戴帽式でした。
終始なごやかな雰囲気で無事に終わり私の代表挨拶、誓いの言葉も
終わってみれば、感動した、うるっときたよなどと褒めてもらえて
嬉しかったし、ちょっと鼻高々だったんだけど・・・・
その後、看護研究の院内発表会があるために病院に戻りました。
そこでもみんなからお祝いの言葉をもらったりして
ご機嫌だったんだけど。
後片付けをしていると、病棟の患者が急変したとかで
挿管してレスピ(人口呼吸器)を付けるとバタバタしていたので
勉強の為に見学しに行った。
うちの病院ではそんな大事なことはあまり起こらないし。
院長と副院長がいて主任がアンビューバックを押していて
そんなに大変な雰囲気ではなかったんだけど、そのうちどうも
挿管チューブが入らないらしくただ事ではない感じになってきた。
学校の制服でいたんだけど、ナースにその格好でいない方がいいって
言われて白衣に着替えた。
私に何かが出来るとは思っていないので端っこで見ていたんだけど
それとって、あれ持って来てって言われるが専門的すぎてわからない。
あっち走りこっち走りしてモノをかき集める。
いつまで経っても挿管チューブが気道に入らないようでどんどん緊迫した
雰囲気になってくる。気道が確保できなければ患者の体内に酸素が入らず
患者は死に至る。体内の酸素量を計る機械の数値がどんどん下がる。
元気な私たちなら98~100とれるような数値が50台40台と下がる。
何度、挿管しても気道に入らず食道に入ってしまっているらしい。
傷が付くせいか、患者の口からはどんどん血が吹き出る。
顔が倍以上に膨れ上がる。
気がつけば当直医も来て他の病棟のナースも来ていた。
アンビューバックを押す人がどんどん代わる。
誰か代わって!!と言われたので私がやってよければ代わります。と代わった。
全力で押して。腰にくるからしゃがんで、やりな。
怖かった。
私の手で押し出す空気が患者の命に直結しているんだと思ったらびびった。
ラグビーボールの様な大きさのゴム風船を両手で押す。
たちまち汗で手が滑る。思った以上に力がいるのですぐに腕が痛くなる。
でも、休むわけにも力を緩めるわけにもいかない。
数値が上がらない。
先生のだめだーという声が聞こえる。
どんどん患者の顔がカラダが膨れ上がる。
私の手にも血が飛び散る。
ERをやっている大きな病院に転送することにしたが
救急車が来るまでにも待てないほど状態が悪化する。
気管切開に踏み切る事にした。
私は一度、退室して救急車を迎え入れる準備をする。
電気メスとか心臓に電気ショックを与える機械とか
更にいろんなモノが病室に運ばれる。
カーテン越しに気管切開している様子を見たけど
あまりにも生々しすぎて私には覗く勇気はなかった。
救急隊が到着して救急車に乗せるまで手伝った。
その頃には奥さんが到着してもろに見てしまったようで
ガタガタ震えていた。
その口からは「生きているんですよね?生きているんですよね?」
それしか言葉が出てこない。
「大丈夫。大丈夫だから。」と師長が支えていた。
ドクター二人とナース二人が救急車に乗り込み付いて行った。
私は最後に救急車の扉を閉めた。
今日の代表挨拶で
「命の現場に立つ者としての覚悟を今日ここに誓います」
と締めたが、まったくもって覚悟なんて出来ていなかった。
全てが終わってみれば私は今までなにを学んできたんだろうと
へこむばかりであった。いろんなことにショックで半べそな私に
みんなは優しく励ましてくれたがそれがまた情けなさを倍増させる。
何がおこったのか聞いてみると、推測だが薬剤でのアナフィラキシーショックが
起きたのではないかとのこと。扁桃腺が腫れていて診察後、帰宅する予定だったが
熱も高いし様子みで入院しておこうって感じだったらし。
気道がどんどん浮腫してしまい、覗いても見えない、切開しても見えないって
状態だったらしい。ただの扁桃腺炎だったはずかこのような状態になった事が
私ですらショックを受けるのだから家族の事を考えるといたたまらない。
付き添ったスタッフの帰りを待っていても私は何もできないし
家に帰ることにした。
これから先、こんな事がいくつも襲ってくるのだろう。
その度に本当に乗り越えられるのだろうか。
家に帰ると母から手紙がきていた。
いろんな感情が溢れ出て号泣。苦笑。
それでもお腹が空く。
これが生きている事なんだと思った。
私は大丈夫だと思った。
付き添ったナースからメールが来た。
到着してからモニターを付けたがフラットになっていた
蘇生中にその場を離れたのでその後はわからない、と。
フラットとは心拍数がゼロってこと。
今夜は多分、眠れない。
