首相府前・内務省前・総合庁舎前などの政府エリアを 封鎖・占拠することは 国の日常業務を
麻痺させていましたからネ。 ひとまず、デモを 主導する野党民主党系のデモ会場ではなく、
百人程度の反政府派市民が立てこもっている政府庁舎エリアに 絞っているようです。
厄介なのはデモ会場です。 パトゥムワン交差点 (MBK前) ・ラチャプラソン交差点 (セントラルワールド前)
アソーク駅交差点 ・サラデーン交差点 (ルンピニ公園前) の4カ所です。 それぞれ 歩行者天国の
状態になっており、今だに コンサートなども行なわれ、祭りへの参加者は、異常な雰囲気を 作っています。
<今もアソーク駅前のステージではコンサートが…>
世論も 「もうたくさんだ」 「反政府デモは平和的な抗議行動の範囲を 越えている」 等々の受け止め方を
してきていますし、特に 政府業務の機能を 取り戻すための警察介入の必要性は感じているでしょう。
タイ人の知人が言っていました。 「これからやって来る猛暑とスコールで、退散していくよ」 「それでも
頑張ってデモ行為を 続けるなら本物、でも 果たして何人いるか、日当の値段と計りにかけるだろうが」 と …
ところで、今 冬季オリンピックで流れる日本の国歌・君が代は、
“ 君が代は 千代に 八千代に さざれ石のいわお (巌) となりて 苔のむすまで ♪ ”
現代風に訳すと ・・・
“ 君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になって、それに、さらに苔が生えるほどまで、
長く長くずっと続きますように “ こんな意味になるようです。
君が代、元は平安時代に詠まれた和歌で、明治維新後の1880年 (明治13年) に曲がつけられ、
以後は、国歌として扱かわれ1999年 (平成11年) に 正式に、国歌に制定されたとのことです。
それでも 「君が代は天皇だ」 「軍国主義の象徴だ」 とか、 人の解釈によって、賛否両論です。
<タイの国歌が流れると みんな起立を しますよね…>
タイの国歌は 1932年 に、政治体制が絶対王政から立憲君主政に移行したことを 契機に 作られ、
1939年 (昭和14年) に制定されました。 1939年といえば、第二次世界大戦が勃発した年ですねぇ~
タイ国歌の歌詞の意味を 見て思います。 これを 生まれた時から、今でも 毎日8時と18時に
聞いていると、デモ隊員も 一層 奮い立つのかなぁ~ なんて、勝手に考えてしまいます。
長くなりますので、明日に続きますネ ・・・・
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それでも、たまたまチェンライ空港で朝8時を迎えたとき、ターミナル内に国歌が鳴り響き、警備の兵士や利用客の全てが直立不動姿勢をとったのを見て、私も慌てて立ち上がったことがありました。
私は、こう言うのってとても大切な教育なのではないかって思うのですけれど……。国旗を礼賛したり、国の.弥栄を願うっていうのは常識ですよね。なのに、今の日本は……(^ ^;