ねこのにくきゅう「泣き虫おかん日記ー星が笑えばー」

あかいねこの
       ひとりごと 

哲学的にー

2012-04-06 17:59:57 | 日記
月命日なので、墓参り。静かだった。
しばらく、前だけの景色を眺め、うつむいて歩を進める。時々顔を伏せて歩く。
まぶしいくらいに、たくさんの花が飾られている。また たくさんのお友達が来てくれたんだ。

仕事部屋でガス自殺をはかった、川端康成がこんなことを書いている。
死んだときに
人を悲しませないのが
人間最高の美徳さ

今日は哲学的にー
フロイトやロレンスにならっていえば、
人間のうちには生への欲求と同様に
死への欲求がある。
いや、私たちは
生きようとする同じ欲求のうちに
死のうとしているのだ。
この2つの欲望は別のものではない。
死は生を癒すものであるばかりでなく、
それを推進させるものなのだ。
終止符が打たれなければ、
全体は存在しないし、全体を眼のまえに、
はっきりと見ることができない。
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4 コメント

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生きなおす力 (pachira0921)
2012-04-06 20:58:53
柳田 邦男氏の「生きなおす力」の一節です。
劇的に訪れる 生きなおす力

だいじな人、愛する人を亡くすと云うことは、残された人の心の中で、もう一つの死が生じることでもある。
心の中にぽっかりと穴が空いてしまう。
生きる支えとなる柱がなくなったような、あるいは道標のない高野をさ迷うような何とも言えない虚無感の中で、昨日が過ぎ、今日も過ぎていく。


しかし、愛する人を喪った時に心の中に生じる「もう一つの死」は、本当に生き返ることのない
「死」なのだろうか。


木枯らしが吹き始める頃、柿の木の葉が落ちて、沢山の実が黄色味を増してくる。そんな柿の実をもがないでおくと、やがて熟し切ってポトンと落ちる。物事には焦ってもどうしようもないことがあるけれど、時が流れるうちに不思議なことに、柿の実が熟して落ちるように、一筋の光が射してくるような変化が起こる。とくに心の問題になると、そういう変化が訪れるまで長い時間がかかる。・・・・・

私にとっては、いつからが悲しみの始まりなんだろうかと思う。 二十歳を前にして亡くなった智子の時なら、もう40年も過ぎてるのに。
陽子が亡くなってからでも、5年も経ってるのに、まだまだ立ち直れません。

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川端さんの奥様 (でぃー)
2012-04-07 06:20:38
川端康成さんの奥様について、ある作家、誰かは忘れたのですが書いておられたことを思い出しました。

詳しい内容は忘れましたが、そのとき受け取った印象は、奥様はご主人が亡くなったことを悲しんでおられないし、今も幸せで、今もご主人を心から愛して幸せに生きておられるんだなってことです。

川端康成さんの書かれた言葉を初めて知って、何かわかったような気がしました。
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Re;生きなおす力 (あかいねこ)
2012-04-07 15:09:50
pachira0921さん
正直な所、5年先輩のpachira0921さんにまだ立ち直れないと言われても、1年生の私が何の言葉をかけられるでしょう。
私は、死ぬまで苦しむだろうなとは感じています。想い出さなければいいんだとも思う。まだまだ手探りで歩いて行くしかないですよ。
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Re;川端さんの奥様 (あかいねこ)
2012-04-07 15:16:30
でぃーさん
川端康成さん 偉大ですね。
言葉どうり人を悲しませずに亡くなって逝ったんですね。そんな事ができるなんて、偉大だと思います。
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