終始なごやかな雰囲気で無事に終わり私の代表挨拶、誓いの言葉も
終わってみれば、感動した、うるっときたよなどと褒めてもらえて
嬉しかったし、ちょっと鼻高々だったんだけど・・・・
その後、看護研究の院内発表会があるために病院に戻りました。
そこでもみんなからお祝いの言葉をもらったりして
ご機嫌だったんだけど。
後片付けをしていると、病棟の患者が急変したとかで
挿管してレスピ(人口呼吸器)を付けるとバタバタしていたので
勉強の為に見学しに行った。
うちの病院ではそんな大事なことはあまり起こらないし。
院長と副院長がいて主任がアンビューバックを押していて
そんなに大変な雰囲気ではなかったんだけど、そのうちどうも
挿管チューブが入らないらしくただ事ではない感じになってきた。
学校の制服でいたんだけど、ナースにその格好でいない方がいいって
言われて白衣に着替えた。
私に何かが出来るとは思っていないので端っこで見ていたんだけど
それとって、あれ持って来てって言われるが専門的すぎてわからない。
あっち走りこっち走りしてモノをかき集める。
いつまで経っても挿管チューブが気道に入らないようでどんどん緊迫した
雰囲気になってくる。気道が確保できなければ患者の体内に酸素が入らず
患者は死に至る。体内の酸素量を計る機械の数値がどんどん下がる。
元気な私たちなら98~100とれるような数値が50台40台と下がる。
何度、挿管しても気道に入らず食道に入ってしまっているらしい。
傷が付くせいか、患者の口からはどんどん血が吹き出る。
顔が倍以上に膨れ上がる。
気がつけば当直医も来て他の病棟のナースも来ていた。
アンビューバックを押す人がどんどん代わる。
誰か代わって!!と言われたので私がやってよければ代わります。と代わった。
全力で押して。腰にくるからしゃがんで、やりな。
怖かった。
私の手で押し出す空気が患者の命に直結しているんだと思ったらびびった。
ラグビーボールの様な大きさのゴム風船を両手で押す。
たちまち汗で手が滑る。思った以上に力がいるのですぐに腕が痛くなる。
でも、休むわけにも力を緩めるわけにもいかない。
数値が上がらない。
先生のだめだーという声が聞こえる。
どんどん患者の顔がカラダが膨れ上がる。
私の手にも血が飛び散る。
ERをやっている大きな病院に転送することにしたが
救急車が来るまでにも待てないほど状態が悪化する。
気管切開に踏み切る事にした。
私は一度、退室して救急車を迎え入れる準備をする。
電気メスとか心臓に電気ショックを与える機械とか
更にいろんなモノが病室に運ばれる。
カーテン越しに気管切開している様子を見たけど
あまりにも生々しすぎて私には覗く勇気はなかった。
救急隊が到着して救急車に乗せるまで手伝った。
その頃には奥さんが到着してもろに見てしまったようで
ガタガタ震えていた。
その口からは「生きているんですよね?生きているんですよね?」
それしか言葉が出てこない。
「大丈夫。大丈夫だから。」と師長が支えていた。
ドクター二人とナース二人が救急車に乗り込み付いて行った。
私は最後に救急車の扉を閉めた。
今日の代表挨拶で
「命の現場に立つ者としての覚悟を今日ここに誓います」
と締めたが、まったくもって覚悟なんて出来ていなかった。
全てが終わってみれば私は今までなにを学んできたんだろうと
へこむばかりであった。いろんなことにショックで半べそな私に
みんなは優しく励ましてくれたがそれがまた情けなさを倍増させる。
何がおこったのか聞いてみると、推測だが薬剤でのアナフィラキシーショックが
起きたのではないかとのこと。扁桃腺が腫れていて診察後、帰宅する予定だったが
熱も高いし様子みで入院しておこうって感じだったらし。
気道がどんどん浮腫してしまい、覗いても見えない、切開しても見えないって
状態だったらしい。ただの扁桃腺炎だったはずかこのような状態になった事が
私ですらショックを受けるのだから家族の事を考えるといたたまらない。
付き添ったスタッフの帰りを待っていても私は何もできないし
家に帰ることにした。
これから先、こんな事がいくつも襲ってくるのだろう。
その度に本当に乗り越えられるのだろうか。
家に帰ると母から手紙がきていた。
いろんな感情が溢れ出て号泣。苦笑。
それでもお腹が空く。
これが生きている事なんだと思った。
私は大丈夫だと思った。
付き添ったナースからメールが来た。
到着してからモニターを付けたがフラットになっていた
蘇生中にその場を離れたのでその後はわからない、と。
フラットとは心拍数がゼロってこと。
今夜は多分、眠れない。