近況としては先日、姑の一周忌を無事終えて大変疲れました。時の流れが早く感じる人、まだ一年
と感じる人、様々でした。来月は私の母の三回忌です。
姑の一周忌の疲れがとれないまま、介護ではケアマネ、デイ、ショート、ヘルパーさん、
そして私が参加のカンファレンスが行われた。
いずれ、特養に入所した時に慣れてもらうために、ショートを一泊二日から二泊三日にした所、
二日目で「わしの家に帰る‼」と物を倒して大暴れしたそうな。
自分の家で穏やかに過ごすには、やはり身体介助が必要だと言う事で、またも区分変更に
ダメもとで再挑戦します。結果をお待ちください。
らっちは、よく水を飲むのでトイレが近い時があるので、2つ用意したら1つは大、
もう1つは小と自分で分けて用を足していた。
ある時あまりに「にゃ~にゃ~」うるさいので「なんですか~」と
鳴き声のする方へ行くと「おしっこしたのでトイレ掃除してください」との事だった。
「はい、ただいまやります」とやっていると、ご丁寧にらっちの手を貸して下さるのだが、
かえって猫砂が、ちらかるんですけど~ま、何とか元気なのでなによりです。
さて、ここからは介護で毎日が発見の話。
介助や介護に答えはない。だから介護は楽しい。という人に遭遇した。
答えのないものは何故楽しいのか?
答えのあるものは、先人が経験から導いたもので、こうやれば効率的であるとか
負担が少ないというマニュアルとか現本に著すことができるもの。
絵も介護より答えを見つけにくいかもしれない。
いや、自分で答えを導き出すことでしか魅力や楽しみを見つけられないんじゃないか。
手探りで、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながら不意に自分でも
気付かなかったことに出くわす。手ごたえを実感しようやく自分の答えにたどり着く。
好き勝手に自由にやるというのとは違うんだろうなぁ。
私は介護が楽しいか?と問われれば楽しくもおもしろくもない。
ただ、毎日何かしらの発見はある。だから介護は決して辛いばかりではない
と、いう発見でもない限り私はやってられない。
目からウロコの話。
介護が楽しい介護職員さん、施設にいらっしゃる方々と接する時
いつも肝に銘じていることがあるという。
この目の前にいる方は、私より人生経験があり私より色んな事を知っていてまた出来ていて
子供を育て仕事をし家族の中心となって支え社会を支え頼りにされてきた先輩なんだと。
何がしらの体調不良なり事情でここにたまたま居てるだけで、そして誰も自分でできるなら私の
助けなど欲してはいないけれど、でも今はちょっと出来ないことや
不便があるからたまたま目の前の見知らぬ私に助けを借りざるお得ない方なのだ、と。
助けてあげる、なんて考えるより側にいる不思議を考えてしまうそうです。
目からウロコ!こんな介護者のいる施設に父を預けたいと願う。
ちなみに、この介護者さん私と同じ名前なんだけど、名前だけ同じでも
こんな気持ちで介護は到底出来ない私です。
と感じる人、様々でした。来月は私の母の三回忌です。
姑の一周忌の疲れがとれないまま、介護ではケアマネ、デイ、ショート、ヘルパーさん、
そして私が参加のカンファレンスが行われた。
いずれ、特養に入所した時に慣れてもらうために、ショートを一泊二日から二泊三日にした所、
二日目で「わしの家に帰る‼」と物を倒して大暴れしたそうな。
自分の家で穏やかに過ごすには、やはり身体介助が必要だと言う事で、またも区分変更に
ダメもとで再挑戦します。結果をお待ちください。
らっちは、よく水を飲むのでトイレが近い時があるので、2つ用意したら1つは大、
もう1つは小と自分で分けて用を足していた。
ある時あまりに「にゃ~にゃ~」うるさいので「なんですか~」と
鳴き声のする方へ行くと「おしっこしたのでトイレ掃除してください」との事だった。
「はい、ただいまやります」とやっていると、ご丁寧にらっちの手を貸して下さるのだが、
かえって猫砂が、ちらかるんですけど~ま、何とか元気なのでなによりです。
さて、ここからは介護で毎日が発見の話。
介助や介護に答えはない。だから介護は楽しい。という人に遭遇した。
答えのないものは何故楽しいのか?
答えのあるものは、先人が経験から導いたもので、こうやれば効率的であるとか
負担が少ないというマニュアルとか現本に著すことができるもの。
絵も介護より答えを見つけにくいかもしれない。
いや、自分で答えを導き出すことでしか魅力や楽しみを見つけられないんじゃないか。
手探りで、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながら不意に自分でも
気付かなかったことに出くわす。手ごたえを実感しようやく自分の答えにたどり着く。
好き勝手に自由にやるというのとは違うんだろうなぁ。
私は介護が楽しいか?と問われれば楽しくもおもしろくもない。
ただ、毎日何かしらの発見はある。だから介護は決して辛いばかりではない
と、いう発見でもない限り私はやってられない。
目からウロコの話。
介護が楽しい介護職員さん、施設にいらっしゃる方々と接する時
いつも肝に銘じていることがあるという。
この目の前にいる方は、私より人生経験があり私より色んな事を知っていてまた出来ていて
子供を育て仕事をし家族の中心となって支え社会を支え頼りにされてきた先輩なんだと。
何がしらの体調不良なり事情でここにたまたま居てるだけで、そして誰も自分でできるなら私の
助けなど欲してはいないけれど、でも今はちょっと出来ないことや
不便があるからたまたま目の前の見知らぬ私に助けを借りざるお得ない方なのだ、と。
助けてあげる、なんて考えるより側にいる不思議を考えてしまうそうです。
目からウロコ!こんな介護者のいる施設に父を預けたいと願う。
ちなみに、この介護者さん私と同じ名前なんだけど、名前だけ同じでも
こんな気持ちで介護は到底出来ない私です。