navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

ウクライナ方面への旅-8

2006年10月13日 | 日記
今回の旅の両目玉はここヤルタ観光とルーマニアのコンスタンタに渡るフェリーボートクルーズの予定である。*(ウインク)*

少なくとも今日のこの時点では, とコトワリがつくけどね。*(はてな)*
なぜって, この日の午後3時すぎには
”その予定であった。”に変わってしまったんです。

しかしながら, 誠に残念ながら, 不本意ながら, 涙を呑んで悲嘆にくれながら, 努力の甲斐なく万策尽きトホー二クレながらこの両方の目玉を諦めなければならなくなってしまったのだった...*(ジロ)*

オリジナルの予定ではどうしたかったかというと,

セヴェストポーリ港からコンスタンタ港へ車ごと渡りそこからはルーマニアの首都のブカレストを訪ねる。

それからトランシルバニア・アルプス地方=カルパチア山脈をなぞるように北上しながらブラショウを通る。
さらに北上してローンカトリック教会の古~い修道院がいくつも点在するブコビナ地方を経てハンガリ-との国境近くにあるバイア・マ-レへ至る。

その後はハンガリーへ抜けブダペスト, チェコのプラハ, ドイツのニュールンベルグと訪ねドイツを東から西へ通り抜けてオランダへ帰国するルートを描いていたのだが。

ルーマニア, チェコ, スロバキアとハンガリーにはそれぞれ2002年と2000年の夏にも行ったことがありついこの間2003年5月からはEU諸国のメンバーに参入している国々だし西側から来る旅行者にとっての旅行ルートとしては旅の難易度はここウクライナと比較すると遥かに低い。

反面, 西欧州地域へ近づくにしたがって物価ははっきりと高くなる傾向にあるけどね。
欧州の物価は”西高東低”これではまるで冬の日本列島の典型的な気圧配置だな。

コンスタンタへ行くフェリーボートは隣町であり黒海艦隊(現在はウクライナ海軍とロシア海軍が同居している)の基地セヴェストロポーリから出ているはず。という”確信いや期待だったかな。”があった。*(ダーツ)*

この旅に出発する前にできうる限りこの定期船の情報を入手しようとした。
だけどその定期船についての情報についてはいま手元にあるフレイタク&ベンドの東欧圏の地図帳にのっているのが唯一でこれ以外の手がかりは全く無し。*(最低)*

まあ行ってみて調べるしかないかというリスク覚悟で出発するしかなかったのだ。*(コメント)*

そんな塩梅だったので, 一昨日立ち寄ったやはり黒海の港町オデッサでその情報収集をしようとそこの客船埠頭へ行ってみたりもした。

しかしそこからコンスタンタ行きの定期船は無いようだった。

ただトルコのイスタンブール行きとブルガリアのブルガス行きは就航していることが確認できた。
そして運良く訪ねたちょうどそのときにイスタンブールから到着したばかりの大型フェリーボートが接岸中で大勢の下船客でごった返していた。

という訳で今日(月曜日)はヤルタ観光をする前にまずはセヴェストポーリへ行ってフェリーボートを探し出しなるたけ早く出航する便のチケットを購入するつもりだった。

ヤルタの観光は第2次大戦が越境にさしかかりつつある1945年2月スターリンがルーズベルトとチャーチルを招いて行った密談の場所リヴァ-ディア宮殿を訪ねることだった。

朝っぱらからビール瓶片手に歩道を闊歩している凄腕のプロの保養客?を見やりながら真夏の陽光の中に輝くヤルタを抜け出した。*(車)**(ダッシュ)*

波打ち際から急角度で切り立つ断崖との間のわずかな斜面を切り開いて走る海岸道路をぬってヤルタから約100KMにセヴェストポーリはある。
一気に街の中心へ乗り込んだ。
と思った。
*(ニヤ)*
それからずい分走り廻ったけど一向に港へたどり着けない。
街中のキオスクで買った市街地の地図を見ながら探しはじめた。

ここには大小7つの整備された港があってその中のひとつの湾にコンスタンタ行きの定期便船が発着する埠頭ターミナルがあるはずなのだ。

でその顛末は?

