英語がよく通じる受付の嬢さんにお願いしてヤルタでのホテルを予約してもらっていたので今日の旅路は何時もより幾分気が軽い。*(グッド)**(笑顔)*
抜けるような蒼穹の下,突き刺さるような鋭い真夏の陽射しに焼かれながらオデッサのホテルを後にした。*(晴れ)*
しかしですね,
オデッサの街並みから抜け出しめざすミコライブ方面(国道?M14)へ向かうルートへのるのになんとたっぷり1時間半もかかってしまった。
どうしてそうなってしまったかというと,
”街中の標識がいい加減-その標識がうまく読めない-適切な地図が無い-一方通行路がやたら多いので間違ったのが解かっていてもすぐに進路修正し難い。”
というところかな。
ついさっき気分も軽く意気揚々と出発したばっかりなんだけどネ...
シュンッ。*(すっぱい)*
負け惜しみ調ですが,”でも路に迷ったおかげでオデッサの街並みが隅から隅までとってもよくわかったゾな。”
下町風の一角も通り抜けたようだし,オデッサ中央駅の前も通り過ぎたし,なんか解からないけど郊外の人とくるまでごったがえす超大型マーケットらしき一帯の近くまで行ったしネ!
ふうぅッと。*(いっぷく)*
今日の予定はは黒海の沿岸地帯を東進しドニエプル河口の付近を渡ってクリミヤ半島へ入りまっすぐ南下しヤルタまで走り抜ける約630KMほどの道のり。*(車)**(ダッシュ)*
まるで無限に拡がるかのような黄色いひまわり畑と黄金色の麦畑が織り成す穀倉地帯の道路をひたすら走り続ける。
交通量はひどく少ない。
ところどころには淡い黄緑色のちょうど胸の高さぐらいのぶどうの木が連なるブドウ畑も目につく。
しばらく行くと収穫した穀物を運搬する為と思われる大型トラックが道端に数珠繋ぎに止まっているのを時折対向車線にはみ出しながら通り過ぎていく。
でも走っても走っても一行にその車列に終わりが来ないではないか。
一体どうなっているんだ?*(はてな)*
例外なくすべて濃いグレーに塗られた運搬用トラックは少なく見積もっても200台以上はあったと思われる。
多分これだけの数のトラックを連ねて輸送してもこの地帯で収穫される穀物全体のほんのわずかの一部ぐらいなんだろうな。
一体どれくらいの収穫量があるんだろうか?
そんなことを想像すると気が遠くなってしまいそうだ。
単調な直線路をスピード違反の取り締まりに注意しながら走り続けていた時のこと,とつぜん道端の3階建ての事務所風の建物から警察官らしき人物が一人足早に歩み出てきて停車させられた。
運転席側の車窓をあけながら呼吸を合わせてこっちから先に ”ドキュメント?”とその警察官の気勢を制した。
”そうだ!”という返事が返ってきた。
間髪をいれずサッと二人分のパスポートと車の登録証を差し出すと,ページをぱらりとめくってからちょっと助手席を覗き込んだ。
パタッンと表紙を閉じ差し出した分ぜんぶまとめてサッと返してくれた。
ニコッとした表情で”行っていい!”とのボディラングエージで指示をくれた。
なんだったんだろう?
スピード違反はしてなかったしな?
これは後で分かったことなんだけどそこはなんと
”クリミア自治共和国の国境検問所”
でした。
あえて似たようなところを揚げると,フランスとスペインの国境に挟まれたピレネー山脈の山間にあるアンドラ公国に似た国だとも言えるけど,現実はもっともっと複雑な事情を抱える国なんですねここは...
