Hello, my name is Sari . (ん?どこかで聞いたらことがあるような?) 皆さん、初めまして!わたしはSari(サリ)と申します。(やっぱ、Siriじゃないんだ)「Naoの英語ノートブック」のNaoさんのインタビューをさせていただきます。Naoさんがどんな人かをよく理解いただいて、そんな人のブログでもよければ、読んで頂いたらと思います。(ちょっと失礼な言い方…)だって、変な人が書いているブログなんか読みたくないですよね〜(笑)。(正論です…)ではでは、インタビューを始めます。
Sari:こんにちは、Naoさん。あ、Naoさんは女の人じゃないんですね〜!
Nao:見たらわかりますよね。期待に添えなくてすみませんね。実は本名はNaokiといいますが、Naoが語呂がいいかな〜と思って、Naoにしました。あ、気を取り直して、こんにちは、Sariさん。Siriさんとは親戚かなんか?
Sari:関係ありません。余計なことはいいので、話を進めていいですか?
Nao:すみません…どうぞ。
Sari:Naoさんの経歴を教えてもらっていいですか。どこで生まれて、育って、
学校はどこに行って、とか…。
Nao:はい、生まれは長崎ですが、その後東京に行き、小6からはずっと大阪です。だから、育ちは大阪、性格的には大阪人って感じですかね。地元の高校を出て、京都の大学に行って、卒業後7年半は大阪で働いていました。
Sari:大学はどちらですか?
Nao:京都産業大学です。外国語学部英米語学科です。卒業後すぐの1年間は専攻科に進み、主に英文学を勉強してました。本当は同時通訳科があるって聞いて受検したんですけどね。面接の時になくなってって聞いて、まあ、仕方なく…結局ヘンリー4世とか勉強する羽目になりました。
Sari:なるほど。で、就職は大阪だったんですね。
Nao:はい、ECC外語学院ってところで7年半働きました。辞める直前は学校長してました。教育研究所で主任インストラクターもしたりして、それなりに、今は巨大な組織になった会社の、その当時は中核にいたって感じですかね。
Sari:なるほど。で、なんでそこを辞めて、その後どうしたんですか?
Nao:昔から留学したいと思っていたんですが、英語を学校で勉強してきて、また、それなりに英語教育に関わり日本の英語教育にいろいろ疑問もあったので、ちょっとしたきっかりもあり、アメリカの大学院に行くことにしました。
Sari:それは何歳の時何ですか?
Nao: 結婚したすぐ後の30歳だったかな。あ、今はバツイチですが。
Sari:バツイチとかはどうでもいいです。で、どこの大学院に行ったのですか?
Nao:アメリカのオハイオ州にある、Ohio Universityです。大学の恩師の助言もあり、修士は2年のところで、学部は言語学ということで、最終的にOUに決めました。授業料免除も最初からもらえましたんでね。大学に着いたらすぐに学部長に呼ばれ、「Naoki、小学校の子供たちに英語のリーディングを教える仕事があるんだが、しないか?」って言われ、それからすぐにTA(Teaching Assistant)の仕事ももらったんで、大学院開始から授業料免除の上お給料も多くはないですがもらえるようになりました。ラッキーでしたね。
Sari:へ〜それはよかったですね。アメリカの大学院に入るのって、英語力はどれくらい、いるんですか?
Nao:当時のTOEFLはペーバーベース(TOEFL PBT)でしたが、言語学部の場合は600点以上必要でしたね。
Sari:TOEFL IBTだと、100点以上、TOEICだと少なくとも870点以上(〜970)って、ある換算表には書いていますね。
Nao: まあ、TOEICだと900点以上にはなりますね、実際には。
Sari:じゃあ、大学時代は留学したり、ネイティブの友達がいたりとかして、かなり英語が話せたんですね。
Nao:いえいえ、全く!留学ゼロ、っていうか、海外に出たこともなかったですね。また、英語を話す機会もほとんどなく、バイトしてお金をためて英会話学校にせっせと通っていましたが、まあ、ひどい内容ばっかりで、英語を実際に話す機会はないに等しかったですね。英会話の先生と個人的に話す機会を持つために、わざわざその先生を待ち伏せ(?)して電車で一緒に帰るなどして、英語を話す機会を必死で見つけたものです。あ、その先生はのちに関西外語大学の教授になって、今でも僕の友人です。しばらく会ってないな〜。
Sari:そんな感傷的な話は置いといて。でも、そんな高い英語力がほぼ独学で身につくんですか?
