■□■カムイミンタラ■□■

旅の話、仕事の話、色々と書いてます。。。

コミュニケーション★メールというツール

2010-03-12 19:53:59 | 看護学校のコト
以前、私より年上の准看学校の後輩が起こしてくれた

例の記録漏洩事件以来、彼女を放流決定にしていたんだけど

彼女は何度となく私にメールをしてくるんですよ。

実習で分からないことを質問してくることもあれば

実習の辛さの愚痴とか・・・。

う~ん・・・どういう心境で私にメールしてきているんだろうと

思ったものの、何度も送ってくるので、根負けし、その都度、

私も真剣になって教えたし、励ましたさ。


彼女は最終実習でも連絡をとってきたので、こちらも

自分のときを一生懸命思い出し返信をする。

で、そろそろ最終実習も終わったはずだけど、どうなったのかしら?

と疑問を抱く。まぁ、でも直後に修学旅行があるから戻って来たら

連絡あるかな?とも思い。


彼女に貸していた参考書が何冊かあり、私も来月から実習なので

返してもらうためにお互いの冬休みにでも会って返してもらおうと

考えていた訳。


待てど暮らせど連絡は来ず、私も自分で連絡すればいいんだけど

心の何処かで、『御陰様で実習終わりました』って連絡してくるのが

筋じゃね?と思っていたのも事実。


やっと、やっとこ連絡がきましたよ。

内容を読んで驚いたのが、借りていた本をお返ししたいのですが、

忙しいので送りたいと思うので住所を教えて欲しいとのこと。



あのぉ~・・・・・



自転車で5分のトコロに住んでいるんですけど・・・・・。

直接会って、詫びとお礼とお土産(欲張り過ぎか?!)を

渡す気ぐらいないのでしょうか?

貴女がやってくれちゃったお陰で未だに私は

母校の敷居を跨ぐことができないんですけど・・・・・。


しかも、元旦から送ってくる内容ではないような気が・・・・。

じゃぁ、送って下さいと住所をお教えしましたが。

もう、残念な気持ちでいっぱいです。

それとも、これが普通か? 

私の心が狭すぎるだけか?