ソ連邦が崩壊解体した1991年当時から独立するのかロシア連邦へ加わるのかウクライナへ従属し続けるのかを決定するにそれぞれの政府間で緊迫したやり取りを経て来た。
結局1995年にウクライナ領のクリミア自治共和国としてとしてやっていくことになった経緯がある。
ここ10年間は何とか沈静しているけどいつまた再び独立しようとする動きが出てくるかもしれない。
もともとここクリミアの住人であったウズベキスタンからの帰還クリミア・タタール人の問題が加熱して紛争に発展する可能性もまた十分懸念されるところだ。
現在の民族構成はロシア人が大半で次がウクライナ人そして帰還クリミア・タタール人が12%となっている。
ちなみにクリミア・タタール人は帝政ロシアに併合されるまで340年間続いたジンギスカン・モンゴル/チュルク系民族の末裔クリミア汗国の住人達ですね。
ついこの間までは旧ソビエト連邦領だったところで既に独立しているところもふくめてそれぞれ領土・民族・宗教・資源/エネルギー・経済等の難しい歴史的背景を背負っている。
またそれらの複合問題が錯綜して現在も紛争が続いていたり,また将来の火種になっているところがたくさんありますね。
ここクリミア半島もそのひとつであるということです。
そんな厳しい現実が日常になってるところともいえます。*(怒り)*
大草原地帯をさらに南下しここクリミアの首都であるシンフェロポリを通り抜けいっそう乾燥した草原地帯をさらに行く。
糸杉や松林に縁取られた一見南欧の地中海沿岸地帯の白い岩肌を思わせるような岸壁の景観が目につくようになってきた。
その岸壁の間を縫う勾配のついた曲がりくねった対面交通道路をさらに進む。
ヤイラ山地(一番高いのは標高1445メ-トルのロマンコッシュ山)に入った様で峠を越えるとそれからは一気にヤルタがあるクリミア半島南岸へ下って行く。
なんだか路上の交通量がどんどん多くなって来たようだしそのうえ真新しい大型高級車たちの比率も増えてきたように感じる。
標高が下がるにしたがってヤルタを示す道路標識の距離数がどんどん小さくなってくる。
あたり前か?
でも道が間違っていない証拠ですね。*(OK)*
夕日陽が落ちかける頃いよいよヤルタの街に入ったらしい。
高い気温(32~3度以上か)のせいもあるのだろうが,ここはなんかやや蒸し暑さを感じる。
大勢の人たちで混雑する大きなバスターミナル風のところを通過しいよいよ市街地に入ったらしい。
しかし相変わらずここでも手元には市街の地図はないし,キリル文字の標識がよく読めないのは以前と同じ。
で自分達がいま街のどの辺にいて一体どっちへ向かって走っているのかさっぱり解からない。
着たばかりで良くはわからないが,ヤルタの街並みは海岸から急勾配の傾斜の岩肌にへばりつくようにして拡がっているらしい。
比較的大きな家々や大小のホテル達そしてお城のような威容を放つ個人邸宅らがその急な勾配面に混在している。
住所は手元の紙片に記してあるが,目指すホテル・ブリストルがどこにあるのかも皆目わからない。*(汗)*
しばらく街中を走り回りながら探し続けた後,道路脇に停車していい方法がないかしばし思案をした。
その結果は,こういうアイディアでした。
”どっかで地元のタクシーをつかまえてそのホテルまで先導を頼む。”という考えでした。
乗車する分の料金を払えばやってくれるだろう。
でも言葉が通じないし,さてうまくいくだろうか?*(困る)*
やっと人や車がやたらに混雑する街角でお客を待つタクシー数台を見つけた。
その一番前に止まっていたトルコ系風貌の運転手にホテルの名前と住所が書いてある紙片を見せた。
しかしお互い解からない言葉同士でやり取りをする。
何とかこちらの意を伝えようとするのだが,今ひとつ反応が思わしくない。
すると突然その運転手はわざわざ車から降りてくるなり, 通行人とくるまでごった返す街路の先の方を指差す。
えっ 何?
この先がどうしたの?
なにホテル・ブリストルがあるって?
右手をあげて大きく手のひらを拡げて押し出す仕草を繰り返す?
