昨日はさんてつのイベントのあと、盛駅近くの旅館に泊まり、碁石海岸のお祭りに寄っておみやげを買って帰ることに。
そこから東北道の一関インターを目指します。
途中通ったのは陸前高田市。
津波による被害が特に大きかった地域。
目を疑う光景でした。
更地のように何もない。
ナビに載っているコンビニがない、病院がない…
建物が残っていても、サッシはないか歪んでいるか。
もちろん中は空のまま。
東京で過ごしている間は過去の震災だったのに、現地に来たらまるで昨日のことのよう。
その中で高田の松原の「奇跡の一本松」の周りにだけできる人だかり。
何だか、自分の非力を感じてしまいました。
そして、さらに進んで見つけた光景。
思わず撮ってしまった。
ここはJR大船渡線の脇ノ沢駅があるはずの場所。
面影はおろか、駅を思わせるものが何もない。
反対を見ると、辛うじてレールが残っているけれども、枕木は歪み、バラスト(敷いてある石)もかなり失われている。
僕は、三陸鉄道でできた復興がなぜ大船渡線でできないで、BRT(バス高速輸送システム)による仮復旧という措置にしたのかに、ずっと疑問を抱いていました。
でも、実際被災した路線の状況を見て真実の一端を垣間見た気がします。
三陸鉄道南リアス線は、旧国鉄盛線の建設時から、明治の大津波の教訓を活かした構造であること、第三セクター化したことで集中投資がしやすかったことが幸いして、被災後2年での部分復旧にこぎつけることができた。
JR大船渡線は、全体の構造が古く、平地も多く走っていたこともあって、津波による被害が大きく、またJRの一路線としては集中投資がされづらい環境にある。
でも、工事らしい工事が行われているとは思えず、放置とも思える状況は打破していくべきなのではないかな。
上下分離方式(運営はJR、整備や改修は地元の何か)を導入するとか、何か方策はないものか。
震災からの復興はまだこれから。
小さくても、何か力になれたらと思ってもみたり。
震災が過去だと思い始めた方は、観光でもいいからぜひ被災地を見てみるといいと思います。
いつか、ここに鉄路が並ぶことを夢見て。