虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

8・27 我が家のドキュメント

2007年08月28日 | 家族
第2子出産、そこにはどんなドラマがあったのか・・・

その発端は、前日26日にさかのぼる・・・

昼頃から、下腹部と腰の痛みを訴えるようになった母なこ。

「陣痛ってこんなんだったけなぁ・・・

  でも弱いんだよなあ・・・」

なんてつぶやきを続けること半日、かかっている産科が遠いこともあり、急に何かあってもいけないということで病院へ向かったのが21時50分。

道が空いていたこともあり22時30分にはLDR室へ。

1時間ほど待って、結局今夜の出産にはなりそうにないとの報告。

経過観察で入院する母を置いて父なおはこたを連れていったん帰宅。


翌27日朝。

いっこうにお産は進まないという連絡を受けて、とりあえず父子は病院へ。

その間、母はまた家に帰っていつ来るかわからない状態になるならと、陣痛促進剤の使用に踏み切る。

とはいえ、すんなりとは進んでいかず、様子見の時間は続く。

待ちきれずに爆睡のこた↓


昼食を食べてさらに待つ父子の元へ、連絡を受けて駆けつけた母母・母祖母が到着

遅れて父父母も到着、こたのお食い初め以来の顔合わせ。

それでも様子見は続いている。

そのうち、何やら機嫌が悪かったこたが熱発・・・

予定外に小児科で診察してもらうことに・・・(助産院とかでなくてよかった)

また、夕食の時間も近づいてきたので、父方一家とこたでお買い物。

いったん帰ってから買い漏らしに気付いて一人スーパーへ戻り買い物を続ける父の元へ、父母から「分娩室入ったよ」の電話。

急ぎ(でも安全運転)で戻り、分娩室へ。

何でも、「様子見ましょう」と呼ばれたのに、「あら、6cm開いてる。(ロビーには)戻れないわよ」といわれるという、母本人もびっくりの急展開だったそうな。

父が分娩室に入ったのが18時半頃。

いったんこたの薬を飲ませたり軽く食べたりで抜けつつ、陣痛に苦しむ母の腰をさすって過ごす。

19時10分頃、だいぶ開いてきたという子宮口を見た助産師さんが一言、「19時台には出るね」

その言葉通り、そのころから陣痛の間隔は狭く、陣痛自体は長く強くなっていく。

19時29分、自然破水。

いい状態とのこと。

19時40分過ぎ、お産が本格化、助産師さんもあわただしくなり、父はアワアワしてくる。

ちらっと赤ちゃんの頭がのぞく。

息みたい母、それを止める助産師。

「ん~!」「息まない!長く息吐いて!」「できない!」「がんばって、赤ちゃん飛び出しちゃうよ!」のやりとりが何度かくり返される。

そして19時47分、ついに第2子、我が家のヒメが誕生!

ハスキーだったこたよりも数段高い声で元気に産声を上げました。

日付が代わる頃に陣痛が強くなって徹夜の6時間という壮絶な?お産になったこたとはあまりにも違う順調なお産でした。

BIGサイズだったこたよりは一回り小さいので、余計にかわいく感じます。

頭が小さく(っていっても標準サイズ、こたが巨頭だったので・・・)てよかった・・・↓


計測の様子は、ロビーで宴会・・・いやいや、腹ごしらえしながら待っていた父父母と母母にも、モニターを通じて伝えられました。

父はビデオとデジカメの二刀流で計測の様子を記録。

そしてご対面です。

母祖母が先に帰ってしまっていてあえなかったのは残念でしたが、ぱっちりおめめでしっかりとご挨拶していました。

こたも興味津々というか、おそるおそるというか、何かやりづらそうにしながらも、いい子いい子したりしてます↓


もしかしたらヒメは自然と人を集める何かを持っているのかも。

そんなことを感じさせた、新たな命の誕生の日でした。

命名披露は、古式ゆかしくお七夜にて。お楽しみに。

付録:ヒメがいなくなり、頑張っていたこたは限界↓