Sari:で、学位、博士号を取って帰国、ですかね?
Nao:いやいや、それなら百点満点の留学だったわけですが、人生はそんなに甘くないですね。結局は途中で帰国することになり、中退となりました。
Sari:それは、またなんで?
Nao: 基本、お金の問題ですね。大学の方はTAをしていたんで授業料はゼロ、月々お給料も多少もらっていたんで、普通の学生ならうらやましい留学状況だったんでしょうが、僕の場合は家庭持ち。しかも、イリノイ大学に来てすぐに子供ができたので、生活の方が大変になり、TAの仕事とその他のアルバイトで多くの時間が取られて、それらをしながらの博士課程の勉強、論文作成はきつかったですね。
Sari:アルバイトって、どんなことをしたんですか?
Nao:通訳です。JTBシカゴ支店からの依頼で、日本から来た会社の皆さんの仕事の通訳ですね。これも大変なこともありましたけど、経験としては今に活きてますね。携帯会社大手、モトロラ社の上級副社長を日立、パナソニック、東芝の開発部長さんたちと訪問したり、シカゴにあるアメリカでも有数の印刷会社を日本の印刷会社のグループの人たちと訪問したり、あと、思い出深いのは、シカゴの国際見本市で、二日間に渡り、千葉にあるウインナソーセージの腸詰め機械を作っている世界的メーカーの社長さんの商談の通訳をしたり、あの頃の経験も僕の英語力向上に大きな影響を与えてますし、日米文化の差や、日英両語の発想の違いの理解も深めてくれましたので。日本に帰ってからの通訳、翻訳の仕事の基礎を作ってくれた時代だったと、今は懐かしく思います。
Sari:はい、またまた長くなりました〜。で、なんやかんやあって、結局家族とともに帰国となったわけですね。
Nao:そうなるのが理想だったんでしょうね〜今考えれば。そうなっていたら家庭崩壊にはならなかったのでは(涙)。
Sari:え、というと?
Nao:結局帰国したのは僕だけで、家族はイリノイに残りました。その時の奥さんが帰国したくないということで。そこからは僕は日本に出稼ぎ(?)状態で、毎月彼らの生活費をせっせと送ることになりました。
Sari:それはどれくらい続いたんですか?
Nao:ん〜 、10数年ですね。
Sari:その間はどれくらい家に戻っていたんですか?
Nao:最初は栃木県にある学校で仕事をしてたんですが、その時は年に3回は帰ってましたね。一回が2、3週間かな。それからいまの仕事(大学)に就いて、最初は年2回だったのが徐々に少なくなって、2回が1回になり、最後の方はゼロになりましたね、家族が日本に戻ってくるまで。
Sari:なるほど。あ、でも、子供さんはアメリカ生まれだと、アメリカ人、日本人?
Nao:基本、アメリカ人ですね。今でもメールする時は英語で、話す機会があった時も英語で話しますね。彼は、日本のインターナショナルスクールを終わって高校を出た後はカナダに行き、今はアメリカのイリノイに住んでいます。
Sari:いろいろあったみたいですね〜で、今はバツイチ!
Nao:家族は一緒に住まないといけません!ろくなことはないですよ〜みなさん!僕の体験からにじみ出た、家族円満の秘訣の一つの結論です。
Sari:ま、そんなことは皆さん興味ないと思うので、置いといて。そのようなアメリカでの体験や勉強が今のNaoさんの英語力や英語に対する理解の基礎を作ったっていうことでいいですかね?
Nao:はい、おっしゃる通りです。また機会があれば、その後についてもお話しますね。
Sari: 機会があれば…ですね(いらないかな〜)。
Nao:なんか言いました?
Sari:いや何も。それよりも、一刻も早く、面白い、ためになる英語の話の記事をお願いします。
Nao:了解しました!
Sari:ということで、2回に渡ってNaoさんに話を伺いました。Naoさんのバックグラウンド、人となりの一端を知っていただけたら幸いです。機会があればまた登場しますね。それまで、皆さん、お元気で〜!あ、忘れてた。Naoさん、インタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました(ペコリ)。
Nao:こちらこそ、ありがとうございました。では、皆さん、今度は英語に関する記事でお会い(?)しましょう!See you soon!