すぐには彼の言わんとするところが飲み込めなかった。
困惑しつつも,いっしょに数歩前に進んだその瞬間そのホテルらしきものが右手前方に見えたと思った。
彼は一生懸命にこのト-ヘンボクの旅行者である私に,
”この先50メートルにそのホテルがあるんだ。”
って言おうとしているのがわかった。
だってそんな近くに探しているホテルがあっていいものかと...思い込んでいたからね。
そうかすぐ先にあるのか!!
最大限の身振りとサンキューサンキューを連発をしながらその親切な運転手にお礼を言った。*(うるうる)*
自分達の車に戻り,言われたとおりちょうど50メートルぐらい先へ進んで狭い車道端に車をとめる。
確かに連なる建物の間にそのホテルの建物らしきものと前面左右総ガラス張りのレストランがあった。
中にはいってウエイターらしき人に尋ねると外を指差して今度は ”15メートル先にある。”って言うではないか。
さらに15メートル先へ?
言われた所まで行くと確かにめざすホテルの建物があった(看板はキリル文字表示なのでまだ確証はないしとんと実感がわかない。)。
こじんまりとした間口の入り口を入って中の受付で予約証のコピーを見せると確かにそこだという。
よかったなぁ,やれやれと。
まるで嘘のようなラッキーな顛末でしたね。*(グッド)**(ニヤ)*
けして小さくはないけれどややこしく込み入ったヤルタの街のどこかにある筈のホテルが実はほんの目と鼻の先たった50メートルほどの所にあったとは...,
なんという幸運か。
夕方の混雑する時間帯だったせいか受付嬢の3人のうちの一人が空くのを待ってチェックインした。
2泊すると言ったら1泊分しか予約されてないという。
いや2泊だと予約証の写しを提示したらすんなりOKだった。
今日は日曜日の13日。
受付嬢の話では今週末から来週半ばまでヤルタの街は地元の夏祭りが開催されているのでとっても混雑しているのだとのことだった。
まずホテル裏の専用駐車場へ車を入れる。
これで安心と。
少なくない荷物を抱えてエアコンがよく効いた涼しい5階の部屋に入りこれで本当に安心。
何気なく部屋の中のエアコンを見上げると。
えっ?
なんと入り口のドアの真上に設置されているエアコン本体についている商標が”XXXXX”。
ラテン文字で書く両親からいただいた私の名前そのものではないか!
窓の外各部屋ごとバルコニーに設置されている居並ぶエアコンはみ~んな私の名前がついてました。
さぞ高品質高性能の有名ブランドなんでしょうね。
予期せぬ発見でした。
ヤルタでは私の名前はラグジュァリーホテルの皆さんも知っているほど有名でした。*(ウインク)*
もう夕闇が濃くなる時刻なっていた。
今日はずっとお昼抜きで走ってきたのでお腹がぺこぺこだった。
では早速晩飯に出かけましょうとホテルを出て祭りの人ごみでさっきよりもさらに込み合うようになったホテル前の歩道を海岸方向へ息子と歩いていった。
たった30メートル先であのドネ・ケバブの屋台に出くわす。
こんばんは効率よい事この上ない。
ためらうことなくその場で即決。
晩飯はこれにする!*(ニヤ)*
おいしそうなドネ・ケバブ巻きを4つオーダーし,横のこんがり香ばしく焼けてオーブンの中でゆっくり廻っているチキンの丸焼き(これもおいしそうだったゾ。)ちゃんを眺めながら他のお客と順番を待つ。
程なく出来上がったの抱えて40クリブナ(=6.25ユーロ)を屋台の主に支払った。
目の前でおいしそうな肉の焼ける匂いと辺りに漂う煙になぶられてメロメロになりながらも, 30メートルの長~い道のりを我慢しつつ殆ど駆け足でホテルの部屋に飛び込む。
暖かい包みを開けてただただ一心にむしゃぶりつく。
焼きたてのあったかいラム肉の薄切り片に微妙な味のソースを添え,それから新鮮なキャベツとピリッとからい玉ねぎの薄切りをしっとりとしたナンの薄皮で包んだものでちょうど両手でもってほうばるぐらいの大きさです。
おいしいんですねこれが!
