navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

ウクライナ方面への旅-9

2006年10月20日 | 日記
今日もまたあさから陽が落ちるまで気温29℃真夏の晴れの天気。*(晴れ)*

ヤルタの街は夏祭りの人出で街じゅう大賑わいでした。
陽が落ちてすっかり暗くなった時刻でも半そで短パンサンダル履き姿でも歩きだすとすぐに汗ばむくらい蒸し暑い。
シャツのボタンをはだけ毛むくじゃらな胸で風を受けて歩いている人も居る。*(ニヤ)*

ホテルの向かい側道路を挟んだ一帯はヤルタの中心地, 2KMぐらいの長さをもつ広い海岸通り(=プロムナード)でそこをお祭りの人ごみに紛れてぶらつく。

海側のプロムナードにはアイスクリーム売り, アクセサリー売り, T-シャツ帽子屋, 小型メリーゴーランド, バンジートランポリン,レンタル電動バギー,ワインの試し飲みと販売屋, ビール・清涼飲料売り, ドネ・ケバブ屋, 映画撮影用衣装ならびに小道具つき写真撮影用セット屋?, 太ったおばちゃんがいるキオスク,雑誌売り,パンチ力と大槌投打力測定屋,超大型望遠鏡屋などが立ち並んでいる。*(ウインク)**(音符)*

一方陸側は常設の保養客目当ての各種ショップが軒を連ねて真夜中過ぎでも煌煌と照明を点けて営業している。

面白そうな所ではカフェバー兼水パイプ屋だな。*(ニヤ)*

なんかアラビアンナイトの千夜一夜物語世界に出てきそうな大型水パイプをゆったりと喫煙させてくれるところ。
トルコ・シーシャあるいはナルギレとかの名前で呼ばれる。
本体は大人のおへその高さぐらいの背丈がある。
大小のくびれがいくつもある大きなひょうたん型ガラス瓶のような優雅な風体をしている。

世の中には葉巻パイプ嗅ぎタバコまたスヌース等いろんな種類のタバコがあるらしいがこの水パイプ一番風格があると思う。
パイプよりももっと味わいのある東洋的雰囲気を醸しだしている。
ペルシャやトルコそしてアラブ世界の風俗文化ですね。

ただし自分は生まれてこの方喫煙とはまったく縁がないので水パイプを優雅にくねらせるひとたちをただ眺めるだけです。*(ジロ)*

そのほかでは,懐が豊かな人のためには貴金属アクセサリーならびにアート店があって見事な金銀細工品や磁器そして細密画などが点列している。

お値段を見るとどうしてなかなか貧乏人旅行者には到底手の届かない桁数字が並んでいる。
昔も今も世の中が大きく変わったとはいえ, ここに来る人たちの中には裕福な人たちがたくさん居られるようだ。
昔の皇族貴族らに対して今のニューリッチ(成金ブルジョア)たちかな。*(お金)*

ヤルタで購入したのはやっとやっと探し出したウクライナの道路地図2冊,クリミア半島の観光名所ガイドアルバム(ロシア語版)1冊 そしてクリミア・ワイン2本だった。

ワインのことはよくわからないけどクリミアのマサンドラ・ワインは超有名ですね。ラベルを見てもまったくよしあしが解からないのでボトルの容姿と色合いそしてお値段を較べながら好みと勘で選ぶことになる。
しかしキリのほうの高額ワインは見るからにそれらしい風格を漂わせた色合いと容姿をしていますね。
その他大勢のワインたちとは別格でちゃんと鍵のかかった陳列ガラスケースに鎮座なさっておられました。
まるで王侯貴族ご用達専用で後光がさしているようなまぶしさで...

で結局ワインショップで選んだのはさん然と輝いていないカラダスキーヤホフ産のマスカットワインです。
身分相応のボトルの形とワインの色合いそして値段で決めました。
さておいしいだろうか?
いつの日かクリミアの太陽に育まれたこのワイン,今いるクリミアを想い出しながらがらゆっくりいただくつもりです。*(ワイン)**(ウインク)*


今日の晩飯もレストランに行く気になれず例のごとくビンボー人とショミンの味方ドネ・ケバブ屋の匂いに誘惑されてまたまたいただくことにしました。

赤く燃えている縦型グリルの熱でじりじりと焼かれ油がたらたらとしたたり落ちている羊肉の大肉塊を前に仕事をしているのはこの屋台のお大兄さん。

こんな暑いところで一日中立ち仕事をするのはさぞ辛いだろうな。
順番を待つために屋台からはなれたところに立って仕込みの作業をみているだけでもグリルの熱でいや~暑いのなんのって,拭っても拭っても汗がどんどん流れ出てくるほど。*(汗)**(いっぷく)*

しかし春や夏場の保養客が来るあいだはこんな辛い商売でも頑張ってやっていればけっこうな稼ぎがあるのだろうが,一年を通して成り立つものではない。
シーズンオフはどうしているのだろうか?