最近、メールで謝ったからそれで満足ってのが多いと思う。

夏にも私の面目丸潰しっていう出来事が、2件程あったんだけど

1件は直接、話合った時には言い訳ばかりで誠意ある態度を

みせてはくれなかったんだけど、後日、

『自己満足だとは思うんだけど、謝らせて欲しい・・・』って

わけのわからんメールが来て。

直接、目を見て言ってくれ、そういうコトは。

相手が目の前にいなきゃ、ナンボでも心に思ってないこと書けるし。

最近、また仕事をサボり始めているらしいじゃん。

紹介したの私なんだから、サボるたんびに

私の顔に泥を塗っていることに気が付いてよ、大人なんだから。

もう1件も、夏休み中だったから、その時はメールでの

やり取りだったのは仕方がないと思っていて、直接会った時に

ちゃんと謝ってくれるかな、と思いきや、

『あっはは~、ごめんね~』って手を振られただけで終わった・・・orz

貴女が私に頼んだことを貴女の都合でなかったことにするために

貴女の為に私は頭を下げて回ったのですよ・・・・。

もう、がっくり。


今のギャルバンを組んだ時にちょっとしたゴタゴタが

あったんだけど、そのときは、ちゃんと3人で話合ったのね。

メールなんて手段は1回も使わずに。

各々が誤解を解くために精一杯出した勇気って

やっぱりお互いを理解しようという気持ちに傾くと思うんだよね。

その一件があって以来、少々の言い合いじゃなんとも思わないし。


メールというツール。

非常に便利なものだと思う。

かくいう私もメール好きだし。

面と向かって相手に言わなくてすむ分

使いやすくて、難しいツールだなと思うこと多々。


だって私、結構、放流されること多いから。笑。

嗚呼、きっと私、相手が気に入らないこと言った(書いた)んだろうな~と

思うんだけど、いかんせん放流されたので解決させる術がない。



仲直りって大人になってからの方が、難しい気がする。

言葉で相手に通じる部分なんて、たった7%なのに。

その7%って重いね~。



コミュニケーション★自己啓発

2010-03-10 21:28:52 | 看護学校のコト
昨日、新年会をしてました。

10年前のバンドのメンバーとなんですけど。

2代目のベースが焼き鳥屋やってて、

他のメンバーも住まいが近いのでちょこちょこ集まってます。

2代目が病欠中に代打をやってました★

しかし、このメンバーとは会話が全く噛み合いません・・・・。

大抵、揉めます。

私が、ど~しても我慢が出来なかったのが、このバンド、

曲が長くて、しかも、エンデイングではフリーセッション

みたいなことが始まっちゃうんですけど、終わらせる前に

アイコンタクトをとる話になって、私は、んな、ステージ上で

3人してアイコンタクトを取るのは気持ち悪いから嫌だって

言ったんですよ。だって、見なくたって、お互いのプレイで

わかるっしょ。目で見なくたって、耳で感覚で感じるもん。

いまだにその話で揉めます・・・・。


でも、集まります。


やっぱり、お互いの音を知っているからでしょうか。

言葉より、音を通してお互いを理解しているので

これもやっぱり非言語的コミュニケーションに入るわけです・・・・。



前置きが長くなりましたが、ウチの学校のウリのひとつに

人間総合科学という授業があります。

ちょっと興味もあったし、期待していたのですが、何回か

受けるうちに気が付きました・・・・・。



自己啓発じゃんかよ・・・・。



私はこの手の話は嫌いです。

胡散臭い人達がやってきて、お涙ちょうだいの話もてんこ盛り。

自分のモチベーションを上げて行くための映像で洗脳させていく。

で、実際にお互いに色々やってみる。


ああ~嫌だ~・・・・・。


っていうか、汚れきった大人には通用しませんから。

っていうか、今まで、そうやって生きてきていますから

当たり前の話じゃん。って思うのですが、そういえば、

平均年齢27歳なので、必要なのかな~この手の話。


ウェルネスねぇ~・・・・。

なんかこの、やたらとテンション高い胡散臭い笑顔の

民間人じゃなくて、学問的に普通に授業すればいいのにと思う。


先日見せられた、you tubeはこちら。

http://www.youtube.com/watch?v=2M08p9leBio&feature=player_embedded

http://www.youtube.com/watch?v=eJw-W2Ja1ho&feature=player_embedded

・・・・・思わず泣いちゃったのは秘密です・・・・。

嫌なのよ~、こういうの押し付けられるの。

さも、輝かしい看護師になるには、みたいなの嫌なのよ~。

そんなの人に言われて芽生えるモノでもなく、自分で導いてくものでしょ。

自己実現は自分でやらなきゃ、実現しないでしょ~。


さらに、講師の一人の体験談をここに記して

本日の長文を終了とさせていただきます。

これねえ、実物は線が引いてあったり太字になっていたり

するんだよね・・・・。ところどころ。



『なんで、ここ(処置室)に入れてんの?家族は外に出しとけよ!』

 これは10年前、私の愛するわが子の心肺蘇生のために、
呼ばれたドクターが看護師に向けて発した言葉です。
チラリと私の方を見ながら、それでいて私には声をかけず、
看護師に指示するドクター。この人から見たら私は、生ゴミ程度の
存在なのだろうなと思いました。
 指示を受けた若手の看護師が、「すいません。処置するんで
外に出て下さい」と私と上の子をおんぶした夫に言いました。
ドクターと看護師のただならぬ様子に驚き、泣き出した娘を
あやすため、夫は外に出て行きました。私はその場を動くことが
できませんでした。
 「家族の方は廊下でお待ちください」・・・私も看護師として
何度となく、口にしてきた言葉でした。看護の授業でも、実習でも
そう教えられてきたからです。そもそもなぜ、家族はこんな大切な
時間を、患者本人と共有できないのでしょうか。目の前で処置を
見るショックから家族を守るためでしょうか。家族に遠慮し、
診療行為に遠慮が出るからでしょうか。または、診断ミスを指摘される
など、訴訟問題を回避するためでしょうか。
 「外へ出て下さい。本当に困るんです!」何度も看護師が言い
私が断る。そんなやり取りを5回ほど繰り返しました。


 「この子は私が産んだ子です。私はここにいる権利があります。」
私は言い切りました。説得に困った若手の看護師は、師長を連れて来ました。
私は師長さんに「私は元看護師です。取り乱したりしませんから
ここに置いて下さい」と何度も何度も訴えました。「困ります」と言う
師長さんに「今、自分の子どもが死にそうで一番困っているのは
私なんです。あなた方は医者から怒鳴られたら困る、と思っている
だけじゃないですか!?」と食ってかかりました。
 私の心の叫びが通じたのか、師長はゆっくりうなずき「あなたも
看護師なら、今の状態は分かるわよね。あなたのお子さんは、
今から一生分の親孝行をしていくんだから、よく見ててあげなさい」
と言いました。そして、「私は職業上、ドクターの前では『外へ出て』と
あなたに言わなきゃならないからね。あなたにも分かるでしょ」
と外来の隅っこに立っていた私に、ドクターが座る少し上等ないすを
持って来てくれました。


