猫面冠者Ⅱ

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43年前の甲子園決勝:中京商(現中京大中京)と戦った二選手

2009-08-28 22:39:00 | インポート
中京大中京の七回目の優勝で幕を閉じた今年の夏の甲子園大会。判官びいきの多い高校野球ファンの中には、敗れたとはいえ大健闘した日本文理の戦いぶりに拍手を送った方も多いことだろう。(もっともその日本文理も準々決勝で大勝した時、翌日のマスコミがインフルエンザ禍にもめげずに戦った立正大湘南を讃える報道一辺倒だったので少々肩身の狭い思いをしたのではなかろうか・・・。判官びいきは無節操でもあるのだ。筆者もその一人ではあるが・・・)

中京大中京の優勝は中京商時代の昭和41年以来、43年ぶりのこと。その43年前の決勝戦、中京商対松山商のスコアは下記の通り。

第48回全国高校野球選手権:決勝
昭和41年8月24日:於・甲子園球場
中京商001 010 100  3
松山商010 000 000  1
中京商 松山商
(三) 平林 4 1 1 (遊) 水中 4 0 0
(中) 西脇 4 0 0 (三) 4 0 0
(捕) 矢沢 4 1 0 (左) 幸田 3 1 0
(右) 伊熊 4 0 0 (投) 西本 4 1 0
(一) 川口 4 2 0 (二) 坂本 4 0 0
(二) 光岡 4 0 0 (中) 平岡 3 1 0
(投) 加藤 4 2 0 (一) 岡田 3 1 0
(左) 片野 2 1 1 (右) 新里 3 1 1
(遊) 芝田 3 1 1 (捕) 沢田 3 0 0
33 8 3 31 5 1



加藤 9 32 5 6 1 1

西本 9 34 8 3 0 3



この勝利で中京商は作新学院に続いて史上二校目の春夏連覇を達成。作新学院が春は八木沢、夏は加藤の二投手で連覇を遂げた(夏の八木沢は赤痢で欠場)のに対して、中京商の加藤投手は春夏10試合を一人で投げ抜いた。
一方、敗れた松山商のエース西本明和は巨人で活躍した西本聖の実兄。ドラフト一位で広島に入団するが、現役中二度も交通事故にあい投手を断念。野手に転向するも今度は肝臓病に見舞われるなどプロでの生活は不遇に終わった。

この試合の翌年4月の新聞に下記のような記事が載っている。
・・・三十七年秋以来五年ぶりに一部入りした東洋大の戦いぶりも興味深い。下手からの鋭いシュートで芝工大を押え、一部入り立役者となった会田(二年・上尾)がどこまで働くか。一部入りと同時に高橋(桐生)広瀬(甲府工)森、岡田(松山商)ら甲子園組をどっと加えている。
(『毎日新聞』昭和四十二年四月六日付朝刊、“東都大学野球展望”より)

上に掲げた決勝戦のスコア中、太字で示した松山商の岡田聖二選手と森達朗選手が東洋大に進学。
岡田選手は一年春から早速ベンチ入り、森選手も秋のリーグ戦でスタメン出場を果たしている。
敗れたとはいえ甲子園の決勝という大舞台に立った二選手は大学でも優勝を味わうことなく、二部再昇格直後でまだまだ苦しかったチームの屋台骨を支えた。


まだまだ残暑は続くとはいえ球児たちの夏は終わった今、 来春はどのような球児たちが“TOYO”のユニフォームに袖を通し、どのような四年間を過ごすのか、思いを馳せるのである。




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