タクシン元首相は海外で “ウボンラット王女が首相になれば帰国の道が開け、その先に
政界復帰も見えてくる” と内心 密かに期待していたでしょうネ。 昨日からの続きです。
さて、昨日のタクシン派・タイ貢献党の集会、どうやらスダラット元保健相が
次期首相の有力候補になることを、印象づける内容だけの集まりだったようです。
<スダラット氏>
各党とも首相候補に3人の届け出を提出できます。貢献党はスダラット氏のほかに閣僚
経験者2人を首相候補に決定していますが、スダラット元保健相が本命のようです。
「軍事政権の約4年10カ月の間、国民は貧しくなってしまった。同じ生活を続けたくなければ、
答えは貢献党だけ」などを演説。タイ国家維持党の王女首相擁立問題には触れなかったようです。
今 バンコク市内も選挙の大きなポスターが目立ってきていますが、非公式な数字ながら議員は
全国で80政党から13,846人が立候補し、首相候補には45政党が69人を届け出ているといいます。
大変な数です。プラユット氏は約5年間の現政権の間に、自身のファンを育成すると同時に、
民政移管後の政権維持の最大の障害となるタクシン派と一族の取り崩しを行なってきました。
プラユット首相は国民の希望である民政移管の為の総選挙実施を決断するにあたり、親軍政政党の
結党と、そこから首相候補として出馬することで、民政移管後も政権を維持する環境を整えています。
<国民国家の力の幹部たち>
現軍政と軍部を支持する国民国家の力(パランプラチャラット)党は、プラユット首相を同党の
首相候補とすることにしています。が、プラユット首相自身が同党の選挙運動を手助けすることは
法律で禁じられています。とは言え、選挙戦に入る前に、軍政側の優位が強まっった感じですよネ。
さて今回の騒動では、ウボンラット王女が気の毒で仕方ありません。言うまでもなく王女は
プミポン国王とシリキット王妃の長女としてスイス、ローザンヌでお生まれになりました。
<王室ファミリー>
少女時代には故プミポン国王と共にヨットレースに出場するなどスポーツ好きであったようです。
また姉弟妹の中でも、特に成績優秀で 米国マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学されました。
MIT在学中に知り合った米国人と結婚し3人の子供をもうけられました。王族籍は消滅しましたが、
離婚(1998年)された為、王族籍は戻っていないものの、現在も王族に準じる扱いをお受けです。
<ウボンラット王女(67)>
多くのタイ人は、王女のインスタグラムのフォロワーとして、「王室として国民のために
頑張ってほしい」などと激励すると、王女は「ずっと前に王族を辞めたから、もうあの立場に
入りたくない」と述べたと報道されていました。 これからもお元気で過ごして頂きたいですネ。
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参考にさせて頂きます。
2019/3/7 18:04 日本経済新聞電子版
タイの憲法裁判所は7日、次期首相候補に王女擁立を試みたタクシン元首相派のタイ国家維持党に政党法違反の罪で解散を命じた。王女擁立を「立憲君主制に反する行為」と判断したもよう。
24日の総選挙(下院選、定数500)に出馬している同党候補は不戦敗となる。軍事政権からの政権奪還を狙うタクシン派にとって打撃となる。
国家維持党は小選挙区(定数350)に174人、全国での得票率と小選挙区選での獲得議席を勘案して議席配分が決まる比例区(同150)に108人の計282人を擁立していた。傘下政党の一つである国家維持党が解散に追い込まれたことで、タクシン派は全候補者の約25%を失う。
タクシン派は2001年以降の総選挙で連勝しており、軍事政権の事実上の延命を狙う親軍政勢力にとって難敵と目されてきた。司法判断によってその一角が崩れた。前与党のタイ貢献党とその友党で下院の過半数の確保をめざすタクシン派の戦術に狂いが生じた。
国家維持党は2月8日、次期首相候補としてウボンラット王女を選挙管理委員会に届け出たが、弟のワチラロンコン国王が反対する意向を示したため翌日、撤回した。選管は王女擁立が政党法が定めた「国王を国家元首とする民主主義体制に反する行為」にあたるとして、憲法裁に解党処分を申し立てていた。