 私は、師長の言葉で「ああ、この子はもう、ダメなんだな」と
悲しいけれどお別れの決心をしなくてはならないのだと思いました。
4カ月という小さな身体への心臓マッサージを見ながら、「こんなに
痛い思いをしなくちゃならなくて、ごめんね」と涙がこぼれました。
 再びドクターが「家族、外に出してよ」と言うと、師長さんは
厳しい口調で「先生、この人すべて分かってここにいるんだよ。
訴えたりするようなひとじゃないんだよ!」と言ってくれました。
その言葉を聞いた時、決心がつきました。もう私にあきらめが
つくのを待つだけとなった蘇生術に「もう、十分です。皆さん、
ありがとうございました」と感謝で幕を引くことができました。


 師長は私を信じてくれました。「この人は訴えたりするような
人じゃないよ」・・・この言葉で、私は悲しい現実を受け入れる
ことができたのだと思います。
 私は人の心はダイヤモンドなのだと思うのです。確かに人生の
荒波を渡る途中では、悲しみや苦しみという砂や泥が付着し、
輝きを失ってしまう時もあります。しかし、本来は光り輝く
ダイヤモンドなのです。師長さんの私を信じる気持ちは私の心から
「感謝」を引き出してくれました。人を信じるという力は協力で
ダイヤモンドの汚れを一瞬で洗い流し、再び輝かせることができます。
 私は、人は不幸のどん底と悲しみの中にあっても「感謝ができる」
ものだということを知りました。人はそれほどまでに輝く力を内に
秘めているのだと、実体験を通して思います。そして、その輝きは
人が引き出すことができるものだと思うのです。
 私はドクターの指示が悪い、ということを言いたいのではありません。
家族は処置室に入れるべきだと訴えたい訳でもありません。医療不信が
はびこる世の中になり、訴訟を恐れ、患者を恐れる。医療者はリスクから
自分の身を守ることで精いっぱいになってしまいました。
 私はこの時の師長さんを一生忘れないと思います。表面上のやり取りは
リスクも負わない代わりに深い信頼関係も結べず、味気のないものと
なります。相手を極度に恐れる気持ちは、相手の不信を呼び、
悪循環をつくります。どこかで、不信の連鎖を断ち切る勇気が
必要なのです。


 私が皆さんに伝えたいことは、医療者はやはり、患者さんを
「信じる人」であってほしいということです。確かに、良かれと
思って親切に対応しても、アダで返ってくるようなこともあります。
医療者に不信をぶつける患者さんとのトラブルに巻き込まれてしまう
ことだってありますが、それはごく一部の人たちです。
 大抵は、真心で接すれば同じ気持ちで応えてくれる人がほとんどです。
ダイヤモンドは宝石の中で最も硬くて強い石です。ですから、砥石では
ダイヤモンドを傷付けることはできません。
 患者さんの不満は砥石です。砥石でこすっても、表面の汚れだけが
削られて、ダイヤモンドはさらに輝きを増すだけです。そんな風に
心の強い看護師が増えてほしいと思います。
 苦しい時、人は理性を失います。私が師長に食ってかかったように。
しかし、師長は私を恐れませんでした。彼女の人を信じる強い気持ちは
私の心の中から感謝を引き出しました。
 どんなに荒れている患者さんであっても、その心はダイヤモンドで
あると信じきる看護師であって欲しいのです。
 「信じてくれる人を裏切ることは難しいことです」患者さんを
信じようとする時、看護師の心は最高に光り輝きます。皆さんは
その感覚が心地よいからこそ看護の道を選んだのではないでしょうか。
 みなさん自信の心の輝きで、患者さんの心を照らし続けて行く時
”心ある未来の医療の姿”がそこにあるのではないかと思います。

コミュニケーション★メラビアンの法則

2010-03-08 22:13:13 | Weblog
 私はコミュケーションが苦手です。
そんなこと、看護学校に入るまでこんなに真剣に考えたことはないです。
そりゃ、人見知りが以外にも激しかったり、人の好き嫌いが激しかったり
毒舌は吐くは、噛み付きはするは、その辺の認識はしてましたが・・・・。