待てよ昨日の午後もオデッサの街で食べたばっかりだったけど。
でも~, おいしいからよしっとする。
よっぽどお腹がすいていたと見えて息子は2個をぺロッと平らげたあと,私の分だった3個目も半分ほど食べてしまった。
お腹もいっぱいになったしシャワーを浴びてさっぱりして人心地ついた。
ではちょっと外の様子を観に散歩に出かけようとしたら息子はお腹が膨れたしとても疲れたんだろう。
部屋でベッドに寝転がってテレビを見ているとのこと。
私も同じように疲れている筈だけど,ヤルタ街の雰囲気に興奮しているのか無性に外を歩きたくなっていた。
ホテルの外に出るとさっきよりもさらに人出が多くなったようだ。
夏祭りで賑わう喧騒と宵闇に包まれたヤルタの街路をとぼとぼと歩き出す。
やっと気分的余裕ができた。
辺りを見廻すと泊まっているホテルのすぐ横に大きな広場あった。
その一画に10メートルぐらいの高さがある何かの記念碑があった。
そこへ行ってみるとその碑の基礎の地面には幾つかの都市の名前がモザイクではめ込まれている。
ラテン文字で大きくFUJISAWA JAPANと有った。
辺りは広場へ流れ込む人と流れ出る人たちでさらにごった返している。
繰り出しているのは主に家族連れや若い人たちのようだ。こんな夜更けだけど幼い子供達も大勢で歩いている。
広場のあちこちにはいろんな露店や怪しげなゲームをやってお客を呼び込んでいるところが方々にある。
真ん中辺りには特設ステージが設置されていて地元の歌謡ショーを開催中なのか大音響のパホーマンスが進行中。
それに見入る大勢の観客でうずまっている。
その喧騒を抜け出し広場を離れて街頭の照明が少ない海水浴の海岸遊歩道らし所を歩き続ける。
およそ1キロ近くの長さがあった。
その遊歩道に沿ってバーやレストラン・スナック・ゲームセンターが連なっている。
時間がやや遅かったのかその殆どはもう店を閉めていた。
今歩いている一画はこのまま西欧の地中海沿岸のどっかの観光地街の海岸通りって言っても通用しそうな景観だしそういう雰囲気もたぶんに濃厚に漂っている。
ここは有名な黒海沿岸の保養地ヤルタであることをあらためて思い出した。
遊歩道の波うちぎわは殆ど真っ暗闇でもあるにも関わらず宵の暑苦しさを凌ぐためなのか,夕涼みを楽しむ人たちがたくさんうごめいている。
闇夜の海で泳いでさえいる人たちもいる。
ここヤルタの海浜は砂浜ではなく大小の石ころとところどころに突き出た岩でできているらしい。
暗闇に静かに打ち寄せる黒海の渚の音と夕涼みの人たちの話し声がすぐ近くでとても快く響いてくる。
薄い潮の香りが鼻腔をかすめて漂う。
満月が黒海の上の中空にやさしく輝いている。
しばらく遊歩道の岸壁に腰掛けてそんな情景と雰囲気に浸っていた。
ふと右手の指先辺りに何か触れるものがあった。
こぶし大の石ころだった。
手にとってみるとずっしりとした重さがありひんやりしていた。
この石ころを持って帰ろうと決めた。
名前をつけてやろう。
”ヤルタの石”と命名する。
とっても好い名前ではないかと思った。*(ハート3つ)**(ウインク)*
オランダを出発してから7日目,3600KMを走ってついにたどり着いたヤルタだった。
なんとも表現しようのない感慨と充実感が体のなかに満ちて来るのを感じた。*(クローバー)*
夜が明けたらヤルタの街と隣町である黒海艦隊の軍港セベストポーリへ行こう。
抜けるような蒼穹の下,突き刺さるような鋭い真夏の陽射しに焼かれながらオデッサのホテルを後にした。*(晴れ)*
しかしですね,
オデッサの街並みから抜け出しめざすミコライブ方面(国道?M14)へ向かうルートへのるのになんとたっぷり1時間半もかかってしまった。
どうしてそうなってしまったかというと,
”街中の標識がいい加減-その標識がうまく読めない-適切な地図が無い-一方通行路がやたら多いので間違ったのが解かっていてもすぐに進路修正し難い。”
というところかな。
ついさっき気分も軽く意気揚々と出発したばっかりなんだけどネ...
