猫面冠者Ⅱ

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高橋昭雄監督の選手時代=東洋大野球部の歴史―人物⑩

2021-01-31 11:54:19 | インポート
東洋大野球部・高橋昭雄監督は今年が就任37年目。筆者もそうだが、選手時代のことは知らない人の方が多いかと思う。
そこで、新聞などから選手としての高橋監督のことをまとめてみた。
(H24年12月16日:昭和40年秋季埼玉大会と昭和41年春季埼玉大会を追記しました)

高橋昭雄 昭和23年6月8日生 埼玉県大宮市出身 旧姓佐藤
大宮工1年の時、投手から捕手に転向。東洋大に進み1年の秋にベンチ入りして、4年で副将を務める。日産自動車勤務を経て、昭和47年より母校東洋大の監督。
(『スポーツ人名辞典2003』日外アソシエーツより)


昭和40年
秋季埼玉大会
一回戦  大宮工5-4春日部 
二回戦  大宮工13-0川越商(5回コールド)
準決勝大宮工1-0深谷商
決勝
大宮工000 000 000  0
大  宮100 021 30X  7
(工)中島ー佐藤
(高)石塚ー野口

昭和41年 
春季埼玉大会
二回戦  浦和1-0大宮工


全国高校野球埼玉県予選
7月19日二回戦  大宮工4-1本  庄 
7月22日三回戦  大宮工6-0鴻  巣
7月24日準々決勝 大  宮9-1大宮工


昭和42年 打数 安打 打点 二塁打 三塁打 本塁打
10月12日 亜大 一回戦 ●3-6 八番 代打 1 1 0
10月26日 日大 一回戦 ●2-3 六番 代打 1 1 0
11月3日 日大 三回戦 ○3-1 九番 代打 1 0 0
0.667 3 2 0

昭和43年
4月16日 芝工大 一回戦 ●2-3 五番 捕手 5 2 0 1
4月17日*① 芝工大 二回戦 ○3-2 五番 捕手 3 1 1
4月24日 亜大 一回戦 ○1-0 五番 捕手 3 1 0
4月25日 亜大 二回戦 ●0-8 五番 捕手 3 0 0
4月26日 亜大 三回戦 ●1-8 五番 捕手 4 1 0
5月9日 専大 一回戦 ○3ー1 三番 一塁 4 0 0
5月10日 専大 二回戦 ○8-7 三番 一塁 3 0 0
5月14日 駒大 一回戦 ●1-5 六番 一塁 2 0 0
5月23日 中大 一回戦 ●0-1 六番 一塁 1 0 0
5月24日 中大 二回戦 ○4-0 六番 一塁 2 0 0
5月29日 芝工大 三回戦 ●0-2 九番 代打 1 1 0
0.194 31 6 1 1


9月4日 専大 一回戦 ●3-4 六番 一塁 2 0 0
9月5日 専大 二回戦 ○3-2 六番 一塁 2 0 0
9月6日*② 専大 三回戦 ●3-6 七番 一塁 4 1 1 1(芝池)
9月19日 芝工大 一回戦 ○6-0 六番 一塁 2 0 1
9月20日 芝工大 二回戦 ○5-0 六番 一塁 3 2 1
9月24日*③ 亜大 一回戦 ●2-4 六番 一塁 2 0 0
9月25日 亜大 二回戦 ●0-4 六番 一塁 3 0 0
10月10日 駒大 一回戦 ○2-1 五番 一塁 2 0 0
10月11日 駒大 二回戦 ○5-2 八番 代打 1 1 0
10月16日 中大 二回戦 ●3-7 六番 代打・捕手 1 0 0
0.182 22 4 3 1