Nao:いやいや、それなら百点満点の留学だったわけですが、人生はそんなに甘くないですね。結局は途中で帰国することになり、中退となりました。
Sari:それは、またなんで?
Nao: 基本、お金の問題ですね。大学の方はTAをしていたんで授業料はゼロ、月々お給料も多少もらっていたんで、普通の学生ならうらやましい留学状況だったんでしょうが、僕の場合は家庭持ち。しかも、イリノイ大学に来てすぐに子供ができたので、生活の方が大変になり、TAの仕事とその他のアルバイトで多くの時間が取られて、それらをしながらの博士課程の勉強、論文作成はきつかったですね。
Sari:アルバイトって、どんなことをしたんですか?
Nao:通訳です。JTBシカゴ支店からの依頼で、日本から来た会社の皆さんの仕事の通訳ですね。これも大変なこともありましたけど、経験としては今に活きてますね。携帯会社大手、モトロラ社の上級副社長を日立、パナソニック、東芝の開発部長さんたちと訪問したり、シカゴにあるアメリカでも有数の印刷会社を日本の印刷会社のグループの人たちと訪問したり、あと、思い出深いのは、シカゴの国際見本市で、二日間に渡り、千葉にあるウインナソーセージの腸詰め機械を作っている世界的メーカーの社長さんの商談の通訳をしたり、あの頃の経験も僕の英語力向上に大きな影響を与えてますし、日米文化の差や、日英両語の発想の違いの理解も深めてくれましたので。日本に帰ってからの通訳、翻訳の仕事の基礎を作ってくれた時代だったと、今は懐かしく思います。
Sari:はい、またまた長くなりました〜。で、なんやかんやあって、結局家族とともに帰国となったわけですね。
Nao:そうなるのが理想だったんでしょうね〜今考えれば。そうなっていたら家庭崩壊にはならなかったのでは(涙)。
Sari:え、というと?
Nao:結局帰国したのは僕だけで、家族はイリノイに残りました。その時の奥さんが帰国したくないということで。そこからは僕は日本に出稼ぎ(?)状態で、毎月彼らの生活費をせっせと送ることになりました。
Sari:それはどれくらい続いたんですか?
Nao:ん〜 、10数年ですね。
Sari:その間はどれくらい家に戻っていたんですか?
Nao:最初は栃木県にある学校で仕事をしてたんですが、その時は年に3回は帰ってましたね。一回が2、3週間かな。それからいまの仕事(大学)に就いて、最初は年2回だったのが徐々に少なくなって、2回が1回になり、最後の方はゼロになりましたね、家族が日本に戻ってくるまで。
Sari:なるほど。あ、でも、子供さんはアメリカ生まれだと、アメリカ人、日本人?
Nao:基本、アメリカ人ですね。今でもメールする時は英語で、話す機会があった時も英語で話しますね。彼は、日本のインターナショナルスクールを終わって高校を出た後はカナダに行き、今はアメリカのイリノイに住んでいます。
Sari:いろいろあったみたいですね〜で、今はバツイチ!
Nao:家族は一緒に住まないといけません!ろくなことはないですよ〜みなさん!僕の体験からにじみ出た、家族円満の秘訣の一つの結論です。
Sari:ま、そんなことは皆さん興味ないと思うので、置いといて。そのようなアメリカでの体験や勉強が今のNaoさんの英語力や英語に対する理解の基礎を作ったっていうことでいいですかね?
Nao:はい、おっしゃる通りです。また機会があれば、その後についてもお話しますね。
Sari: 機会があれば…ですね(いらないかな〜)。
Nao:なんか言いました?
Sari:いや何も。それよりも、一刻も早く、面白い、ためになる英語の話の記事をお願いします。
Nao:了解しました!
Sari:ということで、2回に渡ってNaoさんに話を伺いました。Naoさんのバックグラウンド、人となりの一端を知っていただけたら幸いです。機会があればまた登場しますね。それまで、皆さん、お元気で〜!あ、忘れてた。Naoさん、インタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました(ペコリ)。
Nao:こちらこそ、ありがとうございました。では、皆さん、今度は英語に関する記事でお会い(?)しましょう!See you soon!