シュンッ。*(すっぱい)*
負け惜しみ調ですが,”でも路に迷ったおかげでオデッサの街並みが隅から隅までとってもよくわかったゾな。”
下町風の一角も通り抜けたようだし,オデッサ中央駅の前も通り過ぎたし,なんか解からないけど郊外の人とくるまでごったがえす超大型マーケットらしき一帯の近くまで行ったしネ!
ふうぅッと。*(いっぷく)*
今日の予定はは黒海の沿岸地帯を東進しドニエプル河口の付近を渡ってクリミヤ半島へ入りまっすぐ南下しヤルタまで走り抜ける約630KMほどの道のり。*(車)**(ダッシュ)*
まるで無限に拡がるかのような黄色いひまわり畑と黄金色の麦畑が織り成す穀倉地帯の道路をひたすら走り続ける。
交通量はひどく少ない。
ところどころには淡い黄緑色のちょうど胸の高さぐらいのぶどうの木が連なるブドウ畑も目につく。
しばらく行くと収穫した穀物を運搬する為と思われる大型トラックが道端に数珠繋ぎに止まっているのを時折対向車線にはみ出しながら通り過ぎていく。
でも走っても走っても一行にその車列に終わりが来ないではないか。
一体どうなっているんだ?*(はてな)*
例外なくすべて濃いグレーに塗られた運搬用トラックは少なく見積もっても200台以上はあったと思われる。
多分これだけの数のトラックを連ねて輸送してもこの地帯で収穫される穀物全体のほんのわずかの一部ぐらいなんだろうな。
一体どれくらいの収穫量があるんだろうか?
そんなことを想像すると気が遠くなってしまいそうだ。
単調な直線路をスピード違反の取り締まりに注意しながら走り続けていた時のこと,とつぜん道端の3階建ての事務所風の建物から警察官らしき人物が一人足早に歩み出てきて停車させられた。
運転席側の車窓をあけながら呼吸を合わせてこっちから先に ”ドキュメント?”とその警察官の気勢を制した。
”そうだ!”という返事が返ってきた。
間髪をいれずサッと二人分のパスポートと車の登録証を差し出すと,ページをぱらりとめくってからちょっと助手席を覗き込んだ。
パタッンと表紙を閉じ差し出した分ぜんぶまとめてサッと返してくれた。
ニコッとした表情で”行っていい!”とのボディラングエージで指示をくれた。
なんだったんだろう?
スピード違反はしてなかったしな?
これは後で分かったことなんだけどそこはなんと
”クリミア自治共和国の国境検問所”
でした。
あえて似たようなところを揚げると,フランスとスペインの国境に挟まれたピレネー山脈の山間にあるアンドラ公国に似た国だとも言えるけど,現実はもっともっと複雑な事情を抱える国なんですねここは...