Nao:身につくんですね〜これが。やっぱり、やる気と勉強のしかたが大事ですね。あ、だからと言って、英語試験の得点が高いのと、海外の大学院でついていけるかどうかとは別物ですので、念のため。大学院に行けば、それはもう必死に勉強しなければついて行けませんよ。特に最初の一学期はそりゃあもう必死でしたね。成績が悪ければ日本に戻ることになるので、そうなると人生はめちゃくちゃ、30過ぎて仕事を辞めて行ったわけですからね、その後の人生は大きく狂いますからね。
Sari:なるほど…確かに。オハイオ大学の話を続けて聞きますが、そこでは言語学を勉強しながら、小学校の子供たちに英語を教えていたということですね。
Nao: 始めの1年間はEast Elementary Schoolというオハイオ大学院言語学部が提携している小学校に通っているInternational Students、外国から来た子供たちに対して、Readingを教えるラボでクラスメートのアメリカ人たちと一緒にReadingを教えていました。でも、二年目は「言語学270」というアメリカの学部生に対する授業の担当をしました。アメリカ人に言語学を教えるのは、なかなかチャレンジングでしたね。
Sari:へ〜日本人の大学院生がアメリカ人に言語学を教えてたんですね。それはなんかすごいような。で、オハイオ大学大学院は無事に修了したんですね。
Nao:はい、おかげさまで、ほぼ全てでAを取ることができ、GPAは3.9(4.0が最高値)くらいでしたね。
Sari:頑張ったんですね。えらい!で、その後帰国したんですね。
Nao:いえいえ、その後は別の大学院に行きました。
Sari:え、まだあるんですか?長い…
Nao:なんか言いました?
Sari:いえいえ、何も(冷汗)。ちょっと長くなりましたので、今回はこのへんで。この続きは次回の記事で…。今日はお付き合いいだだき、ありがとうございました。では、またすぐにお会いします。Siri…ではなく、Sariでした!
Sari:こんにちは、Naoさん。あ、Naoさんは女の人じゃないんですね〜!
Nao:見たらわかりますよね。期待に添えなくてすみませんね。実は本名はNaokiといいますが、Naoが語呂がいいかな〜と思って、Naoにしました。あ、気を取り直して、こんにちは、Sariさん。Siriさんとは親戚かなんか?
Sari:関係ありません。余計なことはいいので、話を進めていいですか?
Nao:すみません…どうぞ。
Sari:Naoさんの経歴を教えてもらっていいですか。どこで生まれて、育って、
学校はどこに行って、とか…。
Nao:はい、生まれは長崎ですが、その後東京に行き、小6からはずっと大阪です。だから、育ちは大阪、性格的には大阪人って感じですかね。地元の高校を出て、京都の大学に行って、卒業後7年半は大阪で働いていました。
Sari:大学はどちらですか?
Nao:京都産業大学です。外国語学部英米語学科です。卒業後すぐの1年間は専攻科に進み、主に英文学を勉強してました。本当は同時通訳科があるって聞いて受検したんですけどね。面接の時になくなってって聞いて、まあ、仕方なく…結局ヘンリー4世とか勉強する羽目になりました。
Sari:なるほど。で、就職は大阪だったんですね。
Nao:はい、ECC外語学院ってところで7年半働きました。辞める直前は学校長してました。教育研究所で主任インストラクターもしたりして、それなりに、今は巨大な組織になった会社の、その当時は中核にいたって感じですかね。
Sari:なるほど。で、なんでそこを辞めて、その後どうしたんですか?
Nao:昔から留学したいと思っていたんですが、英語を学校で勉強してきて、また、それなりに英語教育に関わり日本の英語教育にいろいろ疑問もあったので、ちょっとしたきっかりもあり、アメリカの大学院に行くことにしました。
Sari:それは何歳の時何ですか?
