猫面冠者Ⅱ

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孤軍奮闘?宮崎孝悌氏=昭和初期の全日本学生氷上選手権

2019-12-29 15:42:18 | インポート
以前アップした『戦前の東洋大学の運動部』という記事に“『東洋大学百年史』には“スケート部は昭和四年宮崎孝悌(昭和五年卒)により再組織され誕生し”、昭和五年の第五回全国学生氷上選手権にアイスホッケーに東洋大が出場していたことを書きましたが、その後『運動年鑑』を調べていたところ、スピードスケートでも“宮崎(東洋大)とあるのを見つけました。

昭和三年:第三回全日本学生氷上選手権(1/6~9:於長野県松原湖)

  五百米:四着・宮崎(東洋大)
千五百米:四着・宮崎(東洋大)

各校得点:早大36点 明大25点 南満医大14点 法大12点 慶大6点 洋大2点

昭和五年:第五回全日本学生氷上選手権(1/5~8:於長野県松原湖)

 五百米:五着・宮崎(東洋大) 小柳(立大)

各校得点:早大51点 明大32点 立大3 1/2点 慶大3点 北大2点 洋大1 1/2点

1/2点が与えられているのは立大の小柳選手と同着だったためと思われます。

更に先にも記したようにこの第五回大会ではアイスホッケーにも出場しています。

 
一回戦10:40開始レフェリー:飯田・原
東北大26― 0東洋大
(1P)10-0
(2P) 6-0
(3P)10-0
石川  FW宮崎
上中 内山
原田 万年山
(山下)
相澤  DF井川
鹽谷 (小笠原)
時村
綿貫  GK齋藤


正確なことはわかりませんが、アイスホッケーにFWで出場している宮崎選手もスケート部を再組織した宮崎孝悌氏でありましょうか。
『百年史』で再組織と言っているのも、もしかしたら昭和三年に宮崎氏がインカレ出場後、一年のブランクの後に“再組織”したという事なのかもしれません。

その後のインカレの記録は当時の新聞によるとアイスホッケーで

昭和 6年第六回全国学生氷上選手権(1月)
      ○早稲田大(棄権)東洋大●
昭和 7年第七回全国学生氷上選手権(1月)
(参加校に東洋大の名前はあるが開催地の氷の状態が悪く中止)

があるだけでした。

宮崎氏の卒業と共に衰退してしまったのでしょうか…。
(現在の東洋大スケート部は同好会から昭和36年部に昇格となっており、戦前の歴史を継承はしていないようです)

以前、古書店で手に入れた昭和四年度版『東洋大学一覧』によると宮崎孝悌氏は佐賀県出身で倫理学東洋文学科に籍を置いていました。
また、昭和28年発行の卒業生名簿によると、卒業後は佐賀県で教職に就かれたようであります。
寒冷地の出身でもない人がどうして東洋大にスケート部を作ったのか定かではありませんが、八十年以上の歴史を誇る“氷上インカレ”の初期のころに早くも東洋大学の対抗得点を記録した宮崎氏の功績は記憶の片隅に留めて置きたいものであります…。


『運動年鑑』昭和三年の記事
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同じく昭和五年の記事
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