そしてそこのお大兄いの精悍な風貌からふとある想いが浮かんできた。
ひょっとしたら彼はウズベキスタンから帰還したあるいは春夏の間だけここヤルタへ出稼ぎに来ているクリミア・タタール人の一人ではないかと。
やせて浅黒い筋肉質な体躯を白い木綿のダボシャツにステテコ風のズボンに包んでいる。
どうみてもスラブ系の人ではない。

第2次大戦中にスターリンによりヒットラーのドイツ軍へ協力し反国家的行為をしたからとの言いがかりをつけられ,もともとの住人である彼らクリミア・タタール人はウズベキスタンへ全員強制移住させらてしまった。*(すっぱい)*

乾燥した過酷な風土である中央アジアのウズベキスタンから温暖で風光明媚なかつて自分達が住んでいた土地にもどって来るのであるから悪かろう筈はないと思うのだが、その現実は厳しい。

現在クリミア半島には帰還クリミア・タタール人が25万人ほど住んでいる。全人口の12%ほど。

やはり同時期に自身の独立についての多くの問題を抱えながらも両ウクライナとクリミア自治共和国は彼ら帰還クリミア・タタール人へ可能な限りの社会的経済的援助と対応をしてきたそうだ。

とは言えいまでも失業状態(労働可能者のうち60%)の人たちが多くの彼らの生活を改善する道のりは険しい。*(青ざめ)*

ここに住む主要民族であるロシア人とウクライナ人たちとどう平和に共存できるかは社会経済的な問題がうまく対応改善できて初めて可能になるのだと思う。

ここクリミア自治共和国はクリミア・タタール人も含めて信仰宗教が異なる多民族の平和的共存を成し遂げていかねばならない大きな課題を抱えている。
ロシアとウクライナの綱引きも今は沈静化しているように見えるけどいつまた再燃するのか。*(困る)*


たとえばの話であるが, 
日本固有の領土である北方領土が将来もし返還されることがあるとすると一挙に多くの問題に直面すると推察される。

日本政府の帰化ロシア人らへの対応策はもちろんそしてかつての居住者の権利への対応と新たに入植する日本人との平和的共存等が当然課題として発生する。

香港や澳門のように一国2制度を適用するのか?

既得権は?使用言語は?教育は?生活慣習は?労働慣習は?信仰宗教は?
単一民族国家をずっとやってきた日本ではまったく考える必要もなかった多民族国家ゆえの諸問題が突如現われることになる。

そんな話と少なからず縁のあることだが, 先の大戦末期北方領土のロシアへの帰属を一方的に決めたヤルタ会談が行われたリバーディア宮殿へは今回行く時間的余裕がなかった。

そんなこんな尽きぬ興味の歴史に彩られているクリミア半島のここヤルタの街にやって来れたのはとてもラッキ-だと思う。
”縁”があったのだろうか。

目の前で汗を流しつつ一生懸命仕込んでくれたドネ・ケバブ巻きを二つ受け取り20クリブナ(Euro.3.1‐)を支払った。
すぐ目の前にある船着場まで移動して波打ち際の岸壁にこしかけて出来たてのドネ・ケバブ巻きをほおばった。

後ろの屋台を振り返りながらヤルタの祭りの賑わいとは違うなにかやるせない想いがわいてきた。*(怒り)*

“お大兄しっかり稼いで家族にすこしでもいい生活をさせてやってくれよな。”*(グッド)*

真夜中になっても家族連れで賑わう海岸通りを歩いてホテルへ戻った。

買ってきたばかりのロシア語の道路地図を拡げて陸路でルーマニアへ入るルートを検討してみた。

小一時間調べてみた結論は, “ル-マニアへは行かずにウクライナを走ってポ-ランドへ入るル-トで行こう。”だった。

50万分の一の地図上で確認できる範囲ではどうしてもモルドバの国境を通過しないとル-マニアへ入国できそうもない。
ドナウ川が黒海へ注ぎ込む広大なデルタ湿地帯でその一帯を通過することになるが, くねくね走る道路と複雑な国境線が絡みあっている。

それ相当の時間と金をかける用意と覚悟があればいけるのだろうが, 今回はパスすることにした。
またいつの日かに行ってみよう。*(車)**(ニヤ)*

明日からは帰路のルートを行くことになる。
まずはヤルタから100KM弱ほど北に行ったところにあるかつてクリミヤ・ハン国の首都があったバフチサライへ立ち寄る予定。

私の名前のついたエアコンを弱にセットして明日のル-トを想いうかべながら眠りについた。