大英博物館 古代エジプト展「死者の書」から切なる思い感じて・・・
フウネフェルの「死者の書」口開けの儀式の場面(部分)
ナイル川の流れる地で生まれ育ち、そこで亡くなって埋葬され、そこによみがえるというのが古代エジプト人の思想でした。さまざまな宗教で「天国」は今よりももっと良い場所だ、という考えがあります。でも古代エジプトでは、来世はこの世と同じなんです。ナイルが流れるエジプトの地が、全てだった。 この展覧会は「死者の書」を中心に、古代エジプト人の死生観を浮き彫りにしようというものです。古代エジプトの研究は「死の考古学」といわれます。しかし彼らにとって、死を考える事は「どう生きてきたか」を考える事でした。死後の審判では、生前に悪い事をしたり、嘘をついたりすると、再生できないですから。
何としても再生したいという気持ちが強く表れているのが「死者の書」です。「死者の書」は時代によっても異なり、様々なバージョンがあります。元々は呪文集だったので、挿絵は必要なかったと思うのですが、紀元前15世紀ごろから、特徴ある場面を描いたものが出現するようになっていきます。
極彩色の挿絵のピークは、第19王朝(紀元前1295~1186年ごろ)ぐらい。ラメセス2世の時期です。今回、「口開けの儀式の場面」が展示される「フウネフェルの『死者の書』」はそのピークに近いもの。挿絵の完成度が非常に高く、保存状態も良い。「死者の書」では、「太陽神の航行」など再生や復活の象徴となる、別の伝承からの場面も人気がありました。「グリーンフィールド・パピルス」には、きちんとした形で残存するものが少ない「天地創造」の場面があります。
エジプト人も死は怖かったと思います。だからこそ確実に再生できる「保証」が重要で、一生懸命にお墓や副葬品を作った。実物に触れると、彼らの思いが時間を超えて感じられるのではないでしょうか。
明日は月命日。お墓のお花と仏花を買いそろえているだけで、哀しい。
こんな些細な事でダメな おかん だね。
あんたの好きだった○ウスバーモントカレーを久しぶりに作って、お供えするよ。
おかんは もう少し 頑張ってみるね。
「似顔絵セラピー」を自分が描いてみようと思った。だけど、心がついてゆかずダメだった。情けない、悔しい、悲しい。それでも、泣きながら歯をくいしばって「やってやる!」という気力が湧かないよ。
情けないおかんで ごめんよ。
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フウネフェルの「死者の書」口開けの儀式の場面(部分)
ナイル川の流れる地で生まれ育ち、そこで亡くなって埋葬され、そこによみがえるというのが古代エジプト人の思想でした。さまざまな宗教で「天国」は今よりももっと良い場所だ、という考えがあります。でも古代エジプトでは、来世はこの世と同じなんです。ナイルが流れるエジプトの地が、全てだった。 この展覧会は「死者の書」を中心に、古代エジプト人の死生観を浮き彫りにしようというものです。古代エジプトの研究は「死の考古学」といわれます。しかし彼らにとって、死を考える事は「どう生きてきたか」を考える事でした。死後の審判では、生前に悪い事をしたり、嘘をついたりすると、再生できないですから。
何としても再生したいという気持ちが強く表れているのが「死者の書」です。「死者の書」は時代によっても異なり、様々なバージョンがあります。元々は呪文集だったので、挿絵は必要なかったと思うのですが、紀元前15世紀ごろから、特徴ある場面を描いたものが出現するようになっていきます。
極彩色の挿絵のピークは、第19王朝(紀元前1295~1186年ごろ)ぐらい。ラメセス2世の時期です。今回、「口開けの儀式の場面」が展示される「フウネフェルの『死者の書』」はそのピークに近いもの。挿絵の完成度が非常に高く、保存状態も良い。「死者の書」では、「太陽神の航行」など再生や復活の象徴となる、別の伝承からの場面も人気がありました。「グリーンフィールド・パピルス」には、きちんとした形で残存するものが少ない「天地創造」の場面があります。
エジプト人も死は怖かったと思います。だからこそ確実に再生できる「保証」が重要で、一生懸命にお墓や副葬品を作った。実物に触れると、彼らの思いが時間を超えて感じられるのではないでしょうか。
明日は月命日。お墓のお花と仏花を買いそろえているだけで、哀しい。
こんな些細な事でダメな おかん だね。
あんたの好きだった○ウスバーモントカレーを久しぶりに作って、お供えするよ。
おかんは もう少し 頑張ってみるね。
「似顔絵セラピー」を自分が描いてみようと思った。だけど、心がついてゆかずダメだった。情けない、悔しい、悲しい。それでも、泣きながら歯をくいしばって「やってやる!」という気力が湧かないよ。
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