現実的な意味で少なからぬ損失が生じたものの、時をほぼ同じくして精神的にこの上ない満足感を得たことはないでしょうか。社会の中で立ち位置を失う一方で、死の直前にルーベンスの絵を見ることができたネロとパトラッシュとまではいかないまでも、程度の差こそあれ誰しもこうした経験があるのではないかと思います。
ただ、一見美談のようですが、実社会との関わりの中で生きることが人間のあるべき姿とするならば、冒頭に掲げたようなシチュエーションは母胎内回帰のようなものの考え方といえるかも知れません。何せ現実を直視することを放棄して精神的な充足感を得てしまっているのですから。
逆に現実と真っ向から向き合い、生きること、人や社会との関わり等を直視することから始めたとしたら、そこに精神的な法悦は訪れるのでしょうか。否、順序や結果は何であれ、現実の中に如何にとどまり何をなすかが大切なのだという気もします。『明日の記憶』の終盤で「僕、佐伯って言います」と自己紹介される枝実子の心はその悲しみ以上に、現実を直視する強さと精神的な至福に満たされていることでしょう。
ただ、一見美談のようですが、実社会との関わりの中で生きることが人間のあるべき姿とするならば、冒頭に掲げたようなシチュエーションは母胎内回帰のようなものの考え方といえるかも知れません。何せ現実を直視することを放棄して精神的な充足感を得てしまっているのですから。
逆に現実と真っ向から向き合い、生きること、人や社会との関わり等を直視することから始めたとしたら、そこに精神的な法悦は訪れるのでしょうか。否、順序や結果は何であれ、現実の中に如何にとどまり何をなすかが大切なのだという気もします。『明日の記憶』の終盤で「僕、佐伯って言います」と自己紹介される枝実子の心はその悲しみ以上に、現実を直視する強さと精神的な至福に満たされていることでしょう。
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