ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐バンドライブハウスツアー名古屋3(ネタバレあり)

2019-07-22 19:24:00 | ライブ
この日の甲斐さんのMCネタは、前夜に続き
「音楽の日」か~ら~のオールスター戦(笑)
その「音楽の日」では、翌日の福井公演から
ツアーに途中参加されることを気遣われてか?
松藤さんではなく、強一さんをドラマーに【HERO】を演奏された訳ですが

「反社会的勢力と言われないように(笑)
コンプライアンスにうるさい時代なんで
マイクスタンドは、2回だけ蹴って(笑)
あとの世良くんにあわせてみました(笑)」と甲斐さん(笑)

世良さんが学生時代に甲斐バンドのライブ会場でバイトをなさっていたり
「甲斐バンド vs ツイスト」的な雑誌の企画が溢れていたり
ミュージック・フェアやオールナイト・ニッポン・コンサートで共演されたりと
何かとご縁がおありの方ですけど

甲斐さんが、少し距離を置いておられる感じなのに対し
イチローさんは、ご自身のブログで、世良さんのことを絶賛なさっていて
この「音楽の日」ご出演の折りに何か印象的なことが起こったのかなあと…?

ともあれ、この日のメインディッシュは
やはり「キャッチャー、甲斐よしひろ~!(笑)」で
甲斐さんがご覧になった「動画はもう残ってない」ものの
観客が「『わーっ!』って言ってるのが映ってるんだけど
中には『えーっ!?』とか『誰?誰?』とか言ってる人もいたと思うんだよね(笑)」とか

ネットで取り沙汰されていたことにも触れられ
「『甲斐よしひろ、こともあろうに甲子園』とかさ(笑)
ここまで行ったらネットも…『ネトウヨ』とか色々いるけど
SNSもイイんじゃないかと…(笑)」…と「甲斐バント」に続き(笑)
甲斐拓也選手がらみの見出しを面白がられているご様子だったそうです(笑)

そして、6曲目【裏切りの街角】7曲目【シネマ・クラブ】と
近くから甲斐さんの視線が降って来て(…と主張(笑))
それこそ「こともあろうに」(笑)
「君はいつまでも銀幕のヒロイン」のトコで
「絶対、こっち見てた!」(…と頑なに主張(笑))

まあ、マイクスタンドごと動かれる甲斐さんという
かつての「大好物」を目の当たりにして(笑)
「少女返り」した者の戯言と思って、平にご容赦を…(笑)

続いて「ギターを弾く甲斐さん」のコーナー(笑)
この日の【テレフォン・ノイローゼ】は
「サーカス&サーカス2019」の音源ばりに…って、1万5千人もいませんけど(笑)
甲斐さんのアコギ vs 歌う名古屋市民の熱いバトルが繰り広げられたんだとか…(笑)

再び、メンバーの皆さんが登場されるのと入れ代わりに
甲斐さんは、いったんステージから下がられ
松藤さんのウクレレバージョンで【ビューティフル・エネルギー】

ツアー初日には、ドラムにしろ、ボーカルにしろ「松藤さん、頑張って!」と
女性ファン総母親化の様相を呈していたのが(笑)
もうすっかり、ツアーの体質になられたというか
過去のライブ感覚を取り戻されたのか

どこからどう見ても「ドラムス・松藤英男」って感じで(笑)
楽しげに笑みを浮かべてプレイなさっているらしく
皆さん、母親から少女に戻っておられるようです(笑)

そうそう!初日には、いったんハケられたものの
曲が始まる前に、マイクスタンドとアコギがセットされた位置…
(松藤さんの右斜め後ろ)に再び立たれた甲斐さん

福井からだったのかどうか定かでないみたいだけど
松藤さんが歌っておられる1コーラス目のサビ辺りから
おもむろにギターを抱えて登場なさっているようで
お隣の岡沢さんと笑いながら、何か話されるシーンが減って
奥さんは「ちょっと残念…」と申しておりました(笑)

10曲目の【安奈】は、やはり強一さんがブラシのドラムを担当され
松藤さんはアコギ、甲斐さんのギターはなし…という編成
「初期のイーグルス」バージョンは、仙台までお預けですね(笑)

さあ、ここからライブ後半戦♪
【悪いうわさ】のイントロが流れ始めると
「暑い!」だの「足腰が痛い」だのは
一切忘れたかのように、皆さん手拍子足拍子(笑)

大森さんが遺されたギターフレーズを
比較的忠実に踏まえて演奏されるイチローさん
甲斐さんは、松藤さんのドラムセットの前で
ずっと後ろ向きのまま聴いておられるそうだけど
一体どんなお気持ちでいらっしゃるんでしょうね?

メロディが【ダニーボーイに耳をふさいで】に移り
「これまで甲斐さんのライブで色んなメドレーを聴いて来たけど
やっぱり【悪いうわさ~ダニーボーイに…】は超えられないね」と奥さん

1976年発売のシングルとアルバムから、このメドレーが生まれ
77年に「鉄板のオープニング曲」と
【氷のくちびる】~【ポップコーンをほおばって】のラインが定着して…
といった過程を、奥さんは順を追って観て来たんだなあと
今更ながら気づいた訳ですが(苦笑)

そりゃ、オリジナルアルバムが1枚だけでは
たとえ全曲演奏しても2時間のライブは成立しないでしょうし
レコーディングは出来ても、ステージにかけられない曲があったかも知れないし
実際、初期の甲斐バンドのセットリストには
様々なカバー曲が織り込まれてましたよね?

ボクが「王道のラインナップ」とか
「ライブの常連曲」と呼んでいる曲群も
それぞれの曲の誕生日が異なっていることに思い至れば
新しい子(笑)が生まれる前は、どんな曲達が、どんな流れで紡がれて
どんなライブの着地の仕方をしていたんだろう?

…って、例えば【翼あるもの】が、例えば【漂泊者】が
例えば【100万$ナイト】が、セトリから外されるのではなく
まだ全く存在しない頃のライブを想像するのはムズカシイ(笑)
…などと考えていると「45周年」って、とてつもなく長く重く感じるし
しかも、その姿を今なお現在進行形で観られるなんて
奥さんはホントに幸せ者です(笑)
コメント
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