え~とごほん, 
まずはと、 
フェリーボートがありました!
すぐその場で乗り込みました。
乗客はやけに少人数でした。
めっぽう小型船でした。
乗船チケットは車と大人二人込みでたった16クリブナ(Euro. 2.50)でした。
操舵している船長さんの姿が近くから見えました。
船員さんはやはり小所帯で5人ぐらいでした。
航海時間はおよそ20分ほどでした。

行く手の右側には幾隻かの巡洋艦・駆逐艦・哨戒艇や魚雷艇らしき黒海艦隊のグレーに塗られた船体が遠くに見え隠れしてました。
とそれらに混じってやはり何隻かの貨物船や中型客船らが停泊しているのが見えました。
到着した港は夏休みの家族連れで賑わっていました。
下船するときには入国審査はおろか税関審査も一切ありませんでした??
やってきた方角を振り返ると対岸の家並みが米粒ぐらいの大きさに見えました??
あれここもキリル文字を使っているのかな?

一体ここはどこなんでしょうか???

え~とごほん,
はるばるやって参りましたのはと, 

なんと*(すっぱい)*
セヴェストポーリのセントラル地区にあるザハーロバ広場前の船着場でした。
出航した港は対岸のやはりセヴェストポーリ北地区にあるナヒーモフ広場前にある船着場でした。
航海距離はたったの2KM強でした。

然るに, 黒海の対岸393KMかなたにあるルーマニアのコンスタンタ港へは辿り着けなかったのです。

まだウクライナにいるようです...

無声映画ではないんですけど。

音無し...
息を飲み込み続けていますので音がしません。

再び音無し...
今度は大きくてふか~いため息を出し続けていますのでやはり音がしません。

まだ音無し....
がっくりと肩が下がりうなじを垂れてます。*(最低)**(バツ)*

広場の駐車場に車を置き, 気を取り直して街中の旅行社を探してみることにした。
しばらく歩き回りましたが, そんな旅行社は一軒も見つかりませんでした。
最後にロシア風の雰囲気濃厚なハイクラスホテル?があったので中の受付でコンスタンタ行きのフェリーを訪ねてみました。

英語がよく解かるご年配のベテランらしき女性マスタ-さんがのたまわれるには,
 ”そんな船はここにはありませんよ。”
とのことでした。

簡潔明瞭至極の至りでした。

今度もやはり音無し...
がっくりと大きく肩が下がりうなじを大きく垂れてそろそろと歩いているのだが, 足の裏が殆ど地面についていない。*(青ざめ)*

二人の無言のやり取り。
”どうしようか...”
もう表情なんてありませんね。

自分達の車の近くまでとぼとぼと帰ってきて初めて, やっと”冷たいモンでも飲もうか?”
やっとよわよわしい声が出ました。

これが黒海艦隊の基地の街セヴェストポーリを訪ねての物語の一部始終です。

この街の北から南まで7つの港のすべて隅々まで殆ど一日中探し回りました。
行く先々で軍事機密扱いである筈の
軍艦も含めて写真はたくさん撮りました。
閉鎖都市であったソ連邦時代には全く考えられなかったことでしょう。
当時は軍事関係者とこの街の住人以外は全く街中には立ち入れなかったそうです。

今日は不審人物と見られても仕方がない行動三昧をしましたが, とがめられたりしたことは全くありませんでした。

ただ単に運がよかった?のかここもそういう平和な時代に入ったと言えるのか?
いずれにしても好ましいことです。*(ウインク)*

夕闇が広がり始めた7時ごろ夏祭りでごった返すヤルタの街に帰って着ました。
ヤルタ観光名所めぐりはよってパス。

そしてホテルの部屋へウチヒシガレタこの身と心を運び込みました。

さてどうしようか?*(はてな)*
”どうするの?” これは心配する息子の言葉です。

どうにかなるだろう。どうにかしなければ。*(グー)*

陸路でルーマニアへいけるのだろうか?
問題はウクライナ-モルドバ - ルーマニアの国境通過だ。
モルドバ入国にはビザがいる。
それがめっぽうたいへん難しいらしいのだ。
モルドバに入国せずにルーマニアへいけるのだろうか?
この疑問をクリアーできなければ他の選択するしかない。
それは...

明日の朝までによく考えて決めようと思った。*(笑顔)*

こんばんはヤルタの街の祭りを見に行ってみようと思った。
気分転換のためにも。*(音符)**(ビール)*