脇差 正光
平造脇差 銘 畠山大和介源正光 天保十三年秋
備前国より播磨国に出、助隆門人の安儔に作刀を学ぶ。後に江戸に上り水心子正秀にも師事している。正秀もまた助廣伝濤瀾乱や大互の目を焼いていることから、この正光がもとめたところは助廣に違いなく、作品も丸い玉を焼いた大互の目や濤瀾乱を見ることが多い。この脇差は二尺二寸強の、南北朝時代の腰刀を手本としたもの。先反り付いて姿に緊張感が溢れている。地鉄は小板目肌が良く詰むも、細かな地景が入り、肌が立ちごころに、ここにも強みが感じられる。見どころは地中だけでなく刃中にも焼かれた大きめな玉。互の目の頭が丸みを帯びて玉となり、物打の飛焼も玉刃。沸の粒子が揃って明るく冴える。
平造脇差 銘 畠山大和介源正光 天保十三年秋
備前国より播磨国に出、助隆門人の安儔に作刀を学ぶ。後に江戸に上り水心子正秀にも師事している。正秀もまた助廣伝濤瀾乱や大互の目を焼いていることから、この正光がもとめたところは助廣に違いなく、作品も丸い玉を焼いた大互の目や濤瀾乱を見ることが多い。この脇差は二尺二寸強の、南北朝時代の腰刀を手本としたもの。先反り付いて姿に緊張感が溢れている。地鉄は小板目肌が良く詰むも、細かな地景が入り、肌が立ちごころに、ここにも強みが感じられる。見どころは地中だけでなく刃中にも焼かれた大きめな玉。互の目の頭が丸みを帯びて玉となり、物打の飛焼も玉刃。沸の粒子が揃って明るく冴える。