ソ連邦が崩壊解体した1991年当時から独立するのかロシア連邦へ加わるのかウクライナへ従属し続けるのかを決定するにそれぞれの政府間で緊迫したやり取りを経て来た。
結局1995年にウクライナ領のクリミア自治共和国としてとしてやっていくことになった経緯がある。
ここ10年間は何とか沈静しているけどいつまた再び独立しようとする動きが出てくるかもしれない。
もともとここクリミアの住人であったウズベキスタンからの帰還クリミア・タタール人の問題が加熱して紛争に発展する可能性もまた十分懸念されるところだ。
現在の民族構成はロシア人が大半で次がウクライナ人そして帰還クリミア・タタール人が12%となっている。
ちなみにクリミア・タタール人は帝政ロシアに併合されるまで340年間続いたジンギスカン・モンゴル/チュルク系民族の末裔クリミア汗国の住人達ですね。
ついこの間までは旧ソビエト連邦領だったところで既に独立しているところもふくめてそれぞれ領土・民族・宗教・資源/エネルギー・経済等の難しい歴史的背景を背負っている。
またそれらの複合問題が錯綜して現在も紛争が続いていたり,また将来の火種になっているところがたくさんありますね。
ここクリミア半島もそのひとつであるということです。
そんな厳しい現実が日常になってるところともいえます。*(怒り)*
大草原地帯をさらに南下しここクリミアの首都であるシンフェロポリを通り抜けいっそう乾燥した草原地帯をさらに行く。
糸杉や松林に縁取られた一見南欧の地中海沿岸地帯の白い岩肌を思わせるような岸壁の景観が目につくようになってきた。
その岸壁の間を縫う勾配のついた曲がりくねった対面交通道路をさらに進む。
ヤイラ山地(一番高いのは標高1445メ-トルのロマンコッシュ山)に入った様で峠を越えるとそれからは一気にヤルタがあるクリミア半島南岸へ下って行く。
なんだか路上の交通量がどんどん多くなって来たようだしそのうえ真新しい大型高級車たちの比率も増えてきたように感じる。
標高が下がるにしたがってヤルタを示す道路標識の距離数がどんどん小さくなってくる。
あたり前か?
でも道が間違っていない証拠ですね。*(OK)*
夕日陽が落ちかける頃いよいよヤルタの街に入ったらしい。
高い気温(32~3度以上か)のせいもあるのだろうが,ここはなんかやや蒸し暑さを感じる。
大勢の人たちで混雑する大きなバスターミナル風のところを通過しいよいよ市街地に入ったらしい。
しかし相変わらずここでも手元には市街の地図はないし,キリル文字の標識がよく読めないのは以前と同じ。
で自分達がいま街のどの辺にいて一体どっちへ向かって走っているのかさっぱり解からない。
着たばかりで良くはわからないが,ヤルタの街並みは海岸から急勾配の傾斜の岩肌にへばりつくようにして拡がっているらしい。
比較的大きな家々や大小のホテル達そしてお城のような威容を放つ個人邸宅らがその急な勾配面に混在している。
住所は手元の紙片に記してあるが,目指すホテル・ブリストルがどこにあるのかも皆目わからない。*(汗)*
しばらく街中を走り回りながら探し続けた後,道路脇に停車していい方法がないかしばし思案をした。
その結果は,こういうアイディアでした。
”どっかで地元のタクシーをつかまえてそのホテルまで先導を頼む。”という考えでした。
乗車する分の料金を払えばやってくれるだろう。
でも言葉が通じないし,さてうまくいくだろうか?*(困る)*
やっと人や車がやたらに混雑する街角でお客を待つタクシー数台を見つけた。
その一番前に止まっていたトルコ系風貌の運転手にホテルの名前と住所が書いてある紙片を見せた。
しかしお互い解からない言葉同士でやり取りをする。
何とかこちらの意を伝えようとするのだが,今ひとつ反応が思わしくない。
すると突然その運転手はわざわざ車から降りてくるなり, 通行人とくるまでごった返す街路の先の方を指差す。
えっ 何?
この先がどうしたの?
なにホテル・ブリストルがあるって?
右手をあげて大きく手のひらを拡げて押し出す仕草を繰り返す?