いや、今は、そんなに感情剥き出しじゃないですょ・・・・

 看護師になる、それは対象者との信頼関係をいかに築くことができるか
その人の病気を見るのではなく、その人を看る。
そのためには、コミュニケーションが取れなくてはならないのです。

コミュニケーションには、言語的コミュニケーションと
非言語的 コミュニケーションがあります。
言語的とは、言葉、文字です。 非言語的は、それ以外全てです。
表情、見た目、声のトーンなどなど。

知ってますか? コミュニケーションにおいて、
相手に言語で伝わるのは、たったの7%なのです。

言語以外の9割の情報っていかにその人を表し
それを読み取ることの難しさったら、もぉ・・・・

言語で伝わるのが、たったの7%だということを考えると
例えば、メールでのやりとりで、誤解が起こってしまう
理由が分かりやすいですよね。

メールの文字だけでは、自分の感情が伝わりませんから。

それを会話だったならば、顔の表情、声のトーン、話すテンポ、
相手へのボディタッチやアイコンタクトなどが加わり
感情、気持ちも一緒に伝わりますよね。

また話をすればいいってもんでもないんですよね。

『沈黙の意味』これがまた難しくって・・・。

家族関係論、人間関係論、心理学も学ぶので
コミュケーションスキルも学びます。
異性をゲットする方法も学びます。
っていうか、異性であろうと患者であろうと
コミュニケーションをとるのは一緒ですから、
対象を異性として学んだ方が覚えやすいでしょってことですが。

好意を寄せる人とは、座る位置から始まるんですよ
しかも、ちゃんと理由もあります。

ミラーリング、ペーシングという技法も学びますが・・・ できないょ!!

なんか沈黙に焦っちゃって しゃべり倒して終わっちゃうょ・・・・・・orz

なんか色々考え過ぎちゃって終わっちゃうょ・・・・orz

患者さんでも、一緒でした。
准看時代の実習では、コミュニケーションをする、
患者の情報を取ってくる、もう、これが苦手で苦手で・・・。
無駄なおしゃべりは、出来るけど、情報を取ってくる
コミュニケーションが苦手・・・・orz

それも、そのはず。
言語でコミュニケーションが計れるのは たったの7%ですから・・・・。
そこに気が付き、更に 精神科でのプロセスレコード。
これがまた辛い。

プロセスレコードとは、ある場面を回想し、対象者との会話を 書き出し、
なぜ自分はそのようなことを言ったのか、自分の 思考を深く見つめ直す
という、自分と向き合う辛い作業です。苦笑。

それらを乗り越え、最後の実習では、私は患者さんと一緒に
デイルームで、ぼけ~っとしてました。
先生にも『あのまま寝ちゃうんじゃないかと思ったww』と
言われましたが、それでいいんです。
少しはコミュニケーションが何だかわかった気がしますがまだまだ。

異性なんか、全然、ゲットできてないし。笑。
これからまた実習始まるし、記録の練習と称してタイトな話を
 数日書いてく予定です。

あ、長文です。笑。

またスキルを上げようと、現在、2冊の書物を読んでいます。


 キューブラ・ロスの『死ぬ瞬間』。

ちょっとビックリするタイトルですが、ネガティブな内容ではなく
キューブラ・ロスは、精神科医で、末期患者の人達とその家族と
死についてのインタビューが、書かれており、それにより
患者や家族へとの関わり方が書かれています。

前に働いていた病院で、尊敬していた師長に以前、勧められたものです。



もう一冊の『ケアの本質』は、今の学校の先生に勧められました。

熱血教師、37歳。見て、この課題へのコメントっぷり!!



もっと読める字を書いてくれ~!!って感じなんですけど
ここで、先生に頂いたコメントが

『私達は他者との関わりの中で、その場(空間)を構築します。  
 どのように関わるかで、そこが誰の為の空間なのか、時間の
  流れの雰囲気が変化します。◯◯さんはコミュニケーションを
  行う上で、その空間を大切にしているのですね。これはとても
  大切なことです。場とは何か、これから追求していくと看護に
  磨きがかかるでしょう。ミルトン・メイカロフのケアの本質を
 読むとよりよいでしょう。』

だったので、じゃぁ~、読んでみるさ!!と購入。
今は自己投資すべきときだと思っているので惜しみません。
しかし、内容が難しい・・・・。

ケアを通して、相手を成長させることは、自分が成長する ことであり、
それが生きることに繋がっていくのですが・・・。

まだまだ修行が足りないようです・・・・。