昭和44年
4月8日 芝工大 一回戦 ●3-6 一番 捕手 5 1 0
4月9日*④ 芝工大 二回戦 ○3-0 一番 捕手 3 0 0
4月10日 芝工大 三回戦 ●1-6 一番 捕手 3 1 0
4月15日 日大 一回戦 ○6-0 一番 捕手 5 2 1
4月16日 日大 二回戦 ○5-3 一番 捕手 4 2 1 1
4月29日 中大 一回戦 ●3-5 一番 捕手 5 0 0
4月30日 中大 二回戦 ○3-2 五番 捕手 4 1 1
5月1日*⑤ 中大 三回戦 ○7-1 五番 捕手 4 1 3 1(杉田)
5月6日 駒大 一回戦 △2-2 五番 捕手 3 0 0
5月7日 駒大 二回戦 ●3-6 五番 捕手 3 0 0
5月8日 駒大 三回戦 ●2-5 六番 捕手 3 0 0
5月21日 日大 一回戦 ●0-1 五番 捕手 3 0 0
5月22日 日大 二回戦 ●1-10 一番 捕手 4 3 0 1
0.224 49 11 6 2 1


9月9日 日大 一回戦 ●0-1 二番 代打 1 0 0
9月10日 日大 二回戦 ●0-4 六番 捕手 2 1 0
9月18日*⑥ 駒大 二回戦 ○7-5 二番 代打 2 1 0
9月30日 亜大 一回戦 ●1-2 九番 代打 1 0 0
10月2日 亜大 二回戦 ●1-5 七番 代打・捕手 1 0 0
10月23日 芝工大 二回戦 ●1-2 九番 代打 1 0 0
0.250 8 2 0

昭和45年
4月7日 芝工大 一回戦 ●0-2 七番 捕手 4 0 0
4月9日 芝工大 二回戦 ●0-4 六番 捕手 3 1 0
4月14日 亜大 一回戦 ●1-6 五番 捕手 4 1 0
4月16日 亜大 三回戦 ●0-2 九番 代打 1 0 0
4月29日 日大 一回戦 ●3-4 一番 代走 0 0 0
4月30日 日大 二回戦 ●1-2 五番 捕手 4 0 0
5月6日 駒大 二回戦 △2-2 四番 捕手 4 0 0
5月8日 駒大 三回戦 ○10-4 七番 捕手 5 1 0
5月9日 駒大 四回戦 ●5-7 七番 捕手 4 2 1 1(行田)
5月21日 中大 一回戦 ●3-5 七番 捕手 4 2 1 1(前田)
5月22日 中大 二回戦 ●2-3 七番 捕手 3 0 0
0.194 36 7 2 2


9月8日 日大 一回戦 ●0-2 七番 捕手 2 0 0
9月9日 日大 二回戦 ○11-3 七番 捕手 1 0 0
9月10日 日大 三回戦 ●4-9 七番 捕手 1 1 0
10月9日 中大 一回戦 ●3-12 九番 捕手 1 0 0
10月21日 亜大 一回戦 ●0-1 九番 代打 1 0 0
0.167 6 1 0

通算 打率0.213 155打数 33安打 12打点 二塁打 2 三塁打 1 本塁打 4

*①昭和43年4月17日
芝工大000 000 020 00  2
東洋大000 001 001 01x  3
九回東洋は横山右前安打、一死後細川の一ゴロで二進した。どたん場のピンチに豊田もいささか堅くなったらしい。佐藤に三つボールを続けた。・・・中略・・・四球目は平凡な直球でストライクを取りにいった。佐藤は見逃さない。遊撃手左を強襲安打して同点にした。(『朝日新聞』昭和43年4月18日付)

*②昭和43年9月6日
東洋大020 000 010  3
専修大100 400 10X  6
芝池は二回、細川にバックスクリーンの上を越される大本塁打を打たれ、佐藤にも左翼席にたたき込まれた。(『朝日新聞』昭和43年9月7日付)

*③昭和43年9月24日
東洋大100 000 010  2
亜  大012 000 01X  4
・・・四回の好機を拙攻でつぶしたのもたたっていた。無死一、二塁としながら、二塁走者佐藤のリードが大きく、投手のけん制に刺された。(『朝日新聞』昭和43年9月25日付)