すぐには彼の言わんとするところが飲み込めなかった。
困惑しつつも,いっしょに数歩前に進んだその瞬間そのホテルらしきものが右手前方に見えたと思った。
彼は一生懸命にこのト-ヘンボクの旅行者である私に,
”この先50メートルにそのホテルがあるんだ。”
って言おうとしているのがわかった。
だってそんな近くに探しているホテルがあっていいものかと...思い込んでいたからね。
そうかすぐ先にあるのか!!
最大限の身振りとサンキューサンキューを連発をしながらその親切な運転手にお礼を言った。*(うるうる)*
自分達の車に戻り,言われたとおりちょうど50メートルぐらい先へ進んで狭い車道端に車をとめる。
確かに連なる建物の間にそのホテルの建物らしきものと前面左右総ガラス張りのレストランがあった。
中にはいってウエイターらしき人に尋ねると外を指差して今度は ”15メートル先にある。”って言うではないか。
さらに15メートル先へ?
言われた所まで行くと確かにめざすホテルの建物があった(看板はキリル文字表示なのでまだ確証はないしとんと実感がわかない。)。
こじんまりとした間口の入り口を入って中の受付で予約証のコピーを見せると確かにそこだという。
よかったなぁ,やれやれと。
まるで嘘のようなラッキーな顛末でしたね。*(グッド)**(ニヤ)*
けして小さくはないけれどややこしく込み入ったヤルタの街のどこかにある筈のホテルが実はほんの目と鼻の先たった50メートルほどの所にあったとは...,
なんという幸運か。
夕方の混雑する時間帯だったせいか受付嬢の3人のうちの一人が空くのを待ってチェックインした。
2泊すると言ったら1泊分しか予約されてないという。
いや2泊だと予約証の写しを提示したらすんなりOKだった。
今日は日曜日の13日。
受付嬢の話では今週末から来週半ばまでヤルタの街は地元の夏祭りが開催されているのでとっても混雑しているのだとのことだった。
まずホテル裏の専用駐車場へ車を入れる。
これで安心と。
少なくない荷物を抱えてエアコンがよく効いた涼しい5階の部屋に入りこれで本当に安心。
何気なく部屋の中のエアコンを見上げると。
えっ?
なんと入り口のドアの真上に設置されているエアコン本体についている商標が”XXXXX”。
ラテン文字で書く両親からいただいた私の名前そのものではないか!
窓の外各部屋ごとバルコニーに設置されている居並ぶエアコンはみ~んな私の名前がついてました。
さぞ高品質高性能の有名ブランドなんでしょうね。
予期せぬ発見でした。
ヤルタでは私の名前はラグジュァリーホテルの皆さんも知っているほど有名でした。*(ウインク)*
もう夕闇が濃くなる時刻なっていた。
今日はずっとお昼抜きで走ってきたのでお腹がぺこぺこだった。
では早速晩飯に出かけましょうとホテルを出て祭りの人ごみでさっきよりもさらに込み合うようになったホテル前の歩道を海岸方向へ息子と歩いていった。
たった30メートル先であのドネ・ケバブの屋台に出くわす。
こんばんは効率よい事この上ない。
ためらうことなくその場で即決。
晩飯はこれにする!*(ニヤ)*
おいしそうなドネ・ケバブ巻きを4つオーダーし,横のこんがり香ばしく焼けてオーブンの中でゆっくり廻っているチキンの丸焼き(これもおいしそうだったゾ。)ちゃんを眺めながら他のお客と順番を待つ。
程なく出来上がったの抱えて40クリブナ(=6.25ユーロ)を屋台の主に支払った。
目の前でおいしそうな肉の焼ける匂いと辺りに漂う煙になぶられてメロメロになりながらも, 30メートルの長~い道のりを我慢しつつ殆ど駆け足でホテルの部屋に飛び込む。
暖かい包みを開けてただただ一心にむしゃぶりつく。
焼きたてのあったかいラム肉の薄切り片に微妙な味のソースを添え,それから新鮮なキャベツとピリッとからい玉ねぎの薄切りをしっとりとしたナンの薄皮で包んだものでちょうど両手でもってほうばるぐらいの大きさです。
おいしいんですねこれが!
