ねこのにくきゅう「泣き虫おかん日記ー星が笑えばー」

あかいねこの
       ひとりごと 

自死、自殺に本気で向き合う

2015-02-28 10:36:06 | 日記
本日『自死、自殺に本気で向き合う』というシンポジウムがある。
参加したかったのだが、人ごみに行くとまた体調が悪化するだろうとあきらめた。
どんな内容なのか気になったので検索してみると、5年くらい続けて行われているようだった。
そこにあげられていたことを、書いてみる。

自死にまつわる思いは、ひとりひとり違う。その思いを人に伝える事は、簡単ではない。
死にたい想いを抱えた方にどんな言葉をかけたらよいか?
死にたい気持ちをどうわかってもらえるか?
自殺について“伝える”ことの意味を考える。

メールやブログは、相手と顔を合わせないことに最大の特徴がある。そのため伝えたい気持ちを
いつでもどこでも伝える事ができる。
私は、ある自死遺族代表者から『顔が見えないから責任持てない』と言う声も聞いた。
でも、私は言葉ではうまく話せない。いろんな人がいる。

自死を「防止」することを主な目的にしない。
今、現にある「死にたい」という気持ちを否定することは、「孤独による苦悩」を生むのではないか。苦悩する気持ちを誰にも受け取ってもらえない。誰にもわかろうとしてくれないことでその方は「ひとりぼっち」になってしまう。そんな思いがあるからだ。
では、どうやって「死にたいほどの苦悩を抱えている方の孤独による苦悩を和らげ」ようとしているのか。それは「苦悩を抱えた方の気持ちを丁寧に受け取る」ということである。
「苦悩」する気持ちを誰にも受け取ってもらえない、そんな「ひとりぼっち」の気持ちで、居場所がないと感じている方に、その気持ちを丁寧に受け取ることで少しでも居場所が提供できればと思う。
つまり、「死にたい」という気持ちも、ひとつひとつ丁寧に受け取ろうとしている。自死したいという気持ちさえ許されない事、最後の最後に絞りだすように打ちあけられた「死にたいほどの苦悩」さえも否定されてしまう事は、その方の最後の居場所を奪う事にもなりかねない。

私は、あの時 苦悩する息子の気持ちを受け取れていない。受け取れていたとしても息子は自死を選んだかもしれない。「それでも自死を選ぼう」という気持ちを含めた、ありのままの息子の気持ちを受け取りたいと思っている。
だけど・・・“死人に口なし” 今更 今更だからこそ 息子の本心を知ったところで今以上に傷つくかもしれないし、逆に心、穏やかでいられるかは、わからない。

最後まで、「死にたいほどの苦悩」を抱えていた息子の居場所でありたいと願う今更ながらの
愚かな母なのである。
コメント (4)
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