Nao: 結婚したすぐ後の30歳だったかな。あ、今はバツイチですが。
Sari:バツイチとかはどうでもいいです。で、どこの大学院に行ったのですか?
Nao:アメリカのオハイオ州にある、Ohio Universityです。大学の恩師の助言もあり、修士は2年のところで、学部は言語学ということで、最終的にOUに決めました。授業料免除も最初からもらえましたんでね。大学に着いたらすぐに学部長に呼ばれ、「Naoki、小学校の子供たちに英語のリーディングを教える仕事があるんだが、しないか?」って言われ、それからすぐにTA(Teaching Assistant)の仕事ももらったんで、大学院開始から授業料免除の上お給料も多くはないですがもらえるようになりました。ラッキーでしたね。
Sari:へ〜それはよかったですね。アメリカの大学院に入るのって、英語力はどれくらい、いるんですか?
Nao:当時のTOEFLはペーバーベース(TOEFL PBT)でしたが、言語学部の場合は600点以上必要でしたね。
Sari:TOEFL IBTだと、100点以上、TOEICだと少なくとも870点以上(〜970)って、ある換算表には書いていますね。
Nao: まあ、TOEICだと900点以上にはなりますね、実際には。
Sari:じゃあ、大学時代は留学したり、ネイティブの友達がいたりとかして、かなり英語が話せたんですね。
Nao:いえいえ、全く!留学ゼロ、っていうか、海外に出たこともなかったですね。また、英語を話す機会もほとんどなく、バイトしてお金をためて英会話学校にせっせと通っていましたが、まあ、ひどい内容ばっかりで、英語を実際に話す機会はないに等しかったですね。英会話の先生と個人的に話す機会を持つために、わざわざその先生を待ち伏せ(?)して電車で一緒に帰るなどして、英語を話す機会を必死で見つけたものです。あ、その先生はのちに関西外語大学の教授になって、今でも僕の友人です。しばらく会ってないな〜。
Sari:そんな感傷的な話は置いといて。でも、そんな高い英語力がほぼ独学で身につくんですか?
Nao:身につくんですね〜これが。やっぱり、やる気と勉強のしかたが大事ですね。あ、だからと言って、英語試験の得点が高いのと、海外の大学院でついていけるかどうかとは別物ですので、念のため。大学院に行けば、それはもう必死に勉強しなければついて行けませんよ。特に最初の一学期はそりゃあもう必死でしたね。成績が悪ければ日本に戻ることになるので、そうなると人生はめちゃくちゃ、30過ぎて仕事を辞めて行ったわけですからね、その後の人生は大きく狂いますからね。
Sari:なるほど…確かに。オハイオ大学の話を続けて聞きますが、そこでは言語学を勉強しながら、小学校の子供たちに英語を教えていたということですね。
Nao: 始めの1年間はEast Elementary Schoolというオハイオ大学院言語学部が提携している小学校に通っているInternational Students、外国から来た子供たちに対して、Readingを教えるラボでクラスメートのアメリカ人たちと一緒にReadingを教えていました。でも、二年目は「言語学270」というアメリカの学部生に対する授業の担当をしました。アメリカ人に言語学を教えるのは、なかなかチャレンジングでしたね。
Sari:へ〜日本人の大学院生がアメリカ人に言語学を教えてたんですね。それはなんかすごいような。で、オハイオ大学大学院は無事に修了したんですね。
Nao:はい、おかげさまで、ほぼ全てでAを取ることができ、GPAは3.9(4.0が最高値)くらいでしたね。
Sari:頑張ったんですね。えらい!で、その後帰国したんですね。
Nao:いえいえ、その後は別の大学院に行きました。
Sari:え、まだあるんですか?長い…
Nao:なんか言いました?
Sari:いえいえ、何も(冷汗)。ちょっと長くなりましたので、今回はこのへんで。この続きは次回の記事で…。今日はお付き合いいだだき、ありがとうございました。では、またすぐにお会いします。Siri…ではなく、Sariでした!