待てよ昨日の午後もオデッサの街で食べたばっかりだったけど。
でも~, おいしいからよしっとする。
よっぽどお腹がすいていたと見えて息子は2個をぺロッと平らげたあと,私の分だった3個目も半分ほど食べてしまった。
お腹もいっぱいになったしシャワーを浴びてさっぱりして人心地ついた。
ではちょっと外の様子を観に散歩に出かけようとしたら息子はお腹が膨れたしとても疲れたんだろう。
部屋でベッドに寝転がってテレビを見ているとのこと。
私も同じように疲れている筈だけど,ヤルタ街の雰囲気に興奮しているのか無性に外を歩きたくなっていた。
ホテルの外に出るとさっきよりもさらに人出が多くなったようだ。
夏祭りで賑わう喧騒と宵闇に包まれたヤルタの街路をとぼとぼと歩き出す。
やっと気分的余裕ができた。
辺りを見廻すと泊まっているホテルのすぐ横に大きな広場あった。
その一画に10メートルぐらいの高さがある何かの記念碑があった。
そこへ行ってみるとその碑の基礎の地面には幾つかの都市の名前がモザイクではめ込まれている。
ラテン文字で大きくFUJISAWA JAPANと有った。
辺りは広場へ流れ込む人と流れ出る人たちでさらにごった返している。
繰り出しているのは主に家族連れや若い人たちのようだ。こんな夜更けだけど幼い子供達も大勢で歩いている。
広場のあちこちにはいろんな露店や怪しげなゲームをやってお客を呼び込んでいるところが方々にある。
真ん中辺りには特設ステージが設置されていて地元の歌謡ショーを開催中なのか大音響のパホーマンスが進行中。
それに見入る大勢の観客でうずまっている。
その喧騒を抜け出し広場を離れて街頭の照明が少ない海水浴の海岸遊歩道らし所を歩き続ける。
およそ1キロ近くの長さがあった。
その遊歩道に沿ってバーやレストラン・スナック・ゲームセンターが連なっている。
時間がやや遅かったのかその殆どはもう店を閉めていた。
今歩いている一画はこのまま西欧の地中海沿岸のどっかの観光地街の海岸通りって言っても通用しそうな景観だしそういう雰囲気もたぶんに濃厚に漂っている。
ここは有名な黒海沿岸の保養地ヤルタであることをあらためて思い出した。
遊歩道の波うちぎわは殆ど真っ暗闇でもあるにも関わらず宵の暑苦しさを凌ぐためなのか,夕涼みを楽しむ人たちがたくさんうごめいている。
闇夜の海で泳いでさえいる人たちもいる。
ここヤルタの海浜は砂浜ではなく大小の石ころとところどころに突き出た岩でできているらしい。
暗闇に静かに打ち寄せる黒海の渚の音と夕涼みの人たちの話し声がすぐ近くでとても快く響いてくる。
薄い潮の香りが鼻腔をかすめて漂う。
満月が黒海の上の中空にやさしく輝いている。
しばらく遊歩道の岸壁に腰掛けてそんな情景と雰囲気に浸っていた。
ふと右手の指先辺りに何か触れるものがあった。
こぶし大の石ころだった。
手にとってみるとずっしりとした重さがありひんやりしていた。
この石ころを持って帰ろうと決めた。
名前をつけてやろう。
”ヤルタの石”と命名する。
とっても好い名前ではないかと思った。*(ハート3つ)**(ウインク)*
オランダを出発してから7日目,3600KMを走ってついにたどり着いたヤルタだった。
なんとも表現しようのない感慨と充実感が体のなかに満ちて来るのを感じた。*(クローバー)*
夜が明けたらヤルタの街と隣町である黒海艦隊の軍港セベストポーリへ行こう。