*④昭和44年4月9日
東洋大200 100 000  3
芝工大000 000 000  0
初回、先頭の佐藤が四球で出たあと二盗に成功してチャンスのきっかけをつかんだ。二死後細川は1-1から左翼席にたたき込んで2点をあっさり先取した。(『毎日新聞』昭和44年4月10日付)

*⑤昭和44年5月1日
中央大000 100 000  1
東洋大003 011 11X  7
東洋大は三回、岡田の左越え二塁打と細川の四球でつかんだ二死一、三塁に、佐藤が低めのストレートをすくいあげて左翼席へ3点本塁打。(『毎日新聞』昭和44年5月2日付)

*⑥昭和44年9月18日
東洋大000 000 007  7
駒澤大000 003 020  5
野球は二死から
―東洋大、九回にすごい逆転―
東洋大は九回、打者十一人で7安打を集中、5-0の劣勢を一気にひっくり返した。それも二死からで、まさに奇跡の逆転勝ちだった。
この回の猛攻は富川、代打佐藤昭の連打からはじまった。この快打で無死一、二塁としたが、細川の三ゴロで富川が三封され、つづく柳瀬は中飛で二死。“反撃空し”と思われたが、岡田の三塁強襲安打でまず1点をとり、白川四球で満塁としたあと、中島、増田、横山の代打トリオが連打して5-5の同点。なおも富川の右中間三塁打で2点を加える見事さ。(『毎日新聞』昭和44年9月19日付)



昭和46年
第二十五回ベーブルース杯
5月11日二回戦日産自動車7-0三菱自動車三原
5月12日準々決勝日産自動車1-0西濃運輸
5月13日準決勝日産自動車1-0富士重工
決勝日産自動車5-0三菱重 工名古屋

都市対抗野球
神奈川県予選
6月12日:準決勝
オール大和000 000 0  0(七回コールド)
日産自動車541 210 X  13
(大)小川名・安田ー石原・筒井
(日)田中修・井上ー須藤・佐藤

6月13日 決勝 
日産自動車4-1キャタピラー三菱
(南関東予選へ)

南関東予選
7月4日 一回戦 
日本通運2-1日産自動車

7月5日:敗者復活一回戦
日産自動車033 002 100  9
千葉鉄道局000 100 000  1
(日)柏崎・宿院ー須藤・佐藤
(千)渡辺・鴨野・仲佐ー豊島

7月9日:敗者復活二回戦
電電関東1-0日産自動車

産別対抗野球
自動車部門予選

9月1日 一回戦 
いすゞ自動車4-3日産自動車


昭和46年の秋。23歳の高橋昭雄は、社会人野球の名門・日産自動車野球部に在籍していた。若い控え捕手ながらもインサイドワークに定評があった。チームメイトから信頼されていた捕手であり、笑顔が魅力的な好青年だった。・・・中略・・・そんな高橋に電話が入ったのは、10月末の秋季練習中。東洋大学体育会からの使者だった。
(『野球小僧』2004年10月号所収「タカハシ主義」より)

当時の高橋は、東洋大を卒業して一年目。社会人野球生活をスタートさせたばかりだった。当然、現役選手に未練があった。憧れの夏の都市対抗を出場を逃した上、現在の日本選手権大会の前身である秋の産業別大会への出場権も失っていた。このまま現役選手から身を引くことはできない。
(同 上)

47年2月、本学野球部監督に就任。当時弱冠23歳。46年本学(経済学部)卒業と同時に日産自動車に入社。一年たらずで母校へ呼びもどされた青年監督。東都でも最も若い監督であろうか。
「最初はお受けするつもりはなかったんですが・・・・・。日産の監督も、身近な仲間もいい経験だし、勉強になるからやってみろという。でも、とてもそんな気になれなかった。が、逆に“あんな若造のあいつがなるなら、徹底的に邪魔してやる”なんていう声を聞いて闘志がわいた。よし、とにかく“やってやろう”という気になったですね。もちろん自分では若いことも、すべてに未熟なことも知っていて辞退していたんですが・・・・・、おかしなもんですね・・・・・」
(『校友会報』第93号=昭和50年発行所載「